アスペな私は子供の頃から場の空気が読めないと周りから言われ続けてきた。未だ場の空気とは何なのか全く解らないし、理解しようとも思わない。ただ一つ言えたことは、私が法を犯したわけでもないのに非難され続けたこと、厳密に表せば私の人権が傷つけられたことです。場の空気を読める人を尊敬しないわけでは決してありません。ただし決して強要されるものでもないもののはずです。

一方で「場の雰囲気に流される」という表現がよく使われますが、場の空気を読むこととよく似ていると思います。一つ明確に違う点は、前者が否定的に、そして後者は肯定的に使われるということでしょう。場の空気を読んでしまったが故に雰囲気に流されてしまう…なんてことよくあったりしませんか?

毒々しく言わせていただきますが、流される人は主体性に欠けるのではありませんか?自分の発言に自信がないから、空気を読み流されるのではないですか?更にとげを突き刺す発言を続けますが、そんなに周りの目に怯えた人生が楽しいですか?私には到底理解できません。

私をご存知の方はおわかりでしょうが、私は流されません。自分の信念に基づいて発言します。議員先生に民主主義を強い口調で諭したこともあります。幾多の発言で反省したこともあります。いつもうまく行くわけではありませんが、その経験も私には貴重な財産です。

今となっては空気を読めない私で良かったと思っています。いや、雰囲気に流されない私であることを誇りたいと思います。


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