思えば、クラウンという物に出会うまで、様々な回り道だったように思っていましたが、実は一つの道を歩んでいるようにも思えてきました。私のこれまでの悩みや学び、活動などが凝縮されたものがクラウンのようにさえ感じます。
これらを話し出すとたいへんに長くなるので、数回に分けてお話ししようと思います。また、クラウニングは、社会全体が閉塞感に包まれる現代の日本に欠かせないもの、そして日本人を、強いては世界の人々を活き活きさせる、そう私が信じて疑わない理由についても説明したいと思います。
まずは、私と音楽との関わりについて、
ヘビメタ世代ど真ん中の私は、フォークギターから入り、HR、R&R、ブルース、ジャズ、ハワイアン~と実に幅広い音楽に触れてきました。そもそもは自分が奏でる音で周りの人を楽しませたい、との願いから一生懸命楽器と向かい合ってきました。
30歳手前で色々な店から声がかかりだし、それなりにお金も貰いながら演奏するようになりました。しかし、常に私の心に違和感がありました。熱心に支持してくれるファンもいましたが、私が思い描いていた楽しい空間を演出できたのはほんのわずかな機会だけでした。また、ジャズの世界は師匠の格による縦割りのような社会で独学で、師匠を持たない私は遙か年下の人間や大阪の古株のような人からもかなり苛められました。
そのように私を陥れる人たちの演奏を見ても、決して楽しい演奏をしている訳ではなく、自己満足な人ばかりで、自分の演奏の良さを客が解らないのだといつも言い訳ばかり言っている姿が目に付きました。悔しいながらも確かに演奏技術は優れた人ばかりで、演奏のクオリティが客の満足と必ず結びつくものではないと、勉強させられた時期でもありました。
そんな時代を数年過ごすうちに、意識はどんどん音楽から離れだしていました。周りにはアマチュアバンドが溢れ、音楽産業の衰退もあり、供給過多状態の音楽は社会のニーズからかけ離れる一方。ストリートには自己満足に叫ぶミュージシャンまがいが立ち、その前を避けながら歩いてゆく人通り。日本の社会に音楽は受け入れられないのか?メジャーデビューしたタレントでないと音楽として認められないのか?色々悩む毎日でした。
一つ気づいたことは、良い音楽が人に受け入れられるのではなく、良いキャラクターが人に受け入れられるということ。ことこの国に限ってはそう言いきれるように感じます。
そんな時にラジオ制作に触れることとなり、私の視点が大きく変わっていきました。
つづく、
Android携帯からの投稿
これらを話し出すとたいへんに長くなるので、数回に分けてお話ししようと思います。また、クラウニングは、社会全体が閉塞感に包まれる現代の日本に欠かせないもの、そして日本人を、強いては世界の人々を活き活きさせる、そう私が信じて疑わない理由についても説明したいと思います。
まずは、私と音楽との関わりについて、
ヘビメタ世代ど真ん中の私は、フォークギターから入り、HR、R&R、ブルース、ジャズ、ハワイアン~と実に幅広い音楽に触れてきました。そもそもは自分が奏でる音で周りの人を楽しませたい、との願いから一生懸命楽器と向かい合ってきました。
30歳手前で色々な店から声がかかりだし、それなりにお金も貰いながら演奏するようになりました。しかし、常に私の心に違和感がありました。熱心に支持してくれるファンもいましたが、私が思い描いていた楽しい空間を演出できたのはほんのわずかな機会だけでした。また、ジャズの世界は師匠の格による縦割りのような社会で独学で、師匠を持たない私は遙か年下の人間や大阪の古株のような人からもかなり苛められました。
そのように私を陥れる人たちの演奏を見ても、決して楽しい演奏をしている訳ではなく、自己満足な人ばかりで、自分の演奏の良さを客が解らないのだといつも言い訳ばかり言っている姿が目に付きました。悔しいながらも確かに演奏技術は優れた人ばかりで、演奏のクオリティが客の満足と必ず結びつくものではないと、勉強させられた時期でもありました。
そんな時代を数年過ごすうちに、意識はどんどん音楽から離れだしていました。周りにはアマチュアバンドが溢れ、音楽産業の衰退もあり、供給過多状態の音楽は社会のニーズからかけ離れる一方。ストリートには自己満足に叫ぶミュージシャンまがいが立ち、その前を避けながら歩いてゆく人通り。日本の社会に音楽は受け入れられないのか?メジャーデビューしたタレントでないと音楽として認められないのか?色々悩む毎日でした。
一つ気づいたことは、良い音楽が人に受け入れられるのではなく、良いキャラクターが人に受け入れられるということ。ことこの国に限ってはそう言いきれるように感じます。
そんな時にラジオ制作に触れることとなり、私の視点が大きく変わっていきました。
つづく、
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