先日日本で買ってきた本。

賛否ありそうな本で面白かった。OK

内容は賛同して読むというより寧ろ「貴方勉強不足だろ」くらいの気持ちで突っ込みながら読める。

誤解の無いように予めいっておくと、この本は大変理知的で理性的、いわゆる知性に富んだ内容となっており、決して煽動的なものでは無い。その上である一つのものの見方を提示しており、結論としては書かれていないにしても総体的に、「遺伝子に支配されている我々」を宣告している。大変面白い。

 

私が賛同していないことは、後述するが、

極論を書くと「あなたがバカならそれは遺伝子の所為である。あなたの遺伝子を持つあなたの子孫もバカ」といいうことを暗に示唆している。

感情的なものは無しに、事実のみで記載され、証明されていく事実の数々は

まさにホラーかサスペンスを読む心境に似ている。

「じっちゃんの名に掛けて!」とばかりに遺伝子と言う犯罪の黒幕を暴き出そうとする。

漫画ならこれでもいい。(まさに遺伝子のなした名探偵遺伝説)

 

間違いの一つは、統計の古典力学的な読み方にある。

つまり「外から力が働かない消しゴムは静止して動かない。消しゴムの温度は20℃」であると言う世界。

これは古典力学的には正しい。しかし20世紀の地球でも、それでは証明できない事実が多数存在していることに気付いている。

量子論的な世界である。

ラプラスの悪魔、マクスウェルの悪魔、など悪魔と表現される確率的事象を「本当の悪魔」の存在は不要にて、発生しうることを知った。

結論から言うと

「消しゴムは常に振動しておりピョンと跳ね上がることもある。消しゴムの温度は-5℃の部分もあれば40℃の部分もある」

確率的には0に近いとはいえ、0では無い。

(つまり熱とは振動の総体の結果であって、その振動方向が全て同じ向きになる瞬間、消しゴムは飛び上がる。振動は大きかったり小さかったり、周りと打ち消しあったり増幅したりもする)

人類は既に、トンネル効果、光や電子が波動になったり量子になったりする世界を知っている。この世界では存在するものは制止できない。

(質量さえエネルギーと同じ。E=mC^2。核融合、分裂で放出されるエネルギー元。既に原子核どころが中性子、陽子、更にはそれ以下クォークなどの世界)。

橘氏は、著書37頁で明示されている通り、疑似相関による誤謬のリスク※は検証されているが、そもそも、古典力学的な統計には、個体に関しては意味がないことについては検証が足りない。

  • ※疑似相関による誤謬のリスク: 「アイスクリームが売れると水死者が増える」
  • 統計的にはどちらも暑くなるとアイスクリームが売れ、水遊びも増え結果的に事故も増えるが、だからといってアイスクリームを大量に売ったからと言って水死者が増えるわけでもなんでもないとこは自明。

間違いだと思うもう一つは優勢家系の不連続性

もし、この「言ってはいけない」の論旨通りに人類が存続していたなら、

アインシュタイン、カント、デカルト、ダビンチ、聖徳太子など天才の家系が先祖から、また子孫までず~っと続いていなければならない。

しかし進化論的にも、もともと高知能のヒトの家系がいたわけではない。

宇宙からスーパ種族がきて栄えたのだとしても、彼らとてアミノ酸や糖の産物。元は単純な合成物からの進化でないとおかしなことになる。

また、彼等の子孫がどうかは、現代をみるに哀れなもの(栄光の祖先からみれば)。

 

突然変異論による説明を持ち出すなら、そもそも、この「言ってはいけない」的な遺伝子支配論はもとより存在しない。

より言えば、我々の中身は量子論的な現象に満ち溢れていて疑似統計的、古典力学的解釈に隷従する必要は無い。

 

我々の祖先がどうであったにしろ、我々は我々である。また我々の子供達の能力も彼ら自らが切り開いくものだ。切り開くには物凄い意思、努力と苦痛を、希望を持ってのりこえる必要があるが、人類の何人かは常にそうして限界を超えていった。大なり小なり、貴方もそうしてきたはず。

一度、周りの誰かがのりこえると、我々は「限界」の呪縛ドクロから解放され、後に続くものが多数でてくる。それを環境というならそれもよかろう。実際オリンピックを見るにどんどん記録が伸びたり、新技が増えたり、なんとまぁ。。。そこまで離されると私など「別な生き物でいい」と言わざる得ないがびっくり

 

一方、最近の日本人をみて不安になることもある。

種としての生存能力が低下している気もする。男がドンドンオカマ化し、彼らの方がマツコやら、誰だっけ?ハルナ?などなどいろいろTVなどにでて、もてはやされる。晩婚化も激しく、子供を作らない人が増え、またやたら不潔感が優先して男女の正常な出会いさえも減っているのではないだろうか?

もはや、異性との接触は犯罪行為で苦痛に満ちたもので恥ずかしむべきものという社会風潮が蔓延しているのではないか?

 

インドネシア人の旺盛な生命力をみていると、本当に日本人は絶滅するのではと不安になる。

こちらのレストランのウエィター、ウエィトレスなどで、結構目にするが、得に関係のなさそうな若い男が女の腰をなでていて、女も黙って(気持ちよさげに)触られている。

日本だと「セクハラだ!」と大騒ぎしそうなものだ。実際、女の子も気持ちよいのだろう。

直ぐに人口がまた増えるに違いない。そういう性欲的なものがドンドン排除されていった日本はどう解釈したものか?(ちなみに、インドネシアではセクハラは存在しないと思う。)

こいつら仕事は全然できないが、絶対に絶滅しない!OK

 

大正時代までは妾が普通の旦那様、昭和初期でも浮気は芸の肥やしと芸人では結構盛んだったようだが、最近はなんでもスキャンダル、犯罪者。そのせいで、普通の交際まで悪者になり、嫌悪感さえいだいている日本人。これでは絶滅しますな・・・ゲッソリ

 

遺伝子支配論からみると、これはどう解釈するのか是非説明を聞いてみたいところでもある。