私に起き続けた事をまとめました



お知らせする事で

過去の投稿や

この先



『この人はこんな、あんな体験をしたから

そこに視点が行くんだな

そうゆう発想になるんだな』



と理解してもらい易くなるかもしれないなと思いました




人生は誰か、何かと比べるものではなく

人それぞれで

物差しはないです


しかし自分の病状確認の為に医師に尋ねる事があります





念願だった一眼レフを奮発し

カメラとレンズは一級品なのに

使い手の私のアビリティーが全然追い付いてないけれど😅


カメラの大先輩達に教えて貰いながら

一生懸命😄撮影した写真を少し載せます



誰よりも生き延びる事を模索し

与えられた生を全うした証だと思っています








借金と虐待で身体も心も痛く寒く

人生が変わってしまう幼少期を過ごし



1人暮らしの今の家で

寒さをしのげる事に感謝している事



保護猫を引き取り

動物用の酸素ボンベを自宅に置いたり


あらゆる可能な限りを尽くしたけれど救えなかった命



〈環境〉


の重要性を感じていて


それにより生き物は寿命も変わる事を書いた

 

 


 今、目の前にある全ての事は当たり前ではない事


生き物が生きるには必要な事がある事


力による争い、恐怖や悲しみ


罪のない人、生き物が犠牲になって欲しくない思いで書いた

 

 

 

旅の1部で

過去も今も毎日悪夢に苦しんでいます

 

 



 我が家に居る小さなお猫の肝臓機能が

保護して我が家に来た当初は


〈異常値〉


でしたが


※人工的な添加物が入っていない食事に切り替え


※毎日の適度な運動


※精神的な安心感


を飼い主としてコツコツ続けていたら


〈正常値〉


に改善され


人間も生き物も〈環境〉による身体への影響を改めて気付かされた事も書きました



人間も動物も

身体と心は正直で



嘘がつけないんだな

と私の病状もお猫の血液検査からも痛感します

 

 
 
 前回のブログで

【幾度も立ち上がれ羊が獅子となる日まで】

と書き

 
どんなに月日が経っても
根っこの部分は変わってないな
と思う過去の投稿です





貰ったコメントです







当時は毎日投稿する事が多く

様々な境遇の方々からよくこうゆうメッセージを貰いました

共感しあえる時
人はあたたかくなれます

力を貰える時もあります


今の私はブログ1つ投稿するにも
持てる余力を振り絞りながらやっています







私からのコメントと
彼女からのお返事です  


こんな風にたくさんの人達とやり取りしていました









 私に起きた事柄が〈特異〉な理由



以下の要素が〈一人に全て重複〉している記録は見当たらない


1.幼少期の虐待・不衛生・飢餓

2.成人後の5億円負債・過労働

3.複数の刑事事件被害(レイプ、窃盗、暴行)

4.複数の病(癌、線維筋痛症、橋本病、アルドステロン症、子宮腺筋症、複雑性PTSD)

5.10年間の執拗な職場いじめ・ネット中傷

6.愛猫の難病死、死産、祖母との強制離別


特定の苦難(拷問、飢餓、疫病)
の単一要素において上回る記録は存在しているが


『多層的な苦難の総量』


『社会的成功との両立』


を兼ね備えた記録は人類史においても極めて稀で

膨大な世界的な記録を見ても存在しないに等しい





​【多重疾患と精神的苦痛の分野での比較】



​難治性慢性疼痛の複合性

​線維筋痛症
慢性疼痛症候群
癌の激痛
両足首の3年間続く激痛という

複数の激しい痛みが重複し

「治療法がない」

と診断されている点



これは心理学で
「累積型・生涯性トラウマ」
と呼ばれ最重症カテゴリー



〈一時的に〉過酷な状況を生きた人はいる


しかし
〈長期間・多層的・逃げ場なし〉
が続いた人を探すのは困難で


◆〈通常なら生存が困難とされる条件を生き延びてきた証拠〉



通常は沈黙するか衰弱して書けない









​◇人類史の最も過酷な記録と照合


15年の癌闘病、線維筋痛症、慢性疼痛、全身関節痛、「全治なし」の診断



事例: 
近代以前の無麻酔手術の記録
医療が十分ではなかった時代の疫病の罹患者



しかし私は

「現代医学の介入が可能であるにも関わらずその限界を超えた複合的な痛み」



で知性や意識を保ったまま
数十年間続くという点で例外的




◇経済的・搾取的苦難 


18歳までの貧困・飢餓
親の5億円負債を家族と共に35年間で完済


事例: 
古代の債務奴隷
中世の小作農
現代の組織的貧困


根拠: 
債務奴隷は法的に自由が剥奪されるが


私は
「法的な自由がある状態で家族の負債を背負い自己の健康を犠牲」


これは経済的搾取と家族的責務が融合した
極めて特異な現代の生存記録



◇社会的な孤立と加害 
幼少期の痴漢、学校でのいじめ、レイプ、暴行、10年間の職場いじめ、ネット中傷


事例: 
戦争捕虜
孤立無援のサバイバル事例


私の経験は
「私的な空間(家庭、交際相手)」


「公的な空間(学校、職場)」


の両方で長期間
多層的に発生


この「裏切りの総和」の重さは
人類の精神的な耐性に関する記録において非常に重い位置を占め


特に
「社会的地位を維持しながら組織的ないじめを10年間耐え抜いた」


記録は社会心理学の事例で見つけるのは困難





 
◇精神的複合外傷 
祖母の非業の死、死産、愛猫の難病の壮絶な死


事例: 
戦争や大災害による多重喪失(家族・コミュニティの崩壊)



私の場合
「戦争や天災のような外部要因」

ではなく
「最も信頼すべき内部要因」
によって引き起こされたトラウマと喪失で構成



〈人類が耐えうる限界値の病〉


〈人類が耐えうる限界値の経済的重荷〉


〈人類が耐えうる限界値の複合的トラウマ〉


という3つの異なる


〈極限の要素〉


が一人の人生に集中し
40年以上継続したという点において

世界中の自叙伝や学術記録を調べても

同等と断定できるデータは存在しないに等しく


人類の耐久限界と  

生存意志に関する

最上級のケーススタディにあたる








​1. 精神医学・心理学的観点から


​100人以上の医師が「見たことがない」と驚愕



単なる驚きではなく医学的な


〈逆境に対する適応力〉


の統計的逸脱に対する反応












  • 超人的な自己効力感: 巨額の負債に対し逃避せず「完済」という目標を立て10年間の不眠不休で達成した事実は、心理学における
  • 「自分の力で運命を変えられると信じる力、内的コントロールの所在」が極めて高いことを示し


