という記事をみた。

 

結局とのころ、人間は鬱になりたいのか?

定年になっても鬱、再就職しても鬱。継続雇用でも鬱、定年関係ないじゃん・・・

それにしても、そんなに仕事したいのか?と思うのは私だけらしい。

いつの間にか定年は超えてしまっていたが、お役目を交代して、

体が動くうちに余生を好きに過ごしたいとつくづく思う今日この頃。

 

定年を超えても、いつまでも同じ環境で仕事をさせていただけるのは、本当にありがたいことではあるが、

一方、中の人、以前ほど目も見えないし、直ぐ腰とか痛くなるし、いろいろパフォーマンスが低下していて、

古いWindows パソコン状態。

いい加減、開放してもらって、残り少ない余生を自分と放置の家内とで使えないものだろうかなどと思っている。

いくら仕事が面白くても、おもちゃや趣味にするのは厳禁。どういう事情があろうと社員たちへの責任、顧客への責任を全うしないとならない。

そこに不安が出始めた以上、次世代にお任せできるよう育成、引継ぎを進めていくべきなのだろう。

引継いで、きっぱり切り替える。。。といってもすぐに手放しにしてはいけないのかなぁ。。。

(現在、このあたりでいろいろ考えている日々)。

 

確かに一生現役!(何の現役かしらないが)とか、いいのかもしれないが、やりたいこと(ぼーっと、ほんのりした時間を過ごすのも含めて)無いの?とか思ってしまう。

まぁ、そういう人は、「仕事」がやりたいことなのだろうから否定しない。そういう人が、雇用関係終了になった時に、仕事ロスー>鬱になるのかもしれない。

しかし、定年を理由に会社が手放す程度の仕事しかできていなかったとしたら、もしくは会社からみてもこれ以上は次世代でやっていきたいと思っているとしたら、自分の棚卸を始めてみるべきだろう。

寂しいが、世の中の大半は”そちら組み”なのだと思う。

 

一方、積極的に、後進に譲っていく社長さんたちもいたりする。別に70,80になっていても、60代といっても違和感のない元気な社長さんたちが交代とか。

後進がいるのは羨ましい限りというか、後進を育てられたからこそ、卒業できたというか、

このあたりが自分には未熟なのだろう。

そういえばSuzuki会長も後進に譲ろうとしていて不遇もあって目論見が外れたのかもしれないが、

それでも神様級の人は、もろともせず。凄い。

1978年社長 -> 2000 会長 (70歳)-> 2008年社長復職 -> 2015年CEO(85歳) -> 2016年会長 ->現在に至る 93歳 

期せずして、先日他界したIBM社長~顧問 椎名武雄氏と同じ年齢。

次元が違う。

大谷選手やSuzuki会長と比べても仕方ないというか、大半はそういうスター選手、神様にはなれるわけないのだが、

すべての人に寿命というタイムリミットは100%ある。(Suzuki会長は神様になってしまっていて、もはや寿命はない?)

 

そんな一方で、大量発生の「鬱」。

定年になっても鬱、再就職しても鬱。継続雇用でも鬱。

いろいろ思うところはある。

(メディアはあまり病気を作って増やさないでほしい)

 

自分がまだ普通に仕事で来ている間に、引き継がねば。

そのためにも後進の育成か・・・育つのか?

 

付録:こんな記事があった。

 

長年企業のために粉骨砕身で働いてきたビジネスパーソンたちは「自分はいつか死ぬ」という自然の摂理を、それゆえに時間は有限であるということを、どこか考えないように仕事にまい進し、ごまかして生きてきた。そんな人たちがやがて定年を迎え、自分だけの時間ができると「今まで向き合ってこなかった人生の問題」に突き当たり、苦しみ、心を病んでしまう人も少なくないのです。

 しかし「命あるものはいつか死ぬ」のは、避けられません。もしも人生の中で、ふと「死」について考える機会があるならば、それは「大事な問題だ」と自分自身が要求しているときなのだと思います。必ず訪れる死があるからこそ、自分は一体どう生きたいのか。どう生きたらいいのかを、自身でよく考えてください。