夜明け前出社の癖がついてしまって、大体見回りと状況把握は終わってしまう。
朝一の指示の後は、偉そうな顔をして元気そうにニコニコしていないとならない。
なかなか、できてはないが・・・極力そういうふりをしてみている。
暇なので、今回はビジネス的な視点でこの本「言ってはいけない」の続き。
前回の遺伝子編: http://ameblo.jp/suwakobase/entry-12261885033.html
に続いて、今回は、美人編。
【「美人は得」といえば、「何を今さら言ってやがる」と内心思う人が殆どだと思うのが、
逆に「ブスに将来は無い」というと激怒される。】というような内容。
筆力の無い私が書けば恐らく非難轟々となり、社会から抹殺されかねない。
が、この本では実に理路整然とその悲惨な事例を挙げて証明してみせる。
タモリの世にも奇妙な物語では
「美人税」https://matome.naver.jp/odai/2146443844467269401
というエピソードもあり、暗黙の了解をもとに構成されている面白い内容だった。
さて、ビジネスにおいてはどうか?
CM/イベントでは当然美女がナイスバディ―を披露して人目を集め、効果を狙う。
特殊な効果を狙わない限り、通常はブスどころが普通レベルではお仕事にありつけない。
採用においては美人は結構微妙な線に置かれる。
確かにぼさ~っとして、小汚いみなりでこられると流石に、「自己管理が出来ない」
と判断して、2秒で不採用決定。
でも、あまりにも妖艶で色気むんむんというのも、困りもので、この場合は人によるとは思うが、トイレに100Wの電球を付けない様に、「ちょっとうちのお仕事には向いていないですね・・・」と、心の内とは裏腹に?お断りすることになる。
容姿・顔的な「美人」には別の問題もある。
そもそも「美人」とは社会的な集団ヒステリーが作り上げた幻想で、絶対的評価とはいえないのが困りものである。「世にも奇妙な物語」でもちゃんとオチにもっていたように(あれは素晴らしい作品だと思う)。世につれ人につれ変わるもので、今は信じられないかもしれないが、100年後の人々からすると、絶世の美人も「??」となる。集団催眠状態ともいえよう。
集団催眠にかからなかった場合には、なんで世間がそんなに騒ぐのかも理解できないことがある。
平安時代の美人やアフリカの美人を目にして、日本人の男性は、果たして恋に落ちるかどうかというと、大変疑問である。自分がモナリザにせまられても、きっと嬉しくもなんともない。
インドネシアでは、やたらと眉毛の太い化粧が美人らしいが、見慣れるまでは結構抵抗がなかったわけではない。始めはどいつもこいつも、イモトに見えたが、最近は「工藤静香」、調子がいいと?「新垣ゆい」程度には見えるようになってきた。
個人的な話だが、私は幼少期大変な僻地でそだった。近所1KM範囲に家はなく、小学校まで歩いて2kmを通っていた。小学校5年位の頃、級友が「天地真理が可愛い」と騒いでいた。当然私は知らない。で、漫画のグラビアのようなものを見せてもらったら、なんとまぁ~小狸みたいな・・・「どこがいいの?」状態。ちょっとまずかった。
その後もそれほど大騒ぎするほどのものではない気がしたが、段々かわいく見えなくもなかった。
松田聖子もデビュー時は大した顔でなかったと思うが(失礼)、世間の熱狂振りは異常なくらい。その後、確かに美人というか、かわいいというのか、そう思えることもあった。
多分、ある種の文化に属すると、例の遺伝子ではないが、なにかが共鳴して生存競争のための取り合い対象として美人に見えるのかもしれない。隔離されていると、共鳴せずに、「ぽか~ん」となる。
さて、では会社に「美人」がきたらどうなるか?
営業を例にしてみよう。「枕営業」と言う言葉があるから、そういう世界はあるのだろうが、業界は限られると思われる。実際、インドネシアの弊社に来たオイルの営業がいわゆる超美人だったが、以下の通り(日本語にしておきます):
美女: 弊社のオイルを使ってもらえないか? オイルはこんなのが有る(とカタログを見せる)
私: このオイルは何に使うの?
