行政の役人などの責任逃れ体質は常に問題視されますが、最近では学校でも同様なようです。私の生徒のいる地域での情報ではありませんが、進路指導を基本的に中学校がしなくなってきているようです。理由は幾つかの例でクレームがあったからだそうです。
クレーム、この言葉と共に連想されるのはモンスターペアレントではないでしょうか?一部の保護者からの執拗な責任追及が多くの生徒を困らせているようです。私にとっては彼らの責任追及は自身の責任転嫁の様に感じます。その場でしっかり子供と話し合わず、失敗したときのことも考えず、学校の意見を鵜呑みしていること事態が己の責任を放棄していることだし、学校も専門家としてそれくらいの指導もできないことにがっかりです。
こうやって私たちの出番が増えてくるわけです。先日お話ししたように「ピンチはチャンス」、日頃からの困ったときにしっかり生徒、そして保護者にも考えるきっかけを提供していくしかありません。最愛の子供の人生を他人の責任にすること事態悲しくありませんか?
私は北欧の塾も宿題もない学習文化を理想としています。そんな私が塾にいるのは矛盾ですが、今の学校、文部科学省が変わらない限り社会的意義があるように感じます。
Android携帯からの投稿
クレーム、この言葉と共に連想されるのはモンスターペアレントではないでしょうか?一部の保護者からの執拗な責任追及が多くの生徒を困らせているようです。私にとっては彼らの責任追及は自身の責任転嫁の様に感じます。その場でしっかり子供と話し合わず、失敗したときのことも考えず、学校の意見を鵜呑みしていること事態が己の責任を放棄していることだし、学校も専門家としてそれくらいの指導もできないことにがっかりです。
こうやって私たちの出番が増えてくるわけです。先日お話ししたように「ピンチはチャンス」、日頃からの困ったときにしっかり生徒、そして保護者にも考えるきっかけを提供していくしかありません。最愛の子供の人生を他人の責任にすること事態悲しくありませんか?
私は北欧の塾も宿題もない学習文化を理想としています。そんな私が塾にいるのは矛盾ですが、今の学校、文部科学省が変わらない限り社会的意義があるように感じます。
Android携帯からの投稿