性的虐待の自助グループには
何度か通った。
横浜から新宿まで距離がある上に、
子どもたちの
面倒を夫に頼んで
1日がかりで出かけるのは
当時、専業主婦の状態だった私は
なんだか悪いことをしているような
気持ちになるのだった。
生き辛いから、健康になりたい
しかし、
性的虐待は受けた事は
病気と認められていないから
健康保険が効くような病気としての治療法がない。
それなら、今まで我慢してきたんだから
それでいいじゃないか!!
と言うのが、
私の周りの人間たちの考え方であった。
↑加害者の考え方です。
これにどれだけのサバイバーが黙らされていることか。
しかし、それではイヤなのだ。
いつ起るか分からないフラッシュバックに
傷つけられるのも、
突然、内側から私を焼き尽くすように
怒りがわき上がるのも、
いつまでも
記憶に縛られる自分の未来に希望が見えず、
自死する未来しか見えないのも
全部、イヤだ。
自助グループで
お互いの体験を話すCRの時間は
穏やかに過ぎる。
話の内容は、すさまじいものだが、
自分の体験を
これまでは、
否定されたり、
なかったことにされてきた事実を
ここで認められるのは
自分の力になる。
しかし、
私は、もう少し違う出会いを期待していた。
CRで話すだけでなく
会話がしたかったのだ。
しかし、
「どのあたりからいらしたんですか?」
という質問すら
ビクッとされて
「あ、ごめんなさい、、、」
って聞いたことを謝って
その場はおしまい。
「どこから」ときかずに
「どのあたり」と濁してもだめなんだと
ちょっとがっかりする。
休み時間が無言の行になってしまう。
参加している人は
自助グループで
人とつながろうとは思っていないんだなって
事が分かって、少し寂しくなった。
はじめて、自分以外の被害経験を
共感してくれる人たちに出会えたら
友情が芽生えるんじゃないだろうか?というのは
私の甘すぎる願いだったことを
このとき知ったのだった。
傷つき体験というのは、
自分の周りのバリアを
強固な物にしてしまうんだと
改めて感じた。
自分の望まない距離感を
強要された子ども時代。
翻って
悪意のない人であっても
距離を縮められないおとなの今。
『性被害』を受けることで
日常生活のQOLがどれほど低い物になってしまうのか?
そして、
『自分を大事にする』
と言う言葉が
これほど、空回りする場所はないのではないか?
と思わされる発言を
聞くことになる。