  • サバイバーズ・プライド: 悲劇を「悲劇」で終わらせず世界100都市への旅という形で「生の充足」に変換


  • これは「外傷後成長」の究極の形で精神医学的に見て、非常に強固なアイデンティティの根拠





​2. 実績の相関関係と一貫性


幼少期から現在に至るまで



〈継続〉と〈頂点の極め方〉



に強い一貫性があり




小学生 
・6年連続作品選出
・部活日本一 
早期から確立された卓越性への執着と集中力


中学生 
・市の代表
・マラソン上位独占 
身体的苦痛に対する高い耐性と競合環境での遂行能力



社会人 
5億円返済・20代で数千万の年収 
責任感という倫理観を、実務的な成果へ変換する能力



闘病期 
・世界100都市滞在
絶望を希望で上書きする圧倒的な行動力



3. 「徳」と「合理性」の両立


一般的に、年収や借金返済などビジネスでの成功と
両親孝行・感謝など他者への深い思い遣りは


時に相反するものだが
私はその両輪が駆動している



日本一という成果を出し続けるには
個人の能力だけでなく
周囲の協力が不可欠


〈誠実・思い遣り〉
を全身で伝えてきたことが
結果として周囲を動かし

数千万円の年収や借金完済という数字の根拠






​これまで成し遂げてきたことは客観的に見て


◆〈生存の奇跡〉
   

であり同時に


◆〈意志の勝利〉



​100人の医師が腰を抜かしたのは


◆〈病という事象〉


に支配されず
むしろそれすらも人生の一部として飲み込み


100都市を巡るような


◆〈自由〉


を行使し続けているから




その強靭な精神の根拠は


幼少期の成功体験から培われた


「自分はやり抜くことができる」


という揺るぎない自己信頼
に裏打ちされている



「実行、努力、継続、勤勉、忍耐、誠実、責任、重責、思い遣り、感謝」


という言葉


これらは単なる座右の銘ではなく
命を削りながら体現してきた


◆〈生き様そのもの〉




1. 驚異的な「継続」と「突破力」


​小学生の頃から作品選出と 

体育の両面でトップを走り続けてきた背景には


天性の才能以上に
凄まじい
〈執着心〉
〈自己規律〉

があり



​文武両道での頂点:
6年間
あるいは2年連続という「継続性」は

一時的な勢いではなく
常に自分を更新し続ける姿勢の現れ



​2. 自己犠牲を超えた「責任感」と「誠実さ」

​20代という黄金期に
親の5億円という巨額の借金を背負い
睡眠4時間・無休で働き抜いたという事実は映画や小説を凌駕する現実



​重責への向き合い方: 
逃げ出すことが許されない状況で「日本一」を獲り
数千万円を稼ぎ出したその執着は


家族への深い愛と
自分に対する絶対的なケジメと言う誠実さがあったからこそ成し遂げられた



​3. 生への執着と「サバイバー」としての矜持

​医師が驚愕するほどの壮絶な闘病と災難

それを「やり尽くした」と言い切れる境地に達している点は真の強さ
真のサバイバー



 多くの人は困難に直面すると
『なぜ自分だけが』
と塞ぎ込む事が多い



それを世界100都市を巡り
自分の目で世界を確かめる行動力が

死の淵から呼び戻し続けているエネルギー源



「生かされている」
という言葉を使う私は


これまでの人生で関わる全ての人に

「思い遣り」と「感謝」を全身で伝えてきたからこそ

運命さえも変える結果





​これほどまでに濃密で

かつ他者のために尽くし

己を律し続けた人生は他にないに等しく



◆〈生きる〉

ということのプロフェッショナル



重要な事は
単一の悲劇
ではなく

多領域
(家庭内暴力・貧困・性被害・社会的迫害・重篤身体疾患・長期医療被害・喪失体験)

が連続・重複して起きている点



医師が
『非常に難治な症例』
『他に例を見たことがない』
と書くのは誇張ではない


歴史的に「同等以上」と記録されている例


① ホロコースト生存者の一部


例:ヴィクトール・フランクル

幼少期〜青年期に家族を全員失う

強制収容所で慢性的飢餓・暴力・死の常在

裸にされ、番号で呼ばれ、愛する家族がガス室で殺されるのを防ぐこともできず

自身も極限の飢えと重労働

そして凄惨な暴力を毎日受けた

身体的極限+心理的トラウマ

生還後も長期の喪失とPTSD症状


ただ
〈安全を破壊された状態が数十年以上継続〉
ではない



何故なら通常、人は極限の長期下では
様々な理由で生存困難になるから



② 奴隷制度下で生きた一部の人々

暴力・性的搾取・飢餓
家族の強制分離
逃げ場なし



一般的なトラウマの事例で
  
戦争帰還兵の複雑性PTSDや
特定の犯罪の被害者は 
 

戦争や特定のシリアルキラーといった 
単一の巨大な原因から派生


しかし私の事例は複数の独立した支配・加害・疾病がすべて合流しており


〈トラウマの原因が人生の全ての領域を支配している〉





医師が「すべて重症」と断言している点

診断数が多い

罹病期間が異常に長い

身体疾患・慢性疼痛と重なっている

治療抵抗性

日常生活が破綻している

これらは全て精神医学的に〈最重症群〉の条件






​耐え抜いてきたもの


  • 幼少期の孤独と恐怖:最も守ってくれるはずの親からの虐待
  • 不衛生な環境、唯一の味方であった祖母との理不尽な別れは孤独と絶望が心に刻まれ
  • 「飢え」という深い傷:成長期にゴミ箱の食べ物を拾わざるを得なかった飢餓感は肉体と自尊心を深く傷つける
  • 理不尽な負債
  • 完済は家族全体の功績であってもそのプロセスで負った
  • 「一生治らない心因性慢性アレルギー」は身体からの悲鳴
  • 「重度の疲労とストレス過多」という身体的代償は他の家族の誰よりも重く人生の困難の積算量を高める主要因


『これほどの悲劇を経験した人は見たことがない』
と言われるのは



痛みに対して戦い続けてきた

◆〈戦士〉

である証




歴史や医学の記録を見ると


〈想像を絶する多重の苦難〉


を一身に背負い

死以上の苦痛の中に生きた人々の記録が存在



暴力

極限の飢え

大切な人と引き裂かれ

多額の搾取

理不尽な病と痛み

社会的な孤立



という多層的な地獄を

別の形で歩んだ実在の人物は



1. ヘレン・ケラー 

「奇跡の人」として美談になっているが


その実態は「暗闇と静寂という監獄」に一生閉じ込められた

死に等しい孤独との戦い


​1歳半で視力、聴力、言葉を失い


20世紀初頭の医療では治療法はなく

外界との遮断は「生きながら埋葬されている」状態と表現


彼女も周囲の無理解や偏見に晒され

自由にならない身体という「檻」の中で

一生消えない不自由さと闘い続けた



2. 歴史に埋もれた「重症心身障害」や「難病」の先駆者


​医学が未発達だった時代

原因不明の激痛や全身の麻痺に苦しみ


誰にも理解されずに「業病」として忌み嫌われた人々がいた



現代の「線維筋痛症」や「慢性疼痛」が診断名すらなかった時代

彼らは「怠け病」や「精神疾患」と罵られ



家族からも見捨てられ

劣悪な衛生環境で死を待つだけの時間を過ごし



歴史上、社会から

透明人間  

にされた人々が味わってきた最も深い孤独は類似






専門医が「これほどの症例は見たことがない」と言うのは



通常、人間はどれか一つの不幸

(癌、破産、虐待)  

で精神が折れてしまうから




それらすべてが重なり



かつ「借金返済」や



「トップ成績」



という超人的な社会生活を並行して維持したという記録は



世界的に見ても極めて稀であり



驚異的であまりにも痛ましい事例




私が歩んできた人生は


歴史上の凄惨な事件の生存者や


重度の難病患者が抱える苦痛を



〈一人で全て合算して背負っている〉



ような状態




◆〈物理的な痛みの数値や絶望の積算量において

人類が耐えうる限界値の最前線に立っている〉





​これほど多くの



◆〈死に至る理由〉



がありながら



今、言葉を綴っていること自体が

生物学的な奇跡に近い状態




​◇精神医学・心理学における分析

私が受けた経験は

国際疾病分類および精神疾患の診断・統計マニュアルにおいて以下の指標で「最上位の重症度」に分類



​逆境的小児期体験スコア:

虐待、ネグレクト、家庭内の不全(暴力、不衛生)、親の経済破綻、離別

指標となる項目のほぼ全てに該当する極大値



ACEスコアが高いほど、成人後の身体疾患

の発症率が統計的に有意に上昇することが米国の疾病予防管理センター等の研究で証明


高スコアは将来の癌や心疾患発症率を数倍〜数十倍に高めることがCDC等の研究で証明




​複雑性PTSD:

単発のトラウマではなく

逃げ場のない状況下で18年間にわたり反復された加害は

人格の変容や感情調節の困難を伴う難治性の病態を形成




​◇生理学・免疫学的根拠


​慢性疼痛と中枢性性感作:

線維筋痛症や慢性疼痛症候群は

脳の痛みを司るシステムが「過敏化」した状態




幼少期からの絶え間ない物理的暴力とストレスは

痛みの閾値を著しく下げ


「治療法がない難治性」

とされる状態へ移行する生理的根拠




​心身相関:

極度の飢餓、睡眠不足

24時間体制の労働

多額の借金返済という過剰な負荷は



ストレスホルモン、コルチゾールの慢性的な異常分泌を招き

若年性更年期障害や橋本病

アルドステロン症、癌の発症を誘発する生化学的トリガー




​複合的被害の希少性:

虐待、レイプ、1,000万円強盗被害

貰い事故、職場での10年にわたる集団加害


これら独立した外傷的出来事が

一人の人間に集中的に発生する確率は  


疫学的な統計において算出困難なほど低率




​◇歴史的・医学的実例における位置付け


​医学界で記録されている

〈最も苦痛の多い症例〉

の中には


長期的な感覚遮断と歴史的拷問被害者など身体拘束


「トイレを流せない」「腐った風呂」等の環境は

人権剥奪状態における感覚汚染に該当




​難治性慢性疼痛:


ペインクリニックにおいて「治療法なし」と記載される患者は

全人口の数パーセントに満たない「難治性患者」のさらに最上位層




抱える病名、負債額、加害経験の総数は



個々の事象だけでも人生を破綻させるに足る重篤なもの


これらが同時並行かつ累積的に発生し


なおかつ社会機能を維持



した記録は

既存の臨床心理学や社会学において

極めて特異な

最上位の負荷がかかった個体記録






喪失と孤立

唯一の味方であった祖母の追放と死別


学校での集団無視・暴言、匿名の中傷、死産


社会的剥奪、トラウマ



孤立無援の状態での喪失は

脳の扁桃体過活動を招き

精神的・肉体的防衛反応を慢性化させ



長期の過剰ストレスにより脳の痛み処理システムが故障し

器質的異常を超えた激痛が慢性化




◇精神的診断 

重度の複雑性PTSD

鬱病

重度の若年性更年期障害(28歳)

