◆この旅行記は、複数の病の闘病中に
3人の医師からドクターストップが掛かりながらも夢を叶える為に出た一人旅で
当時投稿していたSNSを載せながら
今振り返って思う事も書いています
…………………………………………………………
借金と虐待で身体も心も痛く寒く
人生が変わってしまう幼少期を過ごし
1人暮らしの今の家で
寒さをしのげる事に感謝している事
保護猫を引き取り
動物用の酸素ボンベを自宅に置いたり
あらゆる可能な限りを尽くしたけれど救えなかった命
〈環境〉
の重要性を感じていて
それにより生き物は寿命も変わる事を書いたブログ
今、目の前にある全ての事は当たり前ではない事
生き物が生きるには必要な事がある事
力による争い、恐怖や悲しみ
罪のない人、生き物が犠牲になって欲しくない思いで書いたブログです
◇この旅の続きです
イスラエルからヨルダンに車で入国した後
目的地まで1度もトイレ休憩がなく
トイレの我慢が限界値だった私は
「I’m seriously almost dying.」
まぢ死にそうな位辛い
とドライバーに伝えて
崖から滑り落ちそうな岩だらけの山の途中で
「外でトイレさせて欲しい!あなたは見ないでくれたらいいから」
と猛烈に悲願したけれど
『後1時間で着くよ~』
と繰り返し言われっぱなしで
真剣に身体が限界で
もう病気になりそう
緊急事態だと伝えているのに外でトイレさせてくれないのは
「イスラム圏だから外でパンツを下ろすのは
アッラーの神に背くからなのか⁉️😱💦」
と当時、車に乗りながら真剣に考えていました
飛行機でしか他国に出入国した事がなかったので
トイレが無い専用車で国境越えならば
予め所要時間を確認しておくべきでした
ただ…
例え確認していたとしても
海外の良くも悪くもいい加減な文化で
『1時間で着くよ~』
と言われていた気もします😅
思い返しても末恐ろしい位
本当にあり得ない辛さでした😱💦
膀胱痛すぎました(大汗)
イスラエルから陸路でヨルダンに入国した理由は
エルサレム → ペトラ(ヨルダン南部)へは
航空路線が無く陸路移動が最も現実的だった
当時、イスラエル・ヨルダン間の緊張は比較的安定しており
エルサレム
→(車で約1時間)
キングフセイン橋 国境
→(ヨルダン側で車に乗り換え)
→ペトラ
だいたい4~5時間で到着
(私は5時間半かかった)
飛行機利用では同じ距離でも
8〜10時間以上かかることも珍しくない
費用もかかる
(地上移動、空港での待機、航空路線の制限)
旅のはじめにヨルダンの死海からイスラエルまでは空路を利用しましたがそれは
ヨルダンとイスラエルには陸路の国境が3つありますが
どれも観光客にとって手間があるため代理店は
航空便を推奨
死海(ヨルダン側)
→ アンマンの空港(Queen Alia International Airport)
は 車で45〜60分
とても近く移動が楽
:イスラエルに入国する際は空港のほうが手続きがスムーズ
✦ ベン・グリオン国際空港(テルアビブ)は
イスラエルの主要入国ポイント
セキュリティが標準化されている
外国人旅行者に慣れている
審査を短時間で処理しやすい
「死海 → 飛行機でイスラエル入り → エルサレム → そこからペトラへは陸路(キングフセイン橋)でヨルダンに戻った」
という
“飛行機 → 陸路”
の組み合わせになりました
ペトラは ヨルダンの南部 にあり
エルサレムから1番近いキングフセインゲートからの移動は一般的です
ただ
◇陸路国境の問題点
待ち時間が長い(2〜4時間は普通)
荷物検査が非常に厳しい
ビザ処理が複雑
車で直接通過できないため国境で車を乗り換える必要がある
国境の混雑状況が読めず日程に影響しやすい
◇トイレ休憩が無い理由は
道中に観光客用のトイレ休憩ポイントがない
国境周辺 → 砂漠地帯 → 田舎の道路
・清潔ではない
・安全でない場合がある
・観光客の車が停められる作りになっていない
日没前にペトラに着く必要がある
運転手は“止まらないのが普通”と認識している
なので極限までトイレを我慢する事になりました
……………………………………………
そして
我が家に居る小さなお猫の肝臓機能が
保護して我が家に来た当初は
〈異常値〉
でしたが
※人工的な添加物が入っていない食事に切り替え
※毎日の適度な運動
※精神的な安心感
を飼い主としてコツコツ続けていたら
〈正常値〉
に改善され
人間も生き物も〈環境〉による身体への影響を改めて気付かされた事も書きました
人間も動物も
身体と心は正直で
嘘がつけないんだな
と私の病状もお猫の血液検査からも痛感します
2人で1日でも長く共に生きれるよう
試行錯誤しながらこれらの習慣を続けていきます
それが私への1番の薬で緩和ケア
お守りになっています
この旅行記は
長旅をしている最中にその場からリアルタイムで投稿した記事
翌日以降に、滞在中のホテルで振り返って書いている投稿
帰国してから書いている投稿
等々、様々あるので時系列がズレる時があります
……………………………
9月20日
おはようございます&こんにちゎ!
今日は〈世界遺産〉の
【ペトラ遺跡】
に行くべく
朝4時起き
眠いっす、、、
私はだいたい、いつも眠いっす
ずっと乾燥地帯にいて
凄くハエが多い!
でも彼等は人間の顔にしか、くっついてこないから年中ハエを皆が払ってる(*_*)
アフリカの映像とかで
ハエが人の目や口元に沢山張り付いてるのに
それを払う気力ない子供達が映ってるけど、本当だ!
ハエは人間の顔の皮膚の水分と
目の水分を吸いにブンブン寄ってくる、、、(-_-)
とガイドさんから教えて貰った
そうゆう理由があるから顔にハエが貼り付くのか!
と腑に落ちてお勉強になった
ネットでもかぶりたいゎ(笑)
ではではみなさん今日もお仕事頑張ってくださいねっ!
…………………………
ペトラ遺跡入り口

