あんまり夢を覚えていない性質なのですが
この前の日曜日のことです。



わたし、明け方の夢のなかで
私を虐待した男を鈍器で殴り殺しました。

※この男はすでにずっと前に

ガンと老衰で他界しています。




これまで、夢の中で

繰り返し何度も何度も、

襲われて泣いて飛び起きることは
本当に、数えきれないほどあったのですが、
初めて、男の頭をたたき割りました。

夢の中で、やっと反撃したのです。

 

もう、二度と夢の中であってさえ、

この男に思い通りにされるのが

嫌だったのです。


心理学的にどうなのかはわかりませんが、
もう、これで襲われる夢からは解放されるのかもしれないと
思いました。


ただ、夢見がわるい、、、。
日曜日で仕事が休みだったのが幸いで
目が覚めてからも、気持ち悪くて(お酒飲んでませんよ)


2時間くらい布団の中で
だらだらしておりました。



誰であっても、人をきずつけることは
自分が傷つくのですね。

夢のなかであっても
私の人生をめちゃくちゃにしたやつであっても。


私は、心は腐ってなかった!と妙に安心しました。





でも、
やっぱり悪い奴は、叩きのめす必要ありなのです。

自分を護るためですもの。

相手は反省なんでこれっぽちもしてないんだもの。

 

そう考えると
次は、母親か!!

私は、やっぱり、
自分を生きづらくした奴らが憎い。
殺してやりたいっていう気持ちがあるっていうこと
認めます。


虐待されたころは
こどもだからって、抑え込まれて
ようやく声をあげられるようになったら
「相手は年寄りなんだから」って
周りが守る。



被害者はどこへ行けば良いのだ?

ずっと考え続けています。



そして、この話をした友人が教えてくれた

「闘争反応」にくっついた「殺意」って
なんかとってもピンときます。

闘争本能って、自分が理不尽な思いをしたときに
自分を護るために沸き上がるものだよね。

その理不尽な思いが
カラダは生かしても、心を殺すなら
相手を殺さない限り、
自分の心は取り戻せない。


だって、相手は反省なんてしてないんだもん。

殺した夢を見て思ったことは、


強制わいせつでも未遂でも
相手が死ぬほど苦しむことを平気でできる
っていう
生き物がいることが信じられないという思いです。


死んでほしいとずっと思っていた男で、

すでに死んでるけど
夢であっても自分が手をかけたら
本当に具合悪くなったもん。


奴は、私を凌辱して

私は死ぬほど体が苦しくて

死んだように心を引きずっている状態になっても、


あの男は、得したような顔をして
さらに同じ行為を繰り返し

エスカレートさせていったのだ。
人間じゃないって
改めて実感しました。


あえていいます。

暴言を吐きます。

性犯罪者は全員死んでほしい。
この世から抹殺したい。
奴らは反省なんてしない。
反省するという脳の部分に血が流れていないのだ。


私のなかで
奴は死んだ。

 

 

私は、もう、襲われることに

びくびくする11歳の女の子じゃない。

 

 

あんな奴の思い通りにならない。

 

いい女は、

決着を自分でつけるのだ。

たとえ夢の中であっても

私は自分の人生を自分で選んだことに

自信を持とう。