戦国時代に生まれていたら、間違いなく自分はとっくに死んでいる。

第2時世界大戦後期の日本に生まれていたら、やはり死んでいる。

なぜなら、武将や中枢が、ちゃんと機能せずに、闇雲に消耗戦で捨て駒の様に人々を使うから。

「坂の上の雲」の伊地知、「永遠のゼロ」の上官達、「一所懸命」の美名の元、一か所を命を懸けて守らせる戦国武将、などなど、トップが機能していないとろくなことにならない。

命を捨てさせられた方は、たまったもんじゃないと思うが、他の選択を奪われ、あとに残された者達が禍根を持たないように、あたかも自らの信念のもとに進んでいったとばかりに振る舞う。

 

最初から生還0の負け戦をさせられる時代があった。

なにが、「お家のため」、「お国のため」だ。そんなものを守る意味があったのか?100年以上たってみないとわからなかったのかもしれないが、「トップ、上層部の面目、エゴのために大勢が犠牲になっただけ」。

この事実はタブーとして封印されている。

歴史と真実は違う。

 

会社運営する立場にあるものは、彼らのような愚行を繰り返さないよう、注意すべきだと思う。間違っても「会社のため」などとメッセージは出すべきではない。

トップは上層部が狂気に走らないよう、最大の注意を払う必要があり、そういう力を持っていなければならない。お飾りで発言もできないアホはトップにいるべきではない。

どれだけ苦戦しようとも、生き残れる可能性がある戦いをすべきで、最初から死が前提の消耗を押し付けて戦っている気になってはならない。

 

では、勝ち目が無いと判断できるときはトップはどうするのが良いのだろう?

 

山本五十六の言葉

「それは是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ。三国条約が出来たのは致方ないが、かくなりし上は日米戦争を回避する様極力御努力願ひたい」

上の言葉の凄いのは

* 事前に結果を見通していた: 情報力、推察力、判断力。

* 総合的なシミュレーションを即時に完了したうえでの結論

などなど。

 

往々にして歴史は「真に将たるものはトップにおかない」といういたずらと悲劇を繰り返す。

当時のアホどもは勝ち目が無い事さえ判断できなかった。

「大勢の命を失ってからの全面降伏」となるくらいなら「命を失わずに全面降伏をしたほうが良い」とは言わない。尊厳ある態度で世界で対等に認められ、渡り合うべく、卑屈であってはいけない。お互いに尊敬しあい、認め合える部分が必要。

その意味で、トップは常にギリギリの部分を渡り歩く必要があるのだが・・・

これが、相当難しい。

 

会社運営に至っては、

超貧乏会社であっても、闇雲に面従していてはならないし、卑屈になってもいけない。

そうかといって、勝ち目が有るわけも無い。尊敬を勝ち取りつつ、対等の交渉をしていく気概。。。となるのだろうが・・・そういわれて簡単にできるかどうか?

代りを探す、または神頼みか?

いや、弥勒菩薩が56億7000万年後来てくれても全然意味が無いし、19世紀に神はもう死んでいる。

 

自分もクソ「トップ、上層部」の同類になっていないか、判断、見通し、読みが正しいのかなどなど、半分、放り出したい気持を隠しつつ、「真に将たるもの」が現れるのを期待しつつ精進していくしかない。