ペトラ遺跡の入り口付近は 砂が白いです


徒歩はぁ…
朝の8時前でこの暑さ
正確に何キロ歩かなきゃならないか分からない…
そんな時 幼少期に
私は遊園地とかに行きたいのに
両親に無理矢理連れていかれた
登山一家だった我が家の苦い思い出が頭をよぎる…
一旦登頂したら
「もう疲れて歩けないの~」
なんて、お姫様みたいなことを行っても
タクシーもヘリも決して来てくれない
足の指から血が出ようが
膝のお皿が割れそうになるほどの激痛が走ろうが
日が沈む前までに下山しなければ命に関わる
何故なら、真夜中の山は決して歩けない
月明かりもわずかな中
方位磁針でも持ってない限り
人間の習性で、真っ直ぐに進んでるつもりが
大きく円をかいて歩いてしまい
また元の場所に戻ってしまうんだ…
でも、私はこの毎回の登山の中で
両親に混ざり小学生ながらも
時間内に決まったことを
誰にも頼ることなく
弱音を吐かず
忍耐強く一歩づつ
足元に集中しながら下山して
己の力だけでやらなければならない時がある!!!
と、強く思い
思い返すと
その習慣が
それから歳を重ねて行くあたしにとって
とても大きな学びとなったのは確かだ
出国2週間目で
すでに半分の1週間はドクターストップ通り
体力低下でぶっ倒れている…
そんな体調には2度となりたくないし
ペトラ遺跡は歩く
ともかく歩く!!!
それこそ、帰り際
「もう歩けないの…」
なんて言っても
そこにラクダやラバがいる保証はない…
この体で引き返せない
なんてなったらシャレにならないわ!
と、即座に思いお馬さんに決定したのだけど…
可愛くて、愛おしくて仕方ない
でも、その日暮らしのジプシーさんの馬だ
「お腹は減ってない?
ちゃんとご飯は食べてるかい?水は飲んだの?」
と、お馬と二人だけの会話をしてたら
あっという間に時間が過ぎて
ソロソロ乗ってよ!!
的な雰囲気に、ハッ!
っとして乗るのでした^^
乗ってからもいっぱいじゃれてナデナデしてた笑
動物って、いいよなぁ…
気分は爽快
お馬さんのおかげで心はあったかい
ジプシーさんの笑顔も優しいのよ
ワクワクの期待と
出だしの満足感ですでに幸せオーラ出てるなぁ~
そんな事を考えながら…
基本的に動物は全般大好きだし
ネコは大好きX1000だけど…
人間が歩いたほうが早いんじゃないの?!
って、まるでおままごとのような馬には乗った事あるけど
ここではジプシーさんは手を離して自分で馬を操らなきゃならない
(遊ばせてくれるのよ)
自分なりには行き先を
馬さんに指示してるんだけど
違う方向行っちゃったり
じゃり道の際にどんどん行っちゃって
反対を向かせようとすると
さらに端まで行って
じゃり道から
ズルズル==って落ちて
ジプシーさんが慌ててヘルプにきたり
ともかく楽しかったな!
1人で馬の操作ももちろん初めて
日本で乗馬体験をすると
スタッフが馬のたずなを引いてゆっくりだから
私的にはスピードが足りないと言うか…
もっと、リズミカルに行きたいのよ
ずっと、そう思ってた
だから、調子に乗って
ふくらはぎでお馬さんのお腹をポンポン叩いて
たずなに力入れて
「はいやぁー!」
てやってみたら早足で走ってくれたけど…
腹筋も背筋もないから自分の体が支えられないの…
クニャクニャしちゃって、バランスが全然取れなかった…
改めて運動不足、筋力のなさを実感ですわ…
でも、お馬さんと共に歩けるのもほんのわずか…
1~1.5キロ位かなぁ
キャッキャはしゃいでたら速攻終了ーー!!
『ハイ!チップ下さい!!^^
気を付けて行って来てね~!』
てな感じで
『次の客、次の客!!
9月は稼ぎ時なんだよ~』
って感じで
馬にまたがり
砂ぼこりの中ジプシーさんは駆け抜けて行った…
まるで映画のワンシーンのような気持ちで見送ったよ…
小学生の時から、女の子同士で着せ替え人形遊びするより
高い木を上だけ見上げて登ったら
凄い高さになってて…
降りられなくなちゃった…苦笑
ってな、カンジでおばあちゃんを心配させてみたり
公園を走りまくって男の子と一緒に隠れんぼして
無茶してスッころんで
いつも膝小僧は擦りむいてたな…
公園の1メートル位の高さの木々の中に空地を作って
みんなに秘密の基地にして見たり笑
そんな子だった
学校と両親の帰宅までの数時間
唯一、笑える時間だったかな…



