前回お話ししたように、番組づくりを通して働く楽しさや挑戦にはリスクがついて回ること、そしてそのリスクをポジティブに捉えることこそがクリエイティブなことなど様々なことを学びました。それ以外にも本当にたくさんのことを学びました。これまで私が接してきた生きにくい社会とは全く違う世界を知り、人生をもっと前向きに捉えられるようになりました。

そして、この制作会社が運営するイベントでクラウン=道化師という物に出会うのですが、その前にもう一つお話ししたいことがあります。それは、「学ぶ」ということについてです。

前回お話ししたように、番組づくりは個人のある種無責任な自由と各セクションごとのディレクターの責任が同居する空間で、ある意味で民主主義の在り方に近い物があります。この民主主義は権利と責任が明確で、ヨーロッパのスタイルに近い物の様に感じられました。人権が無視され、責任が曖昧になる日本の民主主義まがいの物とは一線を画する明瞭なものです。

以上のことをもっと深く学びたかった私はヨーロッパの人権に興味を持つようになっていきました。英語を学びだしたことも大きな一因でしょう。そんな中から北欧の教育スタイルにたどり着きました。北欧と言っても国ごとに少しの差はあるので、以下に述べることが全ての国に当てはまるかどうか解りませんが、北欧の学びの文化といった具合に受け止めてください。

まず驚いたことは、北欧諸国に塾と学校の宿題が存在しないこと、それでいて学生の能力が非常に高いこと。まさに理想の教育スタイルがここにあり、と言った感じでした。学校から帰宅した子供達を机に縛り付ける物は何もありません。何せ、塾や宿題と言った概念自体がないのですから。

おまけに、学校の先生は生徒の質問に全て答える必要もないとのこと。その場合、先生は自分が解らないことを生徒に話し、自分で調べるように生徒に促すのだとか?こんなことが日本の教育現場で許されるのでしょうか?

結果から申すと、生徒の学ぶ姿勢を最大限に引き出すために、無理に教えすぎず、苦手な教科の苦痛を与えず、本人の楽しみとして学ぶことを主体としているのです。教育というより学育と言った方がよいかも知れません。これには異論のある方も多いでしょうが、ご自分で調べてみてください。現に結果として示されているわけですから。

最近の日本の子供達はサラリーマンのような顔をしている、などと表現されることさえあります。北欧の学びのシステムが日本の将来を元気にする事は疑いなく私には感じられました。ただ、教育のプロフェッショナルではない私がいくら声を上げても、受け止めてくれる人はいないでしょう。そんな私の思いを実現できる可能性がクラウンの中に見いだせたのでした。

次回、ようやくクラウンとの出会いについてお話しします。



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