美女: 何でも使える
私:
旋盤加工に今こんなのをつかっていて仕様はこの位なのだけど、近いのは有る?
美女: 技術に聞いてほしい。
私: (そいつはどこさ) 価格はどのくらい?
美女: 価格は沢山かってくれたら頑張る
私: 納期はどのくらい?
美女: 輸入だから在庫による。
私:(てめ~何しに来たんだ。とっとと帰りやがれ!)と、「心の中心で怒りを叫ぶ」
全然ダメダメである場合は、こんな感じで当然商談は成立しない。
「あ~そでちゅか~。いいでちゅよ~」などというのは漫画の世界だ。
ビジネスにおいては、世間で何度も言われている通り、
身だしなみ(自己管理)的な容貌が好ましければ十分で、ヒキメ鉤鼻のうりざね顔だろうと、楊貴妃だろうとあまり関係無い。同じであれば当然美人の方に傾くのは已む得ないとしても(その美人という感覚も怪しいのだが)、バカが勝利するケースは非常にまれである。
商談などにおいて、より重要なのは自分の商品に対しての知識、競合他社製品と比べた場合の有利不利、「売る相手の問題点の把握」と「顧客の達成したい最終形の把握」、それに向けての「提案力」などだと思うが、どうなんだ?バックアップ資料にマーケットのトレンドが入ってくると結構いい感じになる。
インドネシア人だからかどうかはわからないが、自分の商品も知らず、相手のことは気にもせず、一方的に「ねぇ~買って~」と言うのはカラオケのネーチャン位にしてほしい。カラオケのネーチャンの場合はそれ自体も商品価値だからありだが、通常のビジネスでは非常に評価ウエィトは低い。まして第三者に、「なんで性能悪いし必要ないのにこれ買ったの?」と監査されたら、説明もできないことになる。収賄したのかと疑われる可能性もあるが、賄賂より達が悪い。
余談: カラオケのネーチャン インドネシアは、初めて来たときと結構ショッキングでしばらくは面白い。しかしこれも3年と続かず飽きる。いろいろコアな仕組みが解るメリットはあるから男性諸兄は修行程度には良いかもしれない。結構後戻りできなくなっている人も見かけるから貴方次第。それが幸せなケースも多い。彼女たちも自分と子供の人生がかかっているから命掛けである。命がけで愛される貴方は恐らく日本では実現しないものの一つだろう。ちなみに愛の意味は辞書や研究文献で調べておくとよい。一つではない。
この本の通り、容貌は大事だが、
その文化で言われて最低限の身だしなみができていれば十分で、それを売り物にする商売でなければ、それ以上のものはそれほど重要ではない(なぜ、ここで言いきらん!)。
とはいえ、「美人」差別は恐らく幼少期から、いろいろあるだろう。
なぜなら子供のかわいさはある意味「生存のための商売道具」みたいな部分がある。
良い待遇を受け、いろいろ便宜を受け、より親密に教育なども受け、結果的に能力も伸びていくケースも多々あるだろう。
見た目は結構大事なのかもしれない。韓国に限らず、日本などでも芸能人、プロ選手などの整形率が高いのは、正に見た目、見せることを売りにする商売だからであろうし、一般人だからといって、土俵に立つ以前に受ける差別は「世にも奇妙な物語」でも言われている通りだろう。
結論: 美人の評価はいい加減だが、人生における見た目の影響は確かに大きい。見た目を決めるのは他人であるから、自分は他人の評価に怯えて暮さねばならない。
先日TVで見たのだが、有るモデルが着るとTVショッピングの服が次々と売り切れていった。
同じことを自分がやったらどうなるか?売れるどころが、クレームの電話の嵐だろう。
会社も、自分が勝負できる世界を早急に見極めるというのは、必要なことかもしれない。