今週(8月一杯)は7日稼働で、壊れた機械の分を作ることにした。

心配は、例によって例のごとくインドネシアでは

当然の権利のような「突然欠勤」

であったが、直前に欠勤の多い2人を降格していたこともあり、今回は到着時も無事に稼働していた。

 

今朝、cikampek方面(東に向かう)道路がBekasiの辺りで渋滞。

朝5:20頃渋滞に差し掛かり20分程度で抜けた。幸運だったように思う。

工場到着は5:50頃。

無事、機械も稼働しており、社員も想定数いた。

 

この国の基本的な価値観や人生観は、他の国とは違うので、日本的な評価や人情的、義理のようなもの、プロ根性などは通用しない。

というか、とんでもない、逆恨みをうけたりするので要注意である。

 

参考事例:

割とこちらに来て早い時期に、経験できたので良かったと思うのが、次の経験をしていた:

* 総務で契約期間の終わるものがいて、契約延期するかと言う確認に、メンバーの判断は「継続はしない」だった。

* 本人は継続の強い希望があったので、別の部門に使う気が有るか聞いてみた。

* 品質のメンバーが、使ってもいいと、言ってくれたので、本人に伝える。但し、シフト勤務があるので、それでもいいかといったら、嫌だというので、終了とした。

 

さて、どこに問題があるでしょう?

この事件には、彼等の自分本位さと、陰険さを暴露するシナリオが待っている。

後日ローカルの取締役から聞いたのだが、彼女が彼に言った内容:

* 「無理やりシフト勤務にして、嫌ならやめさせると言われた」と涙ながらに訴えていた。

彼は、半分信じ半分疑いつつ私に確認に来たのだが、

聞いた時に、「とんでもねぇ~野郎だ、どこのどいつだ!プンプン(自分のことを言われているのだが)」位に突っ込みそうになった。彼らは、万遍なく自分が如何に正しく他が間違っているかを実にうまく作り出す天才。やたらとウソが多いのはそのためでもある。

 

その時いた他のローカルスタッフ(総務の契約延期しなかったもの)がビックリして、「いや、そうじゃなくてびっくり」みたいな話をして誤解は偶々解けた。

 

その時の教訓:

「インドネシア人は救ってはいけない。

目の前に差し出された手に噛みつくだけなので、大変危険である。」

死にかけたものは止めをさしてやるのが武士の情け。色んな意味で過酷な国だ。

また、すくっても、紙を破って逃げる夜店の金魚みたいなもので、

今回の様に、真面目だからと取り立ても、取り立てられたら「しめた、やっと好き勝手ができる」とばかりに勝手が始まる。

 

逆に、バッサリ切り捨てると、本人だけでなく、周りも、冷静に考えるようになる。

ルールやあるべき姿を感じさせる(「話せばわかる」は日本限定)と効果がある。ただ、恐怖を与えるのは良くない。快感を与えるのも良くない。どちらもエスカレートするだけ。

 

つまるところ、会社そのものへの

なのだが。。。難しい。

子供の躾と違うのは、実際の生活や仕事に直接かかわると解らせる部分。特に自分中心のロジックしか理解しないので、わざわざ、そちらに焼き直す必要がある。

いずれにせよ、会社の成長には必要なステップだと思う。

 

「会社の仕組みというものはどういうもので、それに従うと、お前は切るしかない。そうしないと、会社全体がダメになる。お前も今のままでは、大変だろう。もっと楽になろうぜ」

というやり方にしてみているが、どうなることやら。

 

残念ながら・・・

「何時か判るだろう」と繰り返し繰り返し、話し合いをして、いくら本人が「大丈夫だ」と言っても、基準や価値観は、全く進歩しなかった。5年かけてもダメな人はダメ。出来る人はそんなこと言わなくでもどんどん進歩していく、わずかではあるが

それこそ1%の内の10%程度, 0.1%。

彼らが伸びるように、またパワーが得られるに支援していくのが、この国に来てしまった老人に出来る、数少ない仕事であろう。

(その割に忙しい気がするのはきっと気のせい?)

 

21世紀になっても、アホックさえ、求刑もされていない内容で投獄してしまう国である。理屈も正義もへったくれもない。

あまり肩入れせず、あまり嫌悪せず、それぞれの相手に対して、「ほどほどの距離感」を早急に見つけることが長く暮すコツだが、どうしたものか・・・

 

過去5~6年を振り返ると、ちと、入れ込み過ぎていたきらいがある(弊社社員のインドネシア人を過大評価)ので、少し方針変更の8月。十字架