私は朝まで生テレビは嫌いです。理由は議題の争点が無いままの議論をしているからです。一つの事象についても、論点を絞れば違った見方ができます。結果的によい悪いではなく、一つの物を一つの角度から見ることで新たな発見が生まれます。しかし上記の番組では我田引水の論理がまかり通り、司会者自身がそれを助長しているのです。

私も最近多くの会議に出席するようになりましたが、上記の番組の様な会議もいくつかあり、困ってしまうこともよくあります。一言で述べると、人の話を聞かない人が多い会は朝まで~状態になりやすいですね。

つい先日もそのメンバーのひとりとはなす機会がありました。近畿の中心に名前を轟かせる大学出身のその人は、議論に大変強く論破されることは絶対にないといえる人です。これまでも何度か氏との意見の溝を埋める機会を持とうと試みましたが、自身の意見の正当性と私の意見の誤りの主張ばかり繰り返されました。

私は、リスクとベネフィットの話を持ち出し、ベネフィットが大きい物ほどリスクも大きくどんなの正しいと思えるものでも相応のリスクがあるのではないかと氏にといました。返ってきた答えはそんな物があるなら聞かせてほしいとのことでした。私は自動車や原発を例に取り説明しましたが、頑なまでに聞き入れられず、と言うより聞こうという意志を完全に閉ざしてしまわれました。

こうなっては取り入る術がありません。私は話すことを諦めました。氏の資質の低さに閉口してしまいました。残念です。行動的で情熱家で切れ者と扱われる人物だっただけに、この程度の話もできなかったことに呆れるばかりです。

概念は人によって違うこともあります。だからこそ受け入れあって違う物が生まれるのです。この国が本当に心豊かな国になるためにはどれほどの時間がかかるのか?寂しくなるばかりです。