そう言えば、私 結婚する時に無職だったことを思い出したこと。。。。
最近は、キャリアの話になることが多く ある人と話をしていて、
「西村さんは、今の仕事の前はどんな仕事をしていたんですか?」と聞かれました。
西村「私は東京にある私立の大学を卒業して、生まれ育った諏訪にある信用金庫に就職させてもらったんですよ。」
その当時はホリエモンさんがフジテレビを買収するしないという頃で、IT企業が急速に大きくなり老舗企業を超えていくような時期でした。
そんな時代のなかで、わたし自身はおぼろげながらに こんなことを考えていました。
今の信用金庫(金融)の仕事を頑張っていくのはやりがいもあるし、地域のためにも役立てる。
両親もそのことをうれしく思ってくれているし、彼女も職業を含めてわたしだと思ってくれていると思う。
ただ、時代が大きく変わっていく中で
◎もっと自分を試すことができないか。
◎自分の考えるアイデア(ビジネス)が本当にやれるのかどうなのか、それを試してみたい。
◎金融機関にいて、実際に事業を行っている中小企業者の社長などに対して、上から目線で商売のことを語ることなんてできるのか、(実際にやってもいない分際で。。。。)
そんなことをふつふつと考えていたように今でも思い出します。
そんな頃に彼女(今の奥様)と結婚を考える時期になりました。
その頃の私は今から考えるとクレイジーだったと振り返りますが。。。。
「何かを始めるには今踏み出すしかない」 「やらなければ一生後悔するかもしれない」
そんなことを強く思い、結婚が決まった段階で 会社に辞表を提出しました。
会社の上司は、結婚が予定されていることも知っていましたから 当然反対してくれました。
(今考えると、ありがたいことですね。)
「いったい何を考えているんだ。 馬鹿じゃないのか。 これから結婚しようっていう奴が仕事を辞めるなんて聞いたことないぞ」 様々な方が止めてくれたのを覚えています。
私も若気のいたりだったのでしょう。
会社をやめることを前提で、彼女のご両親に結婚の許しを得るための挨拶に行きました。
そんな状況ですから、「結婚させてください。必ず幸せにします」なんて言えなかったです。
ほんと思い切って言ったのが
「結婚させてください。 よろしくお願いいたします。ただし、ここで信用金庫の仕事を辞めることにしています。自分でなんとか仕事をしてみたいんです」
そんな言葉でした。
今考えれば、よくもまあ そんなことが言えたもんだと 当時の自分に呆れますが
その時の彼女のご両親も ぶったまげたと思います。 よく 殴られたり、怒鳴られたりしなかったものだと思います。
お父さんが「西村くん、そうか わかった。 びっくりしたけど そこまでの気持ちがあるならやってみなさい。」
そう言ってくれたのを覚えています。
結婚式も行いましたが、 新郎が寿退社してしまった結婚式、 出席した人も私に声をかけずらかったことと思います。
当時のことを思い出すと、 よくも今ここにいるなと思ったりします。
何かを始める時というのは、そうそう準備が整った状態でスタートを切れるものではないのかもしれません。
今、思うのは 諏訪信用金庫を辞めてよかったのか それとも結婚するからということで、ずっと定年までいるべきだったのか、ということ。
やってしまった人間だからそう思うのか、あの時に考えていた
「目の前にレールが引かれているのも不安、 レールがないのも不安。 どっちを自分の人生にしたい?」
私は、将来がおぼろげに見えていることのほうが不安だし、自分らしくない。そう考えていました。
ふとしたことから、フラッシュバックした記憶を書き綴ってみました。
西村
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