ブラック企業という言葉で暴力団を連想するのは私だけでしょうか?

ここ数年、この言葉をニュースでよく目にします。就職難を良いことに企業側が労働者を消耗品のごとく扱うのは日本社会全体の周知の事実。このような報道がしっかり流されることは歓迎します。

私が最初に就職した企業もかなりひどいところでした。いまでいうブラック企業だと自信を持っていえます。その後、様々な職についてきた私ですが、どうしてもある期間をつなぐアルバイトは必要でいろいろ経験しましたが、人間扱いをしてくれるところの方が少なかったのは間違いありません。

現在でも友人の仕事の相談など受けることがありますが、どの世界でも大なり小なりブラック的要素はあるものですね。

中には犯罪だとわかっていて仕事をしているものもいるようです。こう考えるとブラック企業の方が許せてしまうのかもしれません。いや、許してはいけませんが…

さて、なぜこのようなブラック企業のような体質が社会に蔓延するのか?さまざまな要因があるでしょうが、2点述べさせていただきます。

1つは経済が行き詰っていること。そもそも永遠の発展などあるわけがありません。成熟した社会では成長はもはや見込めません。当然給与体系や労働環境など社会に応じて変化しなければなりません。非正規社員が増えたこともその変化の現われだと思いますが、いまだ成長期の給与体系を自分たちだけで守ろうとする保守層が存在します。彼らは安い労働力で自分たちの富を得ているわけです。当然歪みはどこかに現れます。この現われを具現化したものがブラック企業だと考えます。

もう一つは労働者側の問題です。日本社会では正しいことでも上司に物を言うのはリスクを負います。いいたくてもいえない環境におかれていることも理解できますが、これではどれだけ立っても環境は変わりません。一般の社会の中でしっかり発言できる環境が無い限りブラック企業が減ることは無いでしょう。

ここに挙げただけで社会が変わるとは到底思えませんが、自分たちで変えられるところは必ずあります。自分たちの権利を自分たちで守っていくことこそもっとも成熟した社会に必要なことだと考えますが、いかがでしょう?