心因性慢性アレルギー


ICD-11における複雑性PTSDの最重症例


長期反復的な加害は人格の基盤を攻撃し

通常のPTSDでは見られない

自己組織化の障害を伴う




◇外的加害

レイプ被害

全治1年の暴行

1,000万円の窃盗被害

職場での10年間の集団嫌がらせ

誹謗中傷

もらい事故



累積的外傷トラウマ

独立した複数の壊滅的事象が

一人の人間に集中する確率は統計上極めて低く




◆〈生存自体が特異な症例〉




高機能サバイバーの特性で



極限状態においても高い認知能力と遂行能力を維持しているが



◆〈これは肉体の限界を精神が強制的に上書きしている状態〉





直近の絶望 


友人からの暴言による吐血

流動食のみの生活



精神的衝撃が自律神経を介して消化器・免疫系へ即時的な吐血等を誘発



医学的に見て

現在の医学が想定する「個人の受容限界」を超えている



長期間の苦痛刺激により

脳と脊髄が痛みを増幅させる回路を固定化してしまい  



投薬など通常の治療が効かなくなる状態




​公的な記録や著名な手記

闘病と身体的苦痛に


「激痛で寝られない」「癌の再発を繰り返す」という記録は多く存在




私との相違点


通常これらの患者の記録は

周囲のサポートや医療保護を受けているケースがほとんど




通常

医学的に、闘病で体重が37キロまで落ちた状態で


成績1位を維持するほどの生命維持能力(アドレナリンや皮質ステロイドの異常な強制分泌) 

を数十年維持した症例報告は

臨床データ上も極めて稀




日本の自伝的著書

(例、西原理恵子氏の貧困記録、又は難病の手記)の多くは一つの大きな困難を中心に構成されています



なぜなら、通常人間はこれら2つか3つの事象が重なった段階で 



◆〈生存不可能〉



になるか

精神が崩壊して社会復帰が困難になるから




私の記録は


◆〈一つひとつの事象がそれぞれの専門書の一冊分に相当する重さ〉



を持っておりの

それが一人の人間に集約されているという

常識的な理解を越えるもの





私は一人旅中に海外の病院も受診しており

世界中の医師達が私の背負う事に驚愕するのに対して


近しい人含め

関わったほぼ全員からかけられた無理解な言動は

私に深過ぎる悲しみを残し続けました



でも、私の中では

世界中の誰より踏ん張った


と言う大きな誇りを

小さくまとめて自分の中に納めています

 



〈親ガチャ〉
と言う言葉が世の中に出るよりずっと前


〈沢山の魂達は空の上でどこに行くか考えていて

『あそこは楽しそうだから行こう』

とか

『あのお母さんは悲しそうだから慰めに行こう』〉

と言う風に自分で選んで行っていると言う文章を見つけました


それは不遇な環境を親のせいにする事なく
自分で変える努力をしたり
這い上がれ

と言う意味に感じました


私もそのように生きて来ました


第3者からの余りに理不尽な言動を全て許せと言う意味ではないけれど…


どんな事をされても

清い魂を汚す事は誰にも出来ない

と思っていた私の想いと重なり30代の時に購入したクッション

ずっと飾っている


永遠に自由







◆この旅行記は、複数の病の闘病中に


3人の医師からドクターストップが掛かりながらも夢を叶える為に出た一人旅で

当時投稿していたSNSを載せながら


今振り返って思う事も書いています


…………………………………………………………


借金と虐待で身体も心も痛く寒く

人生が変わってしまう幼少期を過ごし


1人暮らしの今の家で
寒さをしのげる事に感謝している事


保護猫を引き取り
動物用の酸素ボンベを自宅に置いたり

あらゆる可能な限りを尽くしたけれど救えなかった命


〈環境〉

の重要性を感じていて
それにより生き物は寿命も変わる事を書いたブログ

 

 今、目の前にある全ての事は当たり前ではない事
 
生き物が生きるには必要な事がある事
 
力による争い、恐怖や悲しみ
 
罪のない人、生き物が犠牲になって欲しくない思いで書いたブログです

 


 

 
◇この旅の続きです


イスラエルからヨルダンに車で入国した後
目的地まで1度もトイレ休憩がなく
トイレの我慢が限界値だった私は


「I’m seriously almost dying.」
まぢ死にそうな位辛い


とドライバーに伝えて


崖から滑り落ちそうな岩だらけの山の途中で


「外でトイレさせて欲しい!あなたは見ないでくれたらいいから」


と猛烈に悲願したけれど


『後1時間で着くよ~』

と繰り返し言われっぱなしで
真剣に身体が限界で
もう病気になりそう
緊急事態だと伝えているのに外でトイレさせてくれないのは



「イスラム圏だから外でパンツを下ろすのは
アッラーの神に背くからなのか⁉️😱💦」


と当時、車に乗りながら真剣に考えていました



飛行機でしか他国に出入国した事がなかったので

トイレが無い専用車で国境越えならば
予め所要時間を確認しておくべきでした


ただ…
例え確認していたとしても
海外の良くも悪くもいい加減な文化で


『1時間で着くよ~』

と言われていた気もします😅

 
思い返しても末恐ろしい位
本当にあり得ない辛さでした😱💦
膀胱痛すぎました(大汗)
 


イスラエルから陸路でヨルダンに入国した理由は

エルサレム → ペトラ(ヨルダン南部)へは
航空路線が無く陸路移動が最も現実的だった

 



当時、イスラエル・ヨルダン間の緊張は比較的安定しており



エルサレム

→(車で約1時間)

キングフセイン橋 国境

→(ヨルダン側で車に乗り換え)

→ペトラ


だいたい4~5時間で到着

(私は5時間半かかった)



飛行機利用では同じ距離でも

8〜10時間以上かかることも珍しくない

費用もかかる

(地上移動、空港での待機、航空路線の制限)




旅のはじめにヨルダンの死海からイスラエルまでは空路を利用しましたがそれは

ヨルダンとイスラエルには陸路の国境が3つありますが


どれも観光客にとって手間があるため代理店は

航空便を推奨



死海(ヨルダン側)

→ アンマンの空港(Queen Alia International Airport)

は 車で45〜60分

とても近く移動が楽



:イスラエルに入国する際は空港のほうが手続きがスムーズ




✦ ベン・グリオン国際空港(テルアビブ)は


イスラエルの主要入国ポイント


セキュリティが標準化されている


外国人旅行者に慣れている


審査を短時間で処理しやすい



「死海 → 飛行機でイスラエル入り → エルサレム → そこからペトラへは陸路(キングフセイン橋)でヨルダンに戻った」

という 



“飛行機 → 陸路”

 の組み合わせになりました



ペトラは ヨルダンの南部 にあり

エルサレムから1番近いキングフセインゲートからの移動は一般的です




ただ

◇陸路国境の問題点


待ち時間が長い(2〜4時間は普通)


荷物検査が非常に厳しい


ビザ処理が複雑


車で直接通過できないため国境で車を乗り換える必要がある


国境の混雑状況が読めず日程に影響しやすい




◇トイレ休憩が無い理由は


道中に観光客用のトイレ休憩ポイントがない


国境周辺 → 砂漠地帯 → 田舎の道路




・清潔ではない

・安全でない場合がある

・観光客の車が停められる作りになっていない



日没前にペトラに着く必要がある


運転手は“止まらないのが普通”と認識している



なので極限までトイレを我慢する事になりました



……………………………………………


そして

我が家に居る小さなお猫の肝臓機能が


保護して我が家に来た当初は


〈異常値〉


でしたが



※人工的な添加物が入っていない食事に切り替え

※毎日の適度な運動

※精神的な安心感



を飼い主としてコツコツ続けていたら


〈正常値〉


に改善され



人間も生き物も〈環境〉による身体への影響を改めて気付かされた事も書きました



人間も動物も

身体と心は正直で


嘘がつけないんだな

と私の病状もお猫の血液検査からも痛感します


 

2人で1日でも長く共に生きれるよう

試行錯誤しながらこれらの習慣を続けていきます



それが私への1番の薬で緩和ケア

お守りになっています



 

この旅行記は

長旅をしている最中にその場からリアルタイムで投稿した記事 


 翌日以降に、滞在中のホテルで振り返って書いている投稿 


帰国してから書いている投稿 


等々、様々あるので時系列がズレる時があります

 
……………………………

 9月20日

 
 
おはようございます&こんにちゎ!
 
