サッカーの世界では国籍の違う両親を持つ選手は代表チームを本人が選択できるのですが、ここ数日は日本でプレイする長谷川アーリアにメディアのフォーカスがあっているようです。イラン人を父に持つMFは日本代表にあこがれを持っているようですが、サッカー選手の夢の舞台W杯に出場できるのであればイラン代表を選択することも考えられます。

少し前は酒井高徳が同様にドイツと日本の間で揺れていたとも伝えられていましたが、別の報道ではその選択肢が彼を苦しめていたとも伝えていました。

現在の日本の社会を見ても就活に婚活と己の選択に悩む多くの若者がいるようです。江戸時代以前のように親の仕事を継ぎ親が決めた相手と所帯を持てば今の若者のように悩むこともなかったのかもしれません。正に選択肢の広さこそが人生を苦難にしているのかもしれません。いったいどちらが幸せなのでしょう?

私はこのように思います。自由とは己の責任に与えられる権利だと。自分の生き方は自分で決めることができます。選択肢を自由に選ぶことができます。しかし、その選択に己の責任がついてきます。そしてこれこそが過去の人たちが願っても許されなかった生き方で、私には幸せだと感じます。自分の人生を自分で決めきれず人の言いなりになっておきながら、あとから人のせいにしている人を見かけたりすると、人生を自ら放棄しながら全く無責任だと思いませんか?過去の人たちが見るとどう思うでしょう?

私は自分の道を自分で決める。そして良いことも悪いことも自分で受け入れる。どんな悩みも悩めることの幸せを少しは感じながら。



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