ここ、世界遺産ペトラは
〈新、世界7不思議〉
にも登録されていて
16世紀までペトラは西洋世界から完全に忘れられ
それから300年後の
1812年にスイス人の探検家ヨハンが
噂に聞く
〈失われた都市〉
に連れて行くように命じて
彼は手帳に
『ワディムーサにある遺跡、これが古代のペトラに違いない』
現在はユネスコ世界遺産として保全していくために
全ての観光施設はワディムーサに設けられてる
そして
《ペトラ遺跡を全てを見尽くすには5日間かかる》
と言われるほど、広大な敷地なので
途中でロバ
ラクダ
馬車
などが、ジプシー達の収入源として観光客の足になっている

(こうゆう馬車?のような乗り物もあった
2人で来ている方々には、1人乗りの馬やラバより良いのかも)

(私がお馬に乗っている最中に、颯爽と走り抜けて行った馬車をカメラにカシャ👀📷️✨)
あたしも
ロバをもっと強くする為に
ロバと馬をミックスさせた
〈ラバ〉
にも途中乗って体力温存させてもらった

(こちら、ムービーからのスクショなのでボケていますm(__)m)
ラバ君です
小さくて、痩せていて、乗るのが本当に申し訳ない気持ちになった
過酷な労働を強いられているような気持ちになってしまって

(しかも、ラバと人間を繋いでいるのが
《鎖》
これは
《本当にナイな!》
と、悲しくなった
ラバからしたら、痛いと思うし、違和感があると思うんだよね)

(私の目線から見た、ラバの飼い主のジプシーさん)
でも、あまりにもロバも
ラバも
か弱くてスキニー(痩せてて)切なくてチップを沢山あげた!
「必ずあたしが乗ったこのシモ(ラバの名前ね(笑))にいっぱいご飯をあげて!」
と約束して…
あたしは本当に動物には弱い
募金も、日本で盲導犬の募金ばかりしてるなぁ…
動物って人間によって愛されもするし
見放されもするし
動物自ら自由を選択出来ないから
せめて大切に扱ってあげたいじゃん
気持ちは通じあえるけど
最終的な細部の言葉や気持ちまでは理解してあげられないから
愛情でカバーしてあげたいよね!
MAX (>_<) !!

(入り口を入ったらしばらくこの風景)

(仮装した方が居るの!Σ(゚ロ゚;)
と、凄く観光地化されているんだなぁ~
やっぱり有名だもんねぇ、この景色…
と、よくヨーロッパで仮装した道化師さん達に会ってきた事を思い出した
正義は勝つ
人の心も動かす
でも、凄く大きな痛みと代償も伴う
時には命と引き換えに...
と言うような内容の映画が凄く好きなのだけど
繰り返し観ている映画
《グラディエーター》
を真っ先に思い出した!
◆【幾度も立ち上がれ羊が獅子となる日まで】
これは映画の中で主人公のラッセル・クロウが
困難に立ち向かう場面で放つ言葉で…
私が生きてきた
生き方みたいな想いと重なり
強烈に胸に刺さり
一瞬で暗記した以来ずっと覚えている言葉)


(歩いている方々も多いのだけど
ペトラ遺跡は本当に広大な広さがあるから
徒歩だと
一場奥にある
有名な映画に