感覚の先にあるもの | Mt.Shasta(マウント・シャスタ)のエネルギーを感じながら
感覚は本当に大事なモノで、でも確信みたいなモノも曖昧で


何でそれを今したいと思うんだろう?
とか
何でそれが今気になっているんだろう?
とか

皆何度も感じているのに

何故未だにそこの感覚がそのままなんだろうと

疑うかのような目が動き出すのだろうと


感覚の波みたいなモノが間違いなく存在していて
その波は損得勘定とか善悪とかの概念は全くなくて
ただ自分の本質という温度が存在しているだけで

でも、この世で生きているうちに
その感覚の波を邪魔するモノが増えてきて
確かだと感じやすいモノや
自分以外の価値観のすりこみとか
他人の目とか気にするモノがありすぎて
確かではない気がするモノが怖くて
感覚の波に漂うことすらしなくなっていくのかも

でも、その波は他の誰でもなく
自分で感じるモノであって
感じたモノをただ疑うことなく
受け入れられるまで

自分の頭で予想することがどんなに小さなことか
その狭い殻を解除し

根本的に自分を信じるという部分を育み

いらないモノを手放しながら
何度も何度も
その感覚と向き合っていく事が出来れば


きっとそんな新しい概念の未来がいずれやって来るのでしょう