『生きづらい』
を抱えている人の
なんと多いことでしょう。

私自身が
義父からの性的虐待のサバイバーで
未だに汚らしい性行為の記憶にのみ込まれそうになったり、

逃げられない家庭の中で義父という権力を持った男から押しつけられたトラウマにつぶされそうになったり、

娘の私より、ひとでなしの男を選んだ母が毒親であったことに気づいて愕然としたり、

伯母たちが、私の話を聞いても、
助けるよりも、
私が汚れていくことを
にやにやと眺めるような、
ろくでなしであったことに気づいて
足下が崩れ落ちるような思いをします。

さらに、我が子2人が障害者です。
彼等が、大人になって落ち着いた今は
本当に人間らしい生活になりましたが、
彼等が七歳になるまで
私は、一時間おきに夜泣きで、起こされる生活をしていました。

睡眠時間が取れないことが
どれほど人間を追い詰めるのかを
身をもって知っています。

さて、そんな身上のためなのかどうなのか、
私は、ちょっと可哀想な(差別ではありません)人たちと出会うことがあります。

出会った時は、
対等な関係だと思っているのですが、
どうやら、そうではないらしいと気づく事もあります。
彼等は、私を見下すことで
自分の安定を図っていることに気づきます。
しかし、彼等は自分の加害性に気づく事はありません。
それが病なのかもしれません。

病気のために
生きづらいことは、とても大変だと思います。

私自身、子どもたちのために睡眠不足が続き、判断力が鈍り、いつも体調が悪かった頃、

「私に、障害者手帳は交付されないのだろうか?」
と真剣に考えたことがあります。

子どもの睡眠障害のために
私も睡眠障害になり、
精神科へ相談に行き、
入眠剤を処方してもらいました。
その時に、自分が、
『まともでない』
『正気でない』
と感じて、医者に訴えましたが、

さらっと流されて、
精神障害者福祉手帳は申請の話すら出ませんでした。
でも、あの頃の私は、本当に
『やばい』状態でした。

時が流れ、子どもたちが学生になり、
私は、思いがけず学ぶ機会を得て、
護身術の講師になり、
障害のある子どもへの性教育の講師として活動するようになりました。

SNSも発達してきて
様々な出会いが増えてきました。

そんな中で
障碍児を持つ親との出会いは
SNSだからこそ、距離も縮まり、
講演会の情報なども共有し
とてもありがたいものでした。

しかし、人間関係の難しさというものは、当人だけではなく、
その人の抱えている「病」も
含めて難しいということを知ることになりました。

友だちは、
あくまで対等であるはずです。

しかし、
精神的な病を抱え、
手帳(私が申請すらできなかったもの)保持している人とのお付き合いが
ここまで難しいとは、わたしは考えていませんでした。

あくまで、友情でつながり
対等であるはずのつながりですが、
鬱で動けない数年間があった人が
これまで聞いたこともない
暴言を吐いてきたときに
私は、固まりました。

とっさに言い返すような瞬発力はありません。

信じている友だちが
口汚い言葉を遣う訳ないという思いと、自分が言うことがないような言葉を言われた時に、
とっさに返す言葉を持っていませんでした。

鬱は、抜ける時に
妙な万能感や全能感に支配されるときがあります。
それが薬の影響の時もあります。

だから、驚いたけれど、
出会った頃の彼女、
鬱で数年動けなくなる前の彼女の姿を信じて、
『次回、会うときは、元に戻っているだろう。正気にもどって、人を罵るようなことはしないだろう。』
と希望を持っていました。

ところが、わたしの期待は
裏切られます。

もしかしたら、
自由に言いたい放題言って、
何でもやってもらいたいという
思いがある人だったのかもしれない。

母親にやってもらいたかったことを
私にぶつけているのかもしれない。
(私の方が年下ですけどね。)

自分が、やりにくさを持っているせいで、人の生きづらさが見えてしまう。

なにを求めているかを察してしまう。

私が求めて、与えられなかったものを、この人には、
与えてあげたいという
要らない親切心が
私自身を追い詰めてしまった。

私は大きな間違いを犯していました。

わたしは、友だちではなく
『支援員』の役割を自ら背負って居たのです。

バカと言われたことに驚きました。
「なんで?」と聞いたときに
にやにやされるだけでした。

「おろかもの」と言われて
絶句しました。

友だちなら、
ここでキレて良かったのです。

でも、わたしはここで
「鬱で手帳を持っている」
彼女を傷つけてはいけないと
考えてしまいました。

この判断が良いのか悪いのは分かりません。

私がなにか伝えることで
鬱が再発して動けなくなったら
責任は取れないと
私は考えました。

やっと外に出られるようになって
ちょっと浮き足立っているのだろうと思いました。

すぐに出会った頃の彼女に戻ってくれると思って我慢をした結果、
暴言に対して、怒りではなく、
無関心なりました。

カウンセラーは契約です。
友だちは友情です。