私の部屋が整理されることは年に2度ほどしかありません。部屋の中や机の上を心の状態に例える人がいますが、その通り、私の心をいつも現しているように興味のある物が同時進行中の状態です。このことに私自身は全くポジティブで、部屋の中が玩具箱状態であるが故にエナジーが湧いてくるのです。
とはいえ、時には心と同様に部屋の整理も必要です。今回、これまで手を着けなかった本棚を事業仕分けしようと思います。
考えてみれば私の部屋は数え切れない楽器類と、CDやビデオ、アナログレコード類、そして衣類、そして数知れずの本に囲まれる空間と言えます。
以前はカメラやレコーディング機材がかなりのスペースを占めていましたが、去年辺りにだいぶん整理できてきました。
私にとっての本の存在は切っても切れないような物でした。活字アレルギーだった学生時代から活字中毒の社会人に変身した私は古本屋を駆け回り、年間300冊以上購入したこともあるほど本に親しみました。私の知識欲求が多くの本で満たされていきました。
しかしここ数年は読書量がめっきり減ってしまっています。老眼の影響もあるでしょうが、読みたい本が減ってしまったことが原因のようです。知識欲求が低くなったわけではなく、私の知識欲求を満たしてくれる本が見当たらなくなってきました。
加えて、知識欲求の質も変化してきたように思います。どんなに知識を得ても人生で吸収できる量はしれています。知っていると思うことの愚かさを感じることも増えました。同時に他人の無知を受け入れれるようにもなってきました。
これまで、私にとってのかけがえのない本がすぐ手元にないと不安を感じていましたが、そんな本が数百冊に達すると、もうどうでも良くなってきたように思います。すぐ手元に…と思った本が5年以上も開かなくなって来ているのです。良い意味での本離れの時期のようにも思います。
こう考えると、私が楽器離れできる日は来るのか不安になります。もう何年も触っていない、ギターやベースが何本あることか?加えてキーボード類の場所をとること…。
必要な方、お譲りしますが…
Android携帯からの投稿
とはいえ、時には心と同様に部屋の整理も必要です。今回、これまで手を着けなかった本棚を事業仕分けしようと思います。
考えてみれば私の部屋は数え切れない楽器類と、CDやビデオ、アナログレコード類、そして衣類、そして数知れずの本に囲まれる空間と言えます。
以前はカメラやレコーディング機材がかなりのスペースを占めていましたが、去年辺りにだいぶん整理できてきました。
私にとっての本の存在は切っても切れないような物でした。活字アレルギーだった学生時代から活字中毒の社会人に変身した私は古本屋を駆け回り、年間300冊以上購入したこともあるほど本に親しみました。私の知識欲求が多くの本で満たされていきました。
しかしここ数年は読書量がめっきり減ってしまっています。老眼の影響もあるでしょうが、読みたい本が減ってしまったことが原因のようです。知識欲求が低くなったわけではなく、私の知識欲求を満たしてくれる本が見当たらなくなってきました。
加えて、知識欲求の質も変化してきたように思います。どんなに知識を得ても人生で吸収できる量はしれています。知っていると思うことの愚かさを感じることも増えました。同時に他人の無知を受け入れれるようにもなってきました。
これまで、私にとってのかけがえのない本がすぐ手元にないと不安を感じていましたが、そんな本が数百冊に達すると、もうどうでも良くなってきたように思います。すぐ手元に…と思った本が5年以上も開かなくなって来ているのです。良い意味での本離れの時期のようにも思います。
こう考えると、私が楽器離れできる日は来るのか不安になります。もう何年も触っていない、ギターやベースが何本あることか?加えてキーボード類の場所をとること…。
必要な方、お譲りしますが…
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