今朝、工場内に車で入ってくるとヘッドライトに子猫が照らし出された。何気なくみていると、ピョンと跳ね上がって、「なんとひょうきんな」と思った。更に近づくと前に何か、子猫の半分位の塊のようなものがあって、見るとカエルであった。
本当は写真に撮りたい位だが、残念ながらそこまで素早く機転がきかなかった。
どうも子猫とカエルの対決中に出くわした模様。
ただ、カエルはとても大きく、触ると「ビクッ!」となるようで、その度に子猫は跳ね上がる。
(こんな感じ↓)
その後の彼らの対決の結果は、確認していないが、
どちらも、ビクビクしているのが、如何にも滑稽であった。
命掛けの彼等の対決のはずで、申し訳ないが、妙に面白さを感じてしまった。
エサになって食われるか、餌を食えるかという大問題の中、
第3者の評価など気にしてカッコつけている場合ではない。
他人がバカにしようと、笑おうと、生きる為には恥とか外聞など気にせずに存分に戦うのは本来の生命であるべきた。
カッコ悪い、痛いから、気持悪いからなどと戦うのを放棄して、エサになる、飢え死にするというのは中途半端な小賢しい人間だけが考えることなのかもしれない。
「まな板の上のタイ」とか「潔い」とか使って、小狡い奴らが、エサにしようとするが、それに折れるのは生命としては正解ではないと思う。【補足:「まな板の上のコイ」はそのままでは大暴れする。なんでおとなしいかというと、頭をバットでぶん殴って気絶しているから。殴る瞬間は温泉宿などでタイミングがいいと目撃できる】
どうせ殺されるなら最後まで、相手にひっかきキズでもいいから残してから死ぬ位であるべきだと思う。
とかく、「抵抗しないこと」と聞くが、大変、大きな疑問をもっている。言っている奴は責任を取りたくないからそういっているだけではないのか?
「右の頬を撃たれたら、お前はもう死んでいる」
強く生きましょう。カッコ悪くていい。がんばろうね。