恋人との別れとは

また、全然違う痛みを伴う

同性の友人との別れ。







出会った時は、

お互いの環境や境遇が近くて

話題も尽きなくて

話しても話しても話したりないくらい

楽しい時間を一緒に過ごしてきた女友だち。





友情はずっと変わらないと

思っていても、

それぞれの生きる場所は

年齢と共に

変化していきます。






進学する学校が別になったり、

就職すれば、仕事の内容によって

休みが合わなくなることもあるでしょう。

疲れて、夜の電話がおっくうになることもあるかもしれない。






大人になって出会った友だちも

やはり変化することは止められません。

子どもつながりのママ友は

環境が変われば、会わなくなるかもしれない。





歳月の中で

興味のあるものが変わってきて

話が合わなくなってくることも

起るかもしれない。






いつの間にか疎遠になるなら

それは、自然の流れで

お互いにストレスをためることも

すくないでしょう。






しかし、付き合いの中で

相手が、わたしの心の境界線をずかずかと踏み越えてきたり、





言葉の端々に

バカにしている態度が見えたり、




他の人がいるところで

見下すような発言をしてくる
ということが起きたら

それは、すでに

「友情」が壊れているということです。






二人でいるときには言わないことを

他の人たちがいる前で言ってくる。

人前でけなして、笑いを取ろうとする






友情が根っこにある付き合いなら

相手が傷つく事はしません。

本音を言うことと

相手の気持ちを無視することは

全く別のことです。






こんなことが続くと

ココロが警戒警報を出します。

会おうと思うと

「ゆううつだな、、、」

 

「また、なにか言われるのイヤだな。」

 

「まえは、意地悪言うようなことなかったのにな。

我慢したら、前のような

友だち関係にもどるかな?」

 

↑この考え方、どこかで聞いたことありませんか?

そうです。

 

DVの被害者が

加害者に向かって感じる事です。

 

性的な関係を持って付き合う恋人同士と、

友情のみでつながってきた友だちは、

自分の中では

全く違う立場にあります。

しかし、

「傷つけられる」

ことや、

「同じ嫌な思いを繰り返し行われる。」

ことや、

「自分が努力したら、前の関係に戻れるかな?」

と考えてしまうことは、

『暴力被害者の思考パターン』

なのです。

暴力(言葉や態度)を振るってくる相手は

あなたにとって

価値がありますか?


 

憂鬱になったり、

会いたくないなと思いながら

会う必要がありますか?


 

そして、なにより、

その人がいなくなったとき

あなたの人生に

とんでもなく悪いことが起こりますか?

 


 

答えはNOです。

友だちがいなくなると言うのは

ほんの一時、がっかりするかもしれない。


 

でも、憂鬱を感じるひとを

わざわざ自分の世界においてあげる必要はありません。
 



 

実際は

暴力(言葉や態度)を振るってくるようなひとがいなくなっても

あなたの人生は、なにも変化しません。

むしろ、面倒がひとつなくなって

ココロは自由になります。



 

もしかしたら、

無駄な出費もしなくなって

もっと自分の好きなことに

没頭出来るかもしれないですね。

 

ココロを不自由にしてまで

必要な人なんていません。