皆さん、こんばんは。本日も診療終了後に更新いたします。
大分県臼杵市唐人町、陶山歯科医院院長の陶山直昭です。


昨日は12月11日…一昨年の3月11日の、東日本大震災から
昨日で33ヶ月…つまり2年9ヶ月が経過したことになります。
毎月11日は、震災の記憶が風化しないように…また東北地方
早期復興を心よりお祈りしながら、ブログを書いておりますが
昨日は更新を怠ったため、一日遅れで綴らせていただきます。

去る12月5日は…大震災発生から、ちょうど千日でありました。
節目の日ということもあり、TVのニュース等では東北地方
現状について報道されていましたが、未だに行方不明者の数が
2651人もいることを知り、改めて驚かされた次第であります。
少しずつ前進しているとは思いますが、まだこれだけ多くの
不明者がいることを、我々は決して忘れてはならないでしょう。

さて話は数週間前に遡り…本題に入らせていただきます。
先月に開催された「WRESTLE 1(W-1)臼杵大会終了後に
(「WRESTLE-1」臼杵大会の関連記事はコチラをご参照下さい)
市内の公民館で、選手達を囲んで打ち上げが行なわれまして
そこで大和ヒロシ選手と、ちょっと話をすることが出来たんです。

大和ヒロシ
(左が大和選手…イケメンのナイスガイでありました!)

大和選手は、千葉県出身の30歳の若手レスラーでありまして…
とても気さくな方で、最初はプロレスの話をしていたんですが
私はちょっと聞きたかったことがあったので、少し迷いましたが
こんな機会もないだろう…と、聞いてみることにいたしました。

確かネットで知ったんですが…一昨年の3月11日大震災当日
大和選手が前に所属していた全日本プロレスは、宮城県石巻市
興行を行なうためにバスで移動中に、震災に遭われたそうです。
その当時のことを興味本位で聞くのも、失礼かなと思いましたが、
その話に触れると、大和選手は生々しい体験を語ってくれました。
(当時の全日本プロレスの選手達のメッセージです)

大和選手は、所属選手達と巡業バスで石巻市へ向かっており
大地震が発生した時は、仙台の高速道路を走行中だったそうです。
バスが引っ繰り返ると思われるような、物凄い揺れだったようで…
バスを路肩に停めて、地震が落ち着くのを待っていたそうですが
それからゆっくりとバスを移動して、次のインターへ向かうと…
そこは津波で既に流されていたので、言葉を失ったとのことです。

「もし、あの地震の時…もうちょっと先までバスが進んでいたら
 たぶん僕達のバスは、津波に流されていたかもしれませんね。」

大和選手はしみじみと話してくれましたが、やはりあの震災
実際に現地で体験した方の生の証言は、重いものを感じました。

その後…当時の日本のプロレスのメジャー3団体が合同興行として
「ALL TOGETHER」という復興支援チャリティー大会が企画され
一昨年の8月27日に、日本武道館で第1回大会が開催されたんです。
また昨年の2月19日には、被災地である仙台サンプラザホールにて
第2回目の大会も開催され、各団体の垣根を越えて選手達が集結し
熱い戦いを繰り広げ、多くの義援金が被災者のため送られました。

ALL TOGETHER
(
第1回「ALL TOGETHER」…またやって欲しいですね!)

なんだかんだ言いましても…プロレス界は元気でございます!
東北地方の方に元気を与えるような戦いを、今後も期待します!