イスラム教の聖書、クアルーンの日本語訳を眺めていた。
こちらにPDFがある。
https://tokyocamii.org/wp-content/uploads/2022/03/QuranNihongoDokkai_edition01_03.pdf
概ね、経典とか聖書というものは人々の生きる知恵であったり、心得などがあるものだと思っていたので、
社員たちがモスリムなら彼らの拠り所となっているクアルーンの要所要所を思い出して、
日々のモノづくりに励んでもらえればと思ったのがきっかけ。
で、その宗教でも当たり前だが、量がとても多い。
ちなみに、クアルーンを各言語に訳して読むのは邪道で、イスラム教のクアルーンの中でもそれに触れられている。
だから、「ひたすら念仏を唱えよ」という宗教に似ている。
人間の解釈が入るとろくなことにならないから、それはそれでわかるのだが、
そうはいっても、1500年近く、尊重され、インドネシアではほぼ100%のイスラム教の経典、意味は知りたいはず。
仏教(南無阿弥陀仏)だって梵語アーミターバから中国語、日本語と念仏に名残はあるものの、ベースは言語の発音。歴史がいろいろ意味をつけてしまったきらいは無きにしも非ずだが、それほど外れてもいない。
私は18歳のころ、倫理社会をとって(当時、社会科の中では点数がとりやすかった)予備校の先生から初めてきいたことが、いまだに結構残っていて、今やインターネットでも解説がみられる。
で、これが凄い。
例えば、第3章アールイムーラン 10
[ 真理を] 拒む者たちには、彼らの財も子どもも、アッラーに対し何の役にも立たない。これらの者は、
業火の燃料となるだろう。
なんか、ヘビメタ。
もっともデーモン小暮がミサとよんだり、そもそも「デーモン」自体がこれらの宗教が発端であることから、彼らのヘビメタと似ているのは当然なのかもしれない。
各章にはタイトルがついていて、
例えば96章アル・アラク、97章アル・カドル、98章、アル・バイイナ!
みたいに、なんか叫ぶと、技が放出されそうな。。。ンなわけないが、異世界っぽい。
ちなみに、アルゴア!アルヒューム!アルシャマク!!と叫ぶと、いろいろ凄い技がでてくる世界もある?
(此方↓)
ま、私にとっては、ヘビメタで、異世界な経典でも、人々の心を支え、国の秩序を作り出しているものなので、
どこかに、人々の正しい行いについて指導しているところはないかと、ざっと、眺めてみた。
アルアラク!と叫んでみる。(96章)
何も起きない・・・ま、そうだろう。
先の訳本では
3 読め、あなたの主はもっとも寛大な御方、
4 筆によって教え、
5 人間が知らずにいたことを教えた。
6 いや、本当に人間は逸脱する。7 自分に足りないところはない、と思いあがる。
とある。
これは、発端を無視すると、とても素晴らしい哲学であり真理ではないだろうか?
この手の勉強は40年も前の倫理社会が最後で、恐縮だが、ソクラテスの「無知の知」
にも通じる。7などは、はっきり言っちゃってるあたり、わかりやすい。
さらにこうある。
13 あなたは見たか、その者が[ 真理を] 嘘であるとし、背を向けるなら、
14 アッラーが見ているのを、その者は知らないのか。
15 断じて、それはならない。もしやめないなら、われらはその前髪を掴つかんで引こう、
16 嘘をつく、罪深いその前髪を。
17 その一味を呼び集めさせなさい。
18 われらも、[ 地獄の] 番人たちを呼び集めよう。
アッラーは神で神様は見ていると教えている。
まさに、「天知る、地知る、我知る」である。(最後の人知るは、前3つの結果なので、省略)
てっきり、アッラーは人の心と寄り添っているの(自分の正義の心)かと、
思ったので、アッラーはどこにいるのかと聞いてみた。
期待した答えは「自分の心を指す」のだろうかと思ったら、なんと、メッカの方角を指さして、「あっち!」と言われた。
_| ̄|○。敵ではないが、あっぱれ。
じゃ、14が成立しないのではないか?と思ったが、まぁ、神様なので、そうなのだろう。
で、15,16は, やたらとくだらないコンプライアンスのはびこる日本ではありえないが、
なかなか、わかりやすい。
既に前髪のない自分には関係なさそう。
でも、社員たちはまだ前髪があるから、恐怖するだろう。あんな爺になりたくない!っと。
で、ここを金曜日の礼拝で読んでもらえないか、頼んでみている。
なにか、効果はあるのだろうか。。。Berambung