
「しゃべれるじゃない、大丈夫よ」
って、言われたことないですか?
自閉症傾向の子どもを持っている親の
あるあるです。

世の中のいわゆる素人さん(気を悪くしないでね💓)
は、
しゃべれる=分かっている
→だから、
🎶育っているじゃない。
🎶大丈夫よ。
🎶心配しすぎよ。
って言う流れになるんだけど、
違う!!!!!!!
ってなることないですか?
しゃべっているだけど
「誰にしゃべってるの?」
→少なくとも、母である私ではない。
そして、そのほかの家族に向かってしゃべっているわけではない。
「何を言っているの?」
って言う謎の独り言満載の日々。
→それって、コマーシャルの言葉だよね?
とか、
昨日の『○○モンのバトルシーンだよね?』
とか、
彼等の脳内シアターでは、きっといろんな展開が起きているんだろうけど、
私のいる人間界には、その世界は全く見えません!!

子どもの一番近くにいるのに
彼等の世界から遙か遠い所にいるって感じるのは、失恋よりも辛い、、、。

私たちは、「言葉」を学ぶときは
人との交流の中で獲得してきています。

人とのコミュニケーションの中で、
言葉を知り、
意味を学び、
状況に合った言葉を選ぶ力を
日々の人との交流の中で
いつの間にか発揮して、
自分の世界を広げてきました。
ところが、やりにくさのある彼等は
人との交流が苦手です。
自分を守りながら一方的に情報を流してくる、TVや本から言葉を学んで行きます。

なぜって?
コミュニケーションが必要ないから、楽なのです。
人と関わることが苦手な場合、
自分に見返りを求めない
TVや本は貴重な存在ですよね。
そこから得られる物には
良い物や必要なものがたくさんあります。
しかし、問題もあるのです。
コミュニケーションの中で得た言葉は、意味を持ち、場に合った使い方を自然と身につけられます。
しかし、TVや本からの一方通行の知識は、「辞書の言葉」と似ています。

辞書を丸暗記して使えるのは外国語の翻訳の時くらいです。
丸暗記したものを日常に使うのは、なかなか厳しい物があります。
よく言われるのは
『写真や、絵のリンゴは分かるけど、果物のリンゴと結びつかない。
皮を剥いて、お皿に盛り付けられたリンゴと、写真や絵のリンゴが同じ物だと思えない』
という感覚のずれです。

でもね、焦る必要はありません。
今、この瞬間は、分からないとしても
分かるときは来ます。

「彼等の世界に、私は必ず登場する」

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