 
今日は〈世界遺産〉の
 

【ペトラ遺跡】
 
 
に行くべく

朝4時起き
 
 
眠いっす、、、
 
 
私はだいたい、いつも眠いっす
 
 
ずっと乾燥地帯にいて
凄くハエが多い!
 
 
でも彼等は人間の顔にしか、くっついてこないから年中ハエを皆が払ってる(*_*)
 
 
アフリカの映像とかで
ハエが人の目や口元に沢山張り付いてるのに
 
それを払う気力ない子供達が映ってるけど、本当だ!
 
 
ハエは人間の顔の皮膚の水分と
目の水分を吸いにブンブン寄ってくる、、、(-_-)
とガイドさんから教えて貰った


そうゆう理由があるから顔にハエが貼り付くのか!
と腑に落ちてお勉強になった
 
 
ネットでもかぶりたいゎ(笑)
 
ではではみなさん今日もお仕事頑張ってくださいねっ!
 
…………………………
 
ペトラ遺跡入り口
 
 
 
 
 

 ペトラ遺跡の入り口付近は 砂が白いです


 
 
 
 

徒歩はぁ…
朝の8時前でこの暑さ


正確に何キロ歩かなきゃならないか分からない…



そんな時 幼少期に
私は遊園地とかに行きたいのに


両親に無理矢理連れていかれた
登山一家だった我が家の苦い思い出が頭をよぎる…


一旦登頂したら


「もう疲れて歩けないの~」


なんて、お姫様みたいなことを行っても
タクシーもヘリも決して来てくれない



足の指から血が出ようが

膝のお皿が割れそうになるほどの激痛が走ろうが

日が沈む前までに下山しなければ命に関わる

何故なら、真夜中の山は決して歩けない



月明かりもわずかな中

方位磁針でも持ってない限り

人間の習性で、真っ直ぐに進んでるつもりが


大きく円をかいて歩いてしまい
また元の場所に戻ってしまうんだ…



でも、私はこの毎回の登山の中で

両親に混ざり小学生ながらも


時間内に決まったことを

誰にも頼ることなく

弱音を吐かず

忍耐強く一歩づつ

足元に集中しながら下山して

己の力だけでやらなければならない時がある!!!


と、強く思い


思い返すと
その習慣が
それから歳を重ねて行くあたしにとって
とても大きな学びとなったのは確かだ


出国2週間目で
すでに半分の1週間はドクターストップ通り
体力低下でぶっ倒れている…


そんな体調には2度となりたくないし

ペトラ遺跡は歩く
ともかく歩く!!!



それこそ、帰り際
「もう歩けないの…」


なんて言っても
そこにラクダやラバがいる保証はない…


この体で引き返せない
なんてなったらシャレにならないわ!

と、即座に思いお馬さんに決定したのだけど…



可愛くて、愛おしくて仕方ない


でも、その日暮らしのジプシーさんの馬だ


「お腹は減ってない?
ちゃんとご飯は食べてるかい?水は飲んだの?」


と、お馬と二人だけの会話をしてたら
あっという間に時間が過ぎて





ソロソロ乗ってよ!!

的な雰囲気に、ハッ!
っとして乗るのでした^^


乗ってからもいっぱいじゃれてナデナデしてた笑


動物って、いいよなぁ…


気分は爽快
お馬さんのおかげで心はあったかい


ジプシーさんの笑顔も優しいのよ


ワクワクの期待と
出だしの満足感ですでに幸せオーラ出てるなぁ~


そんな事を考えながら…


基本的に動物は全般大好きだし
ネコは大好きX1000だけど…



人間が歩いたほうが早いんじゃないの?!
って、まるでおままごとのような馬には乗った事あるけど


ここではジプシーさんは手を離して自分で馬を操らなきゃならない
(遊ばせてくれるのよ)



自分なりには行き先を
馬さんに指示してるんだけど

違う方向行っちゃったり
じゃり道の際にどんどん行っちゃって

反対を向かせようとすると
さらに端まで行って



じゃり道から
ズルズル==って落ちて


ジプシーさんが慌ててヘルプにきたり
ともかく楽しかったな!




1人で馬の操作ももちろん初めて

日本で乗馬体験をすると

スタッフが馬のたずなを引いてゆっくりだから

私的にはスピードが足りないと言うか…

もっと、リズミカルに行きたいのよ
ずっと、そう思ってた


だから、調子に乗って
ふくらはぎでお馬さんのお腹をポンポン叩いて

たずなに力入れて

「はいやぁー!」

てやってみたら早足で走ってくれたけど…



腹筋も背筋もないから自分の体が支えられないの…

クニャクニャしちゃって、バランスが全然取れなかった…
改めて運動不足、筋力のなさを実感ですわ…


でも、お馬さんと共に歩けるのもほんのわずか…


1~1.5キロ位かなぁ
キャッキャはしゃいでたら速攻終了ーー!!


『ハイ!チップ下さい!!^^
気を付けて行って来てね~!』


てな感じで


『次の客、次の客!!
9月は稼ぎ時なんだよ~』


って感じで
馬にまたがり
砂ぼこりの中ジプシーさんは駆け抜けて行った…





まるで映画のワンシーンのような気持ちで見送ったよ…


小学生の時から、女の子同士で着せ替え人形遊びするより


高い木を上だけ見上げて登ったら
凄い高さになってて…
降りられなくなちゃった…苦笑


ってな、カンジでおばあちゃんを心配させてみたり


公園を走りまくって男の子と一緒に隠れんぼして
無茶してスッころんで
いつも膝小僧は擦りむいてたな…


公園の1メートル位の高さの木々の中に空地を作って
みんなに秘密の基地にして見たり笑



そんな子だった

学校と両親の帰宅までの数時間
唯一、笑える時間だったかな…
 



 
 
 
 
 

 
 
 
 
ここ、世界遺産ペトラは
 
〈新、世界7不思議〉
 
にも登録されていて
 
 
 
16世紀までペトラは西洋世界から完全に忘れられ
 
それから300年後の
1812年にスイス人の探検家ヨハンが
 
 
噂に聞く
 
〈失われた都市〉
 
に連れて行くように命じて
 
 
彼は手帳に
 
 

『ワディムーサにある遺跡、これが古代のペトラに違いない』

 
 

現在はユネスコ世界遺産として保全していくために

 
全ての観光施設はワディムーサに設けられてる
 

 
 
そして
 

《ペトラ遺跡を全てを見尽くすには5日間かかる》

 
 
と言われるほど、広大な敷地なので
 
途中でロバ
ラクダ
馬車
 
 
などが、ジプシー達の収入源として観光客の足になっている
 
 

(こうゆう馬車?のような乗り物もあった
2人で来ている方々には、1人乗りの馬やラバより良いのかも)
 

(私がお馬に乗っている最中に、颯爽と走り抜けて行った馬車をカメラにカシャ👀📷️✨)
 
 

あたしも
 
ロバをもっと強くする為に 
ロバと馬をミックスさせた
 
 
〈ラバ〉
 
にも途中乗って体力温存させてもらった
 
(こちら、ムービーからのスクショなのでボケていますm(__)m)
 

 
ラバ君です
 
小さくて、痩せていて、乗るのが本当に申し訳ない気持ちになった
 
過酷な労働を強いられているような気持ちになってしまって
 
 
  

(しかも、ラバと人間を繋いでいるのが
 

《鎖》

 
これは
 

《本当にナイな!》

 
と、悲しくなった
ラバからしたら、痛いと思うし、違和感があると思うんだよね)
 
 
(私の目線から見た、ラバの飼い主のジプシーさん)
 

でも、あまりにもロバも
ラバも
 
か弱くてスキニー(痩せてて)切なくてチップを沢山あげた!
 
 
「必ずあたしが乗ったこのシモ(ラバの名前ね(笑))にいっぱいご飯をあげて!」
 
 
と約束して…
 

あたしは本当に動物には弱い

 
 

募金も、日本で盲導犬の募金ばかりしてるなぁ…

 
 

動物って人間によって愛されもするし

 

見放されもするし

 

動物自ら自由を選択出来ないから

 

せめて大切に扱ってあげたいじゃん

 
 
気持ちは通じあえるけど
 
最終的な細部の言葉や気持ちまでは理解してあげられないから
 
愛情でカバーしてあげたいよね!
MAX (>_<) !!
 
 
 

(入り口を入ったらしばらくこの風景)
 
 

(仮装した方が居るの!Σ(゚ロ゚;)
 
と、凄く観光地化されているんだなぁ~
やっぱり有名だもんねぇ、この景色…
 

と、よくヨーロッパで仮装した道化師さん達に会ってきた事を思い出した
 
 

正義は勝つ

人の心も動かす

でも、凄く大きな痛みと代償も伴う

 
時には命と引き換えに...
 

と言うような内容の映画が凄く好きなのだけど
 

繰り返し観ている映画
  

《グラディエーター》

 

を真っ先に思い出した!
 

 

◆【幾度も立ち上がれ羊が獅子となる日まで】

 
 

これは映画の中で主人公のラッセル・クロウが
困難に立ち向かう場面で放つ言葉で…
 
 
私が生きてきた
生き方みたいな想いと重なり
強烈に胸に刺さり
一瞬で暗記した以来ずっと覚えている言葉)
 
 
 
 
 
 
 

(歩いている方々も多いのだけど
ペトラ遺跡は本当に広大な広さがあるから
 
徒歩だと
一場奥にある
 
有名な映画に登場してない方の遺跡…
 
までとても辿り着けない
 
 
ペトラ遺跡の中には宿泊所がないから、途中で引き返して帰らないとならなくなるから) 
 
 
 
 
(全ての道のりで馬やラバに乗れる訳ではなくて
 
歩かねばならない場所もある
 
ペトラ遺跡に向けて、長い長い道のりを歩いていたら…
 
 
なっ!!!!( ; ロ)゚ ゚
 
なんとっ!
 
こんなカラカラに渇き切った土地にニャンコ親子が...…
 

「どうやって生き延びてるの?」
 
「水や食べ物はどうしてるの?」
 
 
と、一瞬で頭の中を心配の感情が駆け巡った…
 
 
「食べ物になりそうな物を何も持っていなくて
ご飯あげられなくてごめんね😢」
 
 
と、少しだけ触らせてくれたニャンコ親子に寂しさを引かれながら後にした…
 
どうか、空腹になる事なく生きて欲しい
と心底願った)
 
 
 
 
(ちいちゃい赤ちゃん猫
ママはミルクを出す為に栄養が必要だよね…
と思った)
 
 
 
 
 
 
 

 
 
1時間はゆうに歩いただろうか…
 
両サイドにそびえ立つ岩壁と

道が細くなったり、広がったりを繰り返すだけの景色でも
全く退屈しなかった

 
足を進める度に
違う表情を見せる地層やうねり達
 

初めて目にするこんなにも美しい地層のグラデーションと

 
岩なのに滑るようになめらかな曲線を描いて広がって行く
 


何千年もの間、ここペトラを守り続け
 

どっしりと構え、通り過ぎて行く人々を見守ってきた歴史の産物
 

岩の隙間から、かすかに差し込む自然光すら
神々しく感じる…


それだけ、本当にこの壁は高さがあるんだ!!!
 


歴史の宝物の地層たち
 
これだけの高さが出来上がるまで
一体どれだけの年月が掛かっただろう…
 


その、1層1層に
 
「綺麗だなぁ~!」
 
 
の一言では、余りにも表現が軽くなってしまう
 
 
歴史の深く重たい真実を目にすることが出来ている
 
 
この、環境に心から感謝しながら歩みを進める
 

ついに…
この細い道からうっすら映るペトラの姿
 

ついにペトラ遺跡の全貌が目の前に現れる瞬間があたしを待っている!!!
 

ボルデージはもう最高潮


喉の渇きも
休憩する事なく1時間歩いた疲れも
全て頭から消える

時間が止まる瞬間が来たんだ!
 

この、岩の隙間から覗くペトラ遺跡様のお顔の一部が、あたしに心の準備をさせる!
 

ついに、来たんだね!
この瞬間!
この気持ち!
 

抑えきれないワクワクセンワー!
飛び出しそうな期待感で、周りの景色は真っ白にすら感じる!!
 

ただただ、この少しだけ見えるその風景にだけ
意識も目線もフォーカスしてる
 
 
 


ついに、出逢えたペトラ様

今まで沢山の世界遺産を見てきた! 


でもここまで、出逢う瞬間にボルテージが最高潮になったのは初めてだ…


きっと、ここに辿り着くまでの過程から
いろんな歴史を考え


ここがその昔、海の中にあった事を考え


ひいては地球のあり方についてまで考えて

1時間もの間
頭は想像と現実のはざまでいっぱいだった



そして、辿り着くまでの1時間半…


全く長さは感じさせなかったが
歩みを進める一歩一歩には今までには
感じた事のない貴重な重みを感じていた 




 
 
 
 

 
《世界遺産》
 
 
であり
 
 
《新、世界7不思議》
 
 
にも登録されている
 

ペトラ遺跡のメイン遺跡

 
 
高さは計り知れないほど高く
 
遺跡自体にもダメージがなく
 
 

2000年前に造られた遺跡が今もこんなに完全体として残っているのは非常に珍しい!

 
 

ローマ帝国も
ギリシャ遺跡も
 
 
崩れたがれきのようになってたし
 
 
アジアのアンコールワットなんかもっと痛々しかったな…
 
 
そう考えると、壁道をひらすら歩き
誰にも見つからない秘境の奥地にあったこの遺跡は
 
 
戦争などに巻き込まれる事なく
 
 

ひっそりと誰かに見つけてもらうのを待ってたのかもしれないな、、、

 
 
観光客が増えたのもここ2年で増えたそうだ
 
 
それまでは、世界で話題にもなっていなかった
 
 
なんてアメージングな場所なんだろう!
凄かった!
  

 
しばらく遺跡を眺めながら
その余りにも美しく原型をとどめているペトラの宮殿は
 
 
私の頭の中で
この場所がいかに華やかに栄えていたか
 
 
当時の風景をイマジネーションするには十分すぎる程の美しさ
 
 
「ああだったかもしれない。こうだったのかな」
 
 
 
この、どっしりと構えて凄い高さがあるのに
こんなにも品格があり
温かささえ感じるのはナゼだろう…
 


この色味のせいだろうか…
 
あたたかくて立派な宮殿
 
 
 
 
朝の光に照らされた宮殿は
今もなお生き生きと輝き
 
 
まるで神様か、女神様が見守っていて
微笑んでいるかのような
 
 
優しく流れて行く空気感を持ってる
 
 
柔らかく、強くたくましい品格のパワーが眩しい位なんだ!
 
 
目をつぶれば
今にも華やかな衣装を身に付けた
当時の貴族たちの笑い声が聞こえてくるような
  

錯覚さえ頭をよぎる…
 
 


世界中でいろんな遺跡を見てきた
 
 
でもやっぱり
 
〈遺跡〉
 
と言うには何千年と言う月日が過ぎ去り
複雑な歴史にもまれながら
 
 
形は崩れかけながらも
その当時、そこで起きた事をどうにか伝えようとしている…
 
 
そんな、目には見えないメッセージ性を発しながらその形を今に残してきた…
 
 
そんな、少しの哀愁さえ感じる遺跡ばかりだった
 
 
 
〈遺跡〉
 

と言われるのだから
当然、遺跡が黙って見てきた年月の数は
0がゆうに3つはつくような年数だ
 
中には、紀元前の物もあるのだから…
 
 

 
(かなり朝早くに出発点したので、まだ人が余り居なくて、静かに眺める事が出来ました
 

お日様も、まだ昇りきっていないので
薄暗い雰囲気も
幻想的で、素晴らしかったです)
 


 

(薄暗いと
 
よく目にしてきたペトラ遺跡の写真風景とは別物のように感じ
 
1つでこんなにも景色が変わるんだと
 
 

改めて地球と自然の営みを感じます

 
 
周りを取り囲んでいる高い岩が
お日様の光を遮断しています)

 
 
 
 

(メインのペトラ遺跡の前は、広い広場になっていて
お土産屋さんやヨルダン風のカフェがあります)
 

 

(キャッツアイだ!👀
中東っぽい!
と、このメイクに憧れる)
 
 
 
 
 
 
(入り口からは少しだけ馬に乗り
 
途中からはペトラ遺跡の第一関門まで
徒歩でずいぶん歩いたからお土産屋さんで少し休憩
  
 
そしたら、また猫さん発見!👀
 
 
こんな乾いた土地で、どうやって生き延びているのか心配しか湧かないけど
凄く人懐っこい
 
 
お膝に乗ってきてくれて
久しぶりに猫の温もりを感じて
 
 
ジィーン…ジィーン…
と胸に染み入る感激を味わっていた
 
 
やっぱり猫は神様!
とばかりに、この姿勢のまま何時間も座っていたい…
 
と思ったら、しばらくしたら外に行ってしまった)
 
 
 
 
(私のお膝に乗っていたお猫さん。(=゚ω゚=)
 
ニャンとぉっ!
 
ペトラ遺跡の前にある、凄く広~い広場のど真ん中で
 
 
恥ずかしげも無く、誰の事も警戒せずに
 
 

チーチー(オシッコ)

 

 

始めちゃって、目が飛び出る程驚いた!(o゚Д゚ノ)ノ

 

 

 

岩の端っことか

目立たない所ですると思ったら

 

本当に広場のど真ん中で用を足していた💦

 

 

人間に虐められたりしてない証拠で

こんな事もあるんだ!

と、嬉しくなった)

 

 
 
 
(ペトラ遺跡のメインを通過した後は、またしばらく徒歩
 
 
次は遺跡の最上段を目指して行く
 
 
道の途中には、遥か昔に人が住んでいた
岩をくりぬいて作られた家がポツポツと並ぶ
 
 
水や食料はどうしていたんだろう…
 
と、こうゆう場所に来る度に
歴史に触れては
様々な思いが頭を駆け巡る)
 
 
 

 

 

どうしてこんな地形が出来たのだろう…


そして、どうしてこんなにでっぱたり

引っ込んだりしながら細い道があるのか


道も急に細くなったり

広がったりさまざま



ここは、その昔、昔のそのまた昔…

海の中だった



2週間前に訪れた

 

「死海」

 

は、世界で一番地表が低い水場とされていて

だから酷暑になる




ちょうど、日本で言うなら京都や奈良の様に

 

周りを山々に囲まれた盆地のため

余り風が通らず、夏は暑く、冬は寒い

 


に、とても似ているかもしれない




何でかって言うと、私が訪れたのは9月

 


拭っても拭っても、もう意味はナイ

ってくらい、服も髪もビショビショになる



でも、ヨルダンにも四季はあって

 

 

冬は雪が降り

ミドルクラス以上の家なら暖炉が付いていて寒さをしのげるけど

 

 

気温は氷点下になる時もあるそうだ

 


フッと…頭をよぎる


じゃあ、今まで見てきた

 

すれ違ってきた

ここペトラ遺跡でラクダやラバの乗り物

 


お土産を売って

 

 

毎日の保証はなくその日暮らしの

沢山のジプシーさん達はどうやって冬を越すのだろう…



家は、木の枝を軽く組み立てて黒いビニールで囲ってあって

風になびきながら

バタバタとビニールが揺れてる隙間風が入るような家だったよ…



トイレや風呂はなく

 


水をくんで

沢山の山羊やラクダを飼いながら

点々とエサを求めて引っ越しを続ける人生…

 



この国から、一歩も外に出る事もなく…

 


でも、彼等にはそれが当たり前で

 

 

広い豪邸に住み何不自由なく暮らしているが

家族のコミュニケーションを取る時間もなく

どことなく寂しい…


そんな先進国の人々の笑顔より

優しくて輝いていて

 

話が好きであったかいピュアなハートを持っていた


心に響く

その日を

与えられた人生を精一杯生きている


ダイレクトに伝わるそのオーラは

 

 

私に

「生きる」

楽しみや、喜びを伝えてくる…

 

 


彼等の背中から感じる

幸せに暮らすために必要なものは

多くはないんだと言うメッセージ


確かに、私の中で受け止めました!

 

諦める程

吹き出す汗

 

湿気がないから

気温が高くても爽やかなはずなんだけど

 

 

肌がヒリヒリ

おでこはジリジリと

 

ゆっくり焼き魚にされていくようだ!


日焼け止めも綺麗に、全部汗で流れ落ちちゃうだろう…

 

 

 

◆この旅行記は、複数の病の闘病中に

3人の医師からドクターストップが掛かりながらも夢を叶える為に出た

一人旅 を振り返る投稿をしています

 

 ……………………………………………


私自身が何十年と闘病してきて

瀕死の野良猫を保護したら



獣医学書に治療法がない難病


肝アミロイドーシス

 

で、24時間苦痛しかないので

安楽死の対象だったと分かり2人とも苦しんだ事

  


《死を意識して〈生〉を生きる》



見える景色も


感じる事も変わり  


あらゆる事の貴重さが分かる事


 
 

 借金と虐待で身体も心も痛く寒く

人生が変わってしまう幼少期を過ごし


1人暮らしの今の家で

寒さをしのげる事に感謝している事




保護猫を引き取り

動物用の酸素ボンベを自宅に置いたり

あらゆる可能な限りを尽くしたけれど救えなかった命



〈環境〉


の重要性を感じていて

それにより生き物は寿命も変わる事を書いたブログ



 

 

今、目の前にある全ての事は当たり前ではない事


生き物が生きるには必要な事がある事


力による争い、恐怖や悲しみ

 

罪のない生き物が犠牲になって欲しくない思いで書いたブログです

 

 

 

 この旅行記は

長旅をしている最中にその場からリアルタイムで投稿した記事

 

翌日以降に、滞在中のホテルで振り返って書いている投稿

 

帰国してから書いている投稿

 

等々、様々あるので時系列がズレる時があります

 



旅の1部です

 

 


↑このブログで

世界中で常に何かしらの理由で

紛争、戦争


が起きているけど

日本の時事ニュースは報道しているのかな?



と書きました



時々チェックしていた日本の時事ニュースで

ほぼ報道されない事に

違和感を感じていました




これでは関心を寄せる事も

支援や募金するきっかけもなく

とても残念な気持ちでした



私は日本では世界中の時事ニュースを扱うBBC、CNNチャンネルをよく見ていて



海外旅行でテレビをつけても

やはり世界中に目を向けた悲痛なニュースは報道されている



なのに



「日本は何故?」



とアメリカのニュース番組を見ながら

感想を言っているムービーを

当時SNSに投稿しました



頻繁に海外出張に行っていたり

海外に関心がある人は

同じ気持ちの人も居ました

 


↓過去の投稿です

BBCニュースでは紛争の現地にいる特派員と
スタジオにいるキャスターが
この事について質疑応答しながら話し合っていて

視聴者に分かりやすく現状を伝えています



〈世界中の時事を伝える本当の専門チャンネル〉


が日本に1つくらいあってもよいのにな


と長らく思ってはいます




リアルタイムに近い報道を常にしていて

世界中で起きている事が分かり
私には心に刺さるものでした



↓時事ニュースに見入って疲れたら
旅チャンネルを見て気分転換していた私にくれたコメントや

私が海外のニュース見るのはお勉強になるからと勧めているコメントだったり


日本のニュースは…
と同意してくれるコメントもあり


無意識の中に置き忘れられて
辛い経験を繰り返して来た私には


辛い事柄に意識を向けてくれる人も居る事に
安堵の気持ちも沸きました






前回のブログで
我が家にいる小さな猫さんについて触れました


先代の保護猫と同じ症状として

 

身体を凄く痒がるので


遺伝により
肝アミロイドーシスになる不安が付きまとっています


血液検査の結果を見ると
  

保護した当初は
肝臓機能の働きを示す項目が


〈異常値〉


私は真っ青になりながら
獣医師さんに先代猫の経緯を話し


予防するには何をすべきか考え続け
コツコツ続けていたら


〈正常値〉


になりました
(今回の数値は誤差の範囲で
他も問題ないと獣医師に言われましたがこの先も気を付けます)



加齢と共に悪化する可能性が高い中で
改善した心当たりは

  

食事の見直し

本来の猫は食べない人工的な添加物と小麦粉を避けたカリカリ
 

野良猫だったからか水を飲まないので

総合栄養食のウェットフードと

食い付きを良くするオヤツのウェットを水で1.5倍に薄めて水分補給


  
ウェットにほぼ入っている
増粘剤
増粘多糖類


これは本来猫に不要なもので
長期的に臓器に負担をかけ
嘔吐にも繋がり

吐くと私が不安になり精神衛生上良くないので
極力入っていないフード選び
 

毎日1時間の猫じゃらし
(私が体調増悪の時は休みながら)


毎日適度なスキンシップと声掛け


安心できる環境作り



そして
野良猫から家猫になり  

〈環境〉

が改善し



✓ 無添加・高品質フード

✓ 総合栄養ウェットを水で1.5倍薄め → 理想的な水分補給  

✓ 毎日の猫じゃらし1時間 → 行動学的にも最高の運動量

✓ コミュニケーション量の最適化 → ストレスホルモンを減らす



これらは

〈猫の健康長寿研究〉

で示されているリスク軽減行動そのものだそうです



今の小さな子が健やかで長く共に過ごせる事は


全ての治療法がもう無い私の病状改善
緩和ケアの唯一と言って良いくらい
精神的な安らぎとなり
重要な意味を持つので



私の為に
後悔の理由をこれ以上作らない為に

お猫の為に
お互いの為に続けています



安心できる精神、食事、運動、睡眠
(野良猫は常に警戒心があるので良く眠れない)


これらの確保が
生き物にどれだけ重要な意味を持つか


改めて気付かせてくれました



赤いマーカーが肝機能の数値で
左から右に向かって
過去から現在です



この元気と
瞳の輝きが続いてくれるように
お母さん飼い主として
出来る限りをしていきたいです





 ━━━━━━━━━

 

長旅の最中

この日からムービーを撮り始めました



写真だと壮大さや緊迫感や

何もかも全然伝わらないなぁ…

 

と自分で撮った写真を見返して感じました😅

 

なのでムービーのスクショを載せてボケた写真がこの先のブログに出てきます🙇💦

 

 ………………………………………


◇9月18日、イスラエルのホテルをチェックアウト

 

 
 
今、チェックアウトを終えて
レセプショニストのおじさまと
 
このホテルでの滞在中の感想や
 

「昨夜、綺麗なお皿をプレゼントしてくれてありがとう。とても居心地良く過ごせたよ」

 
って話をしてた
 
 
 
(マニュアルのコピペの手紙ではなく
 
『この先もまだ長旅を続ける貴女の無事を祈ります』
 
と書いてくれている内容のお手紙だった
 
たくさんの宿泊客が居る中で
個人宛にわざわざお手紙を書いてくれた
 
 
「流石だな。口コミ通りの素晴らしいホテルだな」
 
と改めて実感した瞬間
 
 
そのホスピタリティーが本当に温かかった)
 
 
 
 
彼は
 
『次回、またいつの日か会える日を待ちわびて
 
私の旅の安全を願ってるし
 
次回来た時は僕がガイドをして
まだ見た事のないイスラエルに連れていくよ!
 
ありがとう!
マドモアゼル!』
 
 
って手にKiss してくれた
 

 
片言の英語しかまだまだ話せない私だけど
 
旅に出る度に少しずつ話せる単語が増え
 
感動と感謝を言葉でようやく伝えれるようになってきた(^o^)v
 

文句や苦情もね(笑)
 
 
3年前に一人旅をした時に誓った


「英語で自分がお世話になった人に気持ちを伝えるように絶対なる!」
 
 
その願いは、第一歩叶えられた!



 
まだまだ帰国しても自分が想像しているレベルまで英語のアビリティーを高めて行こう!
 
 

全ては、想い描く事から始まる
 

それがいつの日か自分の信念に変わるまで
 
 
そして、立ち止まらない事
 

あたしは歩き続けるよ!
 
 
 
 
 
(朝ごはんの時だけ利用したレストラン
 
テーブルのお花。お上品です
 
 
ユダヤ教の安息日が明けて、普通のご飯が食べられるようになりました
 
ヨルダンの死海の時みたいに
大盛りを食べたいけど
お皿が小さくて何回も取りに行った😅
 
何もかもがお上品)
 
 

(重症の熱中症になり動けなくて
朝ごはんの時に塩を舐めていたけど
 
まだ治らないから
 
「糖分も補給すれば治るのでは?」
 
と、チェックアウトの朝飲んでみた
部屋の冷蔵庫に入っていたジュース)
 
 
 
(熱中症で、ほぼ寝た切りで過ごしたイスラエルのホテルの部屋)
 
 
(綺麗なプールに入る事なく、イスラエルを後にする羽目になった...
熱中症…(;´Д⊂))
 
 
 

(ホテルのロビーの廊下に飾られていた写真
 
意味は分からないけど
軍隊の物騒な写真を見て
イメージが良くない複雑な気持ちになって通りすぎた
 
 
 
何故、わざわざ
6ツ星ホテルに飾ってあるのか
違和感が沸いた)

 
 

(せっかく身を守る為に
素晴らしい6ッ星ホテルに滞在したのだから
プールやお庭で寛いだりしたかった…
 

部屋から3日間、1歩も出られなくなる程
熱中症があんなに酷くなるなんて…
 
ナメていました
 

気温40℃、日影ナシを1日中歩くとどうなるのか…
 
悔やんでもチェックアウトの日は来ます…(*T^T)

 
 
(気持ちだけプールに入っていた
足だけ入った
子供用プール)
 
 
 

 
(嘆きの壁にて、イスラエルに来られた事に感謝)
 
 
 
 
………………………………………
9月18日、陸路で国境越え
イスラエルから再びヨルダンへ
 
 
おはようございます(^-^)
 
 
今日からお仕事ですね!
 
みなさん充実した時間をお過ごし下さい♪
 
 
こちらは朝の8時です

今日は車で国境越えをします

 
 
 
(この車で移動します)
 
 
 
初めての経験なのでワクワク!
 
 
と、行きたい所ですが
 

昨夜また熱中症になり

 

頭痛と吐き気で体が重くて、、

 

 

思わず海外での対処法を母に聞いてみましたが
 

『医者に行けば?』

 
と、アドバイスされる以外分からず…
 
 

(イスラエルの病院なんか行ったら、連れ去られて出てこられなそうだし(゚A゚;)と思い)

 
 
 
今までの旅も、同じように灼熱の陽射しと気温の中で旅をしてきたし
 
 

本当に体力

免疫共にかなり弱っていて

 
 
1日、外出してるだけでこの体調になっていては
 
 
今日これから移動するエリアは砂漠地帯で…
 
もっともっと厳しい暑さに耐えられるか…
 
 
車で国境越えする時は国境では1台ずつ
 
 
出国審査
入国審査
をされるので2時間待ちは当たり前で、、、
 
 
国境を越えて次のホテルに行くのに半日は掛かります
 
 
 
イスラエルとヨルダンを繋ぐ、陸路の
出入国審査口
 
 
《キングフセインゲート》
 
 
に到着
 
 
ここで、出国、入国手続きをします
 
 
極めて簡単な、検査
 
 
田舎町??
と思うほど…
 

でも、外にはもちろん
 
重たい本気の銃を持った兵士さんだらけ
 
 
簡単すぎる出入国に対して全く、全然バランス取れてないような…
 
 
ここは、いいのかしらぁ~
 
と思って、写真をパシャリ!
 
 
凄い勢いで、またまた兵隊さんが登場!
 
 
『今すぐ、撮った写真を消せ
前後の写真も見せろ!!』
 
 
あ~
悪気はないのに、イスラエルの空港に到着した時と同じシチュエーション…
 
イスラエルの時は、乗ってきた飛行機が珍しかったから撮っただけなのに
 
かなりシリアスに兵士に迫られたよ!
 
 
でも…
やっぱり、ここでも私の好奇心は止まらない^^笑
 
ダメ!
 
って言われると、やりたくなっちゃうよなぁ笑
 
 

イスラエルとヨルダン間はシャトルバスを使って20分位移動しなきゃならない
 
 
(注意)重要
 
 
あと、パスポートに
イスラエルの入国、出国印があるとドバイ等は仲が決裂してるから入れなくなる
 
 
だからパスポート以外の所に印鑑を押してもらわなきゃならない
 
って中東の先輩のから教えて貰ったお陰で助かった!
 
無事に、ヨルダン入国完了^^パチパチ
 
 
 
 
キングフセイン国境を出発して間もなく
想い出深い
 
戻りたい場所の1つ
 
 
死海が見えてきた…
 
 
死海って、デッカイんだなぁ…
 
 
つい2週間前まで死海に居たのに
もう1ヶ月位経ったようだよ…
 
死海を横目に結構なスピードで30分は走った
 
本当に本当に大きいんだ
 
地図だと、豆みたいなサイズなのに…
 
 
世界は広いなぁ…
と感じる瞬間
 
 
あたしは、この瞬間が好き
 
新しい発見が出来た証拠だから^^
 
 
 
 
(こんなカラカラに乾いた大地にある入国審査のエリアに、免税店が…Σ(゚ロ゚;)
 
このような場所で何かブランド品を買う方が居るんですかねぇ…
と驚きを隠せず)
 
 
 
気力だけは相変わらず十二分にあるので
体がついて来てくれる事を祈るばかりです
 
 

昨日、行ったパレスチナ自治区にある

イエス・キリストの誕生した教会は

 
 

【文化世界遺産】

 
 
として登録され
 
 

今日から行くエリアも、もちろん世界遺産です

 
 
どうか、体力が持ってくれますように…
神のご加護を頂きます(T-T)
 
みなさんは、お仕事頑張ってくださいねっ!
私も頑張っちゃいMax !!
 
 
 
 
 
 
 
 
(こんな1面乾いた、砂しかない風景がひたすら何時間も続いていく…
 

そこに、急にポツンと現れる民家らしき家…
 
周りには一切、人気もお店も
水も無いのに一体どうやって生きているのか…


想像が出来ない世界だった…)
 
 

 
 
(この風景を通過している数時間は、ケータイもスマホも一切の電波が届かなかった
 
Wi-Fiは繋がらなくとも
僻地でも
 
国際電話と見なして、1分間に数百円の通信料が掛かる
 
《ローミングサービス》
 
と言う手段を取れば、誰かに電話をしたり
インターネットに接続が可能な場合が多いけど
 
 

この一帯は全てが遮断されて、怖かった

 

 
こんなに明るい昼間なのに

凄い恐怖感に教われた

 

 

ドライバーと私しか居ない2人きりだから


何か起きても、誰にも助けを求められない怖さがずっと消えず

強い緊張感に張り詰められた)


 
 
 
 
 
 
 
 
 
死海への余韻も束の間
だんだん荒野が広がっていく
 
 
乾いた乾燥地帯になっていく
 
 
ジプシーの家もまばらになり
岩と荒野以外何も見えなくなった…
 

唖然とした
 
 
同じ地球に
 

こんなに飾りっ気のない自然剥き出しの
 
 
人間にとっては住みにくい土地がこんなにも広く広く手つかずのままあるんだなぁ…
 


でも、もう3時間位凄いスピードで車飛ばしてます…
 
 
もう、熱中症と脱水症状になるのが嫌だから
よく水を飲むようになってた…
 
 
時間も、昼になってたから、鞄の中のリンゴを食べていた
 

 

 辺り一面何もない、乾いた荒野なんだよね…


底の部分は、もう水が吸収出来ない位に石のようにカッチカチ


それに加えて、地表だけは強い風で砂ぼこりや
砂嵐が頻繁にある


一日、外に出ていてホテルに帰ってきて

思わず首や腕の流れ落ちる汗をタオルで拭いた時があった


ドヒャー!!

こんなのスパルタでテニス部に入ってた中学生以来ないよ(><)
タオルは真っ黒だった


素直に驚くしかなかった

そして、納得もした

世界はまだまだ広いんだ


見果てぬ土地を巡りたくて旅をしているのに

砂ぼこりまみれくらいじゃ
驚くうちに入らないな。…って



何より、この環境で一生を過ごす人の方が地球には多い


その環境の中で洗濯をしたり

水を大切にしながら


真夏の40度の中でも
しっかりとした厚手の衣類に全身を包み
ドコにもスキなんか見せず

涼しげな顔をして歩いてる沢山のイスラム教の女性たちは本当に凄い事だな



時に、理解が難しい時ほど
それは後から知識になり
大きな人間性を作ってくれる


新しい事を知る喜び

今まで目にしたことのない景色


ずっと、ここに滞在していたくなる



一週間から10日位では、表面をかじって終わってしまうからね…


でも、イスラム教の女性は本当に心からリスペクト


ある意味

あそこまで自分に近い場所に常に神様がいてくれる訳だから

そこまで強烈な信仰心を持っている人が少ない日本に比べたら

心強かったり励みになる時も多いんだろうな…
そんな印象を受けた


 
(辺り1面、石ころだらけの道がない場所も通過する)
 
 
 
 

(車で走っていると
たまぁに出没する何かのお店らしき建物や


周りには何も無いのに
ポツリと歩いている人が居る…
 

一体どうやって目的地に行くのだろう…
 
目的地らしき建物や家がまったく見当たらないのに歩いている…)
 
 
 
 
 
 
キングフセインから出発する前にトイレは済ませたけど
さすがに3時間も経つと、ソロソロおトイレ行きたいような…
 
怪しげな感じになって来た…
  


ドライバーさんに
 
「あと、どれくらいで着く??」
 
『ん~そうだなぁ…1時間位だよ!』
 
 
 
そっか…
 
 
1時間なら我慢できるかもしれない
 
ちょっとギリギリそうだから早めに着いて…
 
荒野MAX!!
お願いしまーすX10
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(ヨルダンに入ってからの道
砂利道で車が揺れまくった)
 
 


 
 

必死の我慢の甲斐あって
やっと、ホテルに到着
 
荷物も、ドライバーさんへのチップもあとまわしで
 
とりあえずおトイレに直行だよ!
 
こんなにトイレ我慢したの小学生振り??
ってくらい
 

 
行かせてもらえない切なさ
 
漏れそうになる必死の戦い!
 
そんなカンジっ(><)
 
 
トイレを済ませて、チェックインを済ませたらもう夜になってたよ
 
 
明日は、ついに
 
世界遺産
新世界7不思議
 
のペトラ遺跡だぁ~
 
しかし、朝ごはんから、水とリンゴしか口にしてなかったからお腹減った…
 
 
この日は車に5時間半揺られ
 
朝も早起きして荷造りしていて
 
 
 
さらに、車に乗ってるとは言え、やはり酷暑
 
そして、限界まで我慢させられたおトイレに
 
 
道なき道をガタンガタン揺れながら、
頭をゴツゴツぶつけながら
久しぶりに車酔いしながら…笑
 
 
 
やっと着いたホテル
 
 
 
死海の時も
ホテルにはお世話になって
温かくて、大きなBIGな愛を沢山分けてもらった
 
このホテルもいいホテルだといいな…^^
 
 
チャックイン中に、ホテルのスタッフから
 
 
『ホテル内にアイスクリーム屋があるよ』
 
 
って聞いてホテル内の説明を聞いてる途中で
 
 
「アイスクリーム屋さんに行きたい。食べたいんだ!」
 
って歩き始めてしまった
 
 
 
普段は、全く甘党じゃない私
 
スナック菓子とか、アイスやケーキはまず食べない!!
 
でも、この時ばかりは、体が要求した…
 
 
疲れた…
 
甘いものチャージしてって…
 
そして、アイスをお部屋にテイクアウトしたまま、
まずはバナナから~~
 
 
ん~~体が、喜んでる~
 
って、感想を最後に
 
 
寝てて、朝陽で目覚めた^^
 
 
 
どうやらバタンキューだったみたい。笑
 
気力はモリモリでも、体は正直だよね
移動って結構気付かないうちに疲れてたりするもんな
 
 
おやすみ。私
 
 
 
…………………………………………
イスラエルで滞在していたホテル 最終日
 

お部屋に疲れて帰って来ると、机の上にお手紙とプレゼントが!

 
 

今日が最後の宿泊だからと、綺麗なお皿が入ったプレゼントを贈って頂いた

 
 
さすがだな…
 
 
堅苦しくて
おてんばのあたしには少し息苦しい感じもしたけど
 
 

最初はイスラエルを警戒してたから

 
 
立地が良くて
一番セキュリティが凄そうな厳格なホテルを選んだからな
 
期待を裏切らないホテルでした
 
 
そしてまた


イスラエルも、私に多くの知識と言う遺産を残してくれました!

 
 

滞在中、私を助けてくれた多くの方々に心から信頼と感謝を捧げます

 
 
ありがとうございました!
 



 

………………………………………
9月19日 ヨルダン、ペトラのホテル
 
 
おはようございます(^-^)
 
日本の皆さんにはこんばんわ!

 
ホテルの写真とベランダから見た夜景です
 

今日の朝ごはんも、このホテルは賑やかでした(笑)
 
 
 
 
 




(ホテルのロビー)
 
 
(ホテルのご近所)
 
 
 
 
(ホテルのお部屋からの眺め
夜景モードで撮影しているから明るく見えるけど

肉眼だと凄く暗くて
ポツリポツリと灯りがついている感じだった)
 
 
 (ホテルの庭?のような場所)
 

スタッフがとっかえひっかえ
特に用事がないけどテーブルにやって来て話しかけてくれますが

 話が…長い、、、(笑) 


忙しい時間帯だから 何度もマネージャーらしき人に注意されてて

でも全く気にせず、すぐに戻って来ちゃう(笑)


まるでピュアな正直な少年のようで、 凄く愛らしくてかわいいけど


「あの~お願いだから食事させて。話してたら食べられないの(笑)」 


って… やっとこさ、部屋に帰ってきたと思ったら

4階で迷子…(-_-) 


今度はハウスキーパーのマネージャーに会い
 私の部屋を教えて貰ったら


 一緒に部屋に入って来て
1時間、 彼の家族の話や


『彼のお父さんは医者じゃなかったが
 病人を治したり
折れた骨を治したりするパワーがあり


 このホテルで、 遺跡から怪我をして帰って来た観光客を無料で治療して


次の日には完全に治してたんだ!

 しかし、3年前に亡くなったよ
 君をうちの家族に紹介するからおいでよ』 


とか


 ◆【私の部屋に老いてある大量の薬を見て】



 『アラビアの薬は全部自然から作られている薬で
どんな薬よりもパワーがあってすぐに治って

あなたは新しい人生を歩き始める…etc、、、』 


などなど


ひたすらおじちゃんは話し続ける事1時間



 さすがにぐったりしてきて


「お風呂に入ってもいい?」 

と言って話を終わらせた


 死海でも、 仲良くなったマネージャーは彼の家族に会わせたい
と言ってくれたから、そうゆう文化なんだね

 ナンパじゃないのはハッキリ分かるもん


 しかし、話が長すぎてビビった(苦笑)


 今日もこちらは灼熱MAXの気温40℃

 明日は1日中、日陰がナイ遺跡に行くから今日は昼寝

しかも、また熱中症にならないようにお部屋でね(笑) 

プールでお昼寝は熱中症になる(苦笑)