「結局、またHしちゃって、、、」
と、彼女は話し始めた。
「ここに来る前に、やっぱり
どうしようもなくて、、、」
CRは言いっぱなし、聞きっぱなしだから
どうしてそうなるのか?も
なぜ、その人なのか?
疑問はいろいろあれど
聞くことはできない。
彼女はちっとも
幸せそうに見えない。
セックスの関係があるなら
『恋人』だろうと思ったけど
そういうわけでもなさそうだ。
ずっと、誰かと性関係はもっているけど
継続的でもないようだ。
彼女の虐待体験は
この時に出てこなかったと思う。
でも、踏みにじられた過去に
現在が振り回されているだろうことは
あきらかだった。
自分を切り売りしながら
その日その日を
生きつないでいるようだ。
この彼女とは
1度、会ったきりだった。
その後、どうしているのだろうか?
別の女性が話し始める。
とにかく、
「買わないと気が済まない」
当時、まだノートパソコンを
持ち歩いている人は
まだ少なかったと思う。
すごく高価だったし
重たかった。
彼女は持ち物も
服装もセンスが良くて、
『仕事できる人』
っていう感じがする。
この彼女とは、
話すことができて
お茶することもできた。
会話の中で出てくる
彼女の体験も壮絶だ。
そして、今の生活も
ひりひりしている。
「買う」
ために
「借金」
があるそうだ。
生きていくために絶対に必要というわけでもないものに、
大枚をはたいてしまう。
何かを手に入れる=自分の力を感じる
性的虐待を受けていた時の無力感を
払拭する一つの手段が
「買い物」
である。
地獄を過ごした
「家」
から出たくて仕方ないのだが、
「借金」
がある彼女に
部屋を借りる力はない。
親は
彼女の傷を知っている。
加害者は彼女の兄だ。
しかし、
親にとって
子どもたちの
「いたずら」
は過去の出来事になっている。
彼女が必死に兄の行為を訴えた後、
親が別居している兄を呼んだ。
その日の食卓に
お刺身がごちそうとして並べられた。
「○○は反省している。
だから、お前もこれで
終わりにしろ。」
と、あっさりと
『仲直り』
したことになってしまった。
彼女の気持ちは置いてけぼりだった。
加害者である彼女の兄は
家庭をもって
健康な社会人として生活している。
しかし、彼女は
人間関係に傷つき
自分の様々な嗜癖に苦しんでいるままだ。
あきらかに虐待体験から続いている
家族関係のゆがみを
彼女が一人切りで背負っている。
別の学会に参加した時に
サバイバーに会うチャンスがあった。
彼女の加害者も兄だった。
彼女と話す中で出てきた言葉は
『私がかわいかったから、
お兄ちゃんは、ああしないといられなかったんだと思う。』
胸が痛いのと同時に、
こめかみに錐を突き立てられたような
痛みを感じた。
あの彼女も同じことを言っていた。
『私がかわいかったから、
お兄ちゃんは、ああしないといられなかったんだと思う。』
その後、専門家と言われる人たちの学会や
研修会で
いろいろと話を聞くと
『加害者が兄』
という人の多いことだろう!!!
しかし、現実の加害者は
実父→義父→実兄→義兄→伯父・叔父→知り合い
では、なぜ
『兄』
が出てくるのか?
『兄はきょうだいだから他人になれる』
から、被害を訴えやすいのだそうだ。
実の父であった場合、
自分の中にその『血』が流れている。
自分の中に流れているものに対して
被害を明らかにすることは
自分を殺すことにも等しい。
しかし、カインとアベルの時代から
兄弟は争いの対象にもなるし
別人格であることを受け入れやすい。
人のココロのなんと複雑なことか。
一番悪い奴を悪いと言えない社会。
悪いというと、自分を殺すことになる社会。
性的虐待を受けた女性の中には
太りすぎている人も痩せすぎている人も少なくない。
当時は
「拒食症」
「過食症」
と言われていた
『摂食障害』を持っている人が
本当に多いと感じた。
人前で食事ができないという人も多かった。
兄に被害を受けていいた女性は二人とも
かなり太り気味だった。
被害者は
『肉を着込む』ことで
本来の自分を護っているともいわれる。
服ははぎとられても
加害者は贅肉を
どけることはできない。
しかし、自分を
護るために着込んだ肉のために
体のトラブルが絶えない。
太りすぎで
婦人科のトラブルが続いたり、
若い時から
生活習慣病に悩まされていることもある。
子ども時代に受けた傷は、
いつまでも、何度でも
様々な形で
サバイバーである私たちを
襲ってくる。
この後、
わたしは、唯一のお茶して
おしゃべりした彼女に教えられ
自助グループから
いよいよ『治療』を求めて
『性的虐待を治療できる精神科』
へ、向かうことになるのだ。