備蓄を始めてから、よく思い出す。実家の蔵(倉庫)
そこには、味噌・梅干しの食品関係から、農具等々沢山あった。
特に壊れているものも多く保管してあったと記憶している。
子供心に何で捨てないのかぁ?と思っていたけど、捨てる場所は無かった気もする。
今のように燃えないゴミ・燃えるゴミの日も無かった。(約50年位前)
理由は燃えるゴミは畑などで燃やして、その灰は肥料になっていた。
燃えないゴミ(粗大ゴミ)は、町に一軒だけ廃品回収を仕事にしている家があった。
母曰く「ぼっこや」と言っていた。子供の私から見て「ゴミ屋敷」だったけど、ここにお願いしていたかも知れない。
壊れていた物でも作り変えて繰り返し使う事が出来たから、粗大ゴミとして出す事も少なかったかもしれない。
現代人にはその部分がひどく欠けていると、反省しながら備蓄を見直し、出来る事を増やして生活する。「頑張るぞ!」と心で叫んでみる
今日この頃です