今から40年ほど前、予備校に通っていた出来の悪い自分である。キョロキョロ

理系だが、古文が嫌いかというと、そうでもなくて、割と好きな方であった。

ただ、その理解の程度は受験やテストで点が取れる程度。

 

その時の予備校時代の古文の先生に、古文の奥深さと面白さに気付かされたことがあって、未だに鮮明に覚えている。

そのお話を、どこかの片隅にでも、一瞬でも残せたらとおもう。

主流の説ではないとはいえ、私は、師の解釈が好きで、それ以来、推しメンは清少納言になってしまった。

 

枕草子は御存知の通り、

「元気いっぱい女の子が大活躍チョキするお話」

師の授業で通り一遍のややこしい話の後、こうおしゃてた。

 

(Bihind the scene: Makurano Sousi)

「清少納言が、気が強くて男勝りだと思うかもしれんが、そうじゃねぇんだよ。中宮定子

(サダコではない。-オカルトは別の機会にして、今回は「テイシ」と読もう)

の旦那が2号を作って(中宮彰子、紫式部が仕えた)、定子は落ちぶれて死んじまう。その後に、子供が残ったんだよ。妹が面倒みたけど、こいつもすぐ死んじまって、可哀そうなんだ。

まだ、7歳にもならない女の子だから当然、夜寝る前なんかにお母さんを思い出して泣くんだよ。

 

清少納言は、本当に定子が好きだったんだ。

また、其の子供が愛しかった。

歴史にはでてこね~けど、おれは上の女の子の面倒をずっとみていたんだと思うんだ。だから夜になってお母さんを思い出して寂がる子供に、もとで子供にお話を聞かせていたんだとおもう。

だから、題が「枕草子」なんだよ。

枕は”寝るときに聞かせる”、草子ってのは”お話"てことだ。

 

「昔こんなことがあってね」と、元気で自分の凄かった逸話を聞かせて、「そんなすごい私を使ってくれたあなたのお母さんはとても素敵な方だったのよ」と言っていたんだよ。子供を元気にさせるにゃ明るい痛快な話でなきゃならん。だからそういう話が多いんだ。

 

この説明を聞いて、いろいろな話が急に別の意味を帯び、世界が広がった気がした。

例えばあの有名な「春はあけぼの」だって、全然意味が変わる。

女の子と言えども、大人に育てていくには躾も必要である。

 

ここから私の想像だが、朝の苦手な女の子がぐずって居た様子をみて、また夜の怖がる女の子をみて、「私の一番好きなもの!」として話し、「朝って素敵よ。夜もいいのよ」などといい、立派な女性に育ってもらいたかったのだと思う。

そうすると、なんとなく、あの部分もうなずけるのだ。

 

原文:

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。 

 

上記解釈にしたがうと、

早起き苦手?でもそれでは素敵な女性に成れないわよ。なんかもったいないなぁ~。

世界で一番いいもの教えてあげる。それは季節でいろいろあるんだけど、例えば

春の日の出。これみなきゃ、絶対損。段々山のあたりが白っぽくなってきて、少しずつ明るくなるの。そしたら雲なんか紫色に見えだすの。一緒に見ない?

ということだと思っている。

同様に夏は夜を怖がり、秋は夕方の寂しい風情で母を思い出して悲しくなり、冬の早朝の寒さにまた起き出すのをいやがる子供への応援歌だと思うのだ。

 

夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほかにうち光て行くもをかし。雨など降るもをかし。 

 

夏の夜って、綺麗なのよ。怖い事なんて全然ないのよ。月が出ていると一層きれいだけど、そうでなくて暗闇でもね、ホタルがキラキラ飛ぶ様子が素敵なの。沢山あってもきれいだし、1つや2つだけでも、ふわふわとしている様子が素敵なの。雨?雨だって素敵なのよ。だから安心なさい。

 

秋は夕暮れ。夕日の差して山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。 

 

私、秋の夕暮って大好き。全然寂くないのよ。夕日がでてきて山がなんとなく近く見えてくるのおもしろいでしょ?カラスが寝床に慌てて帰っていく様子って、おっかしくない?雁なんかだと編隊を組んでで小さくなるまで飛んで遠くまでいくでしょ?あれってすごいよね。でさ、日が沈んでしまったら今度、風や虫が音楽会を始めるの。賑やかで楽しいから大好き。

 

冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりてわろし。 

 

冬の早朝、寒がってちゃもったいないわ。これも大好きなもののひとつなの。雪が降ってたりしたら綺麗なのは言わなくてもいいわよね。でも、霜で真っ白になるの見たこと有る?素敵よ。

そんなの無くても、楽しいの。火を慌てて起こしてあちこちに持っていく様子は冬ならではの風情よ。

昼になっちゃったら、ぬる~い感じで、火鉢だって、なんか灰ばっかり。そんなのって最低だと思わない?だから頑張って起きちゃいましょ!

 

清少納言は決して奇をてらって、当時良いと思わなかったものを良いと言っていたのではないと思う。今は無き(1000年以上も前の平安時代だが)定子の娘へ語って聞かせたかった躾であり応援歌だったと思う。

 

古文の師の説は、決して主流ではなかったし、2017年においては、誰も唱えていない。

しかし、私には実にすんなり受け入れられ、別の世界が見えた瞬間であった。

別に期待はしないが、そういうものの見方をする人がどこかに残っていることを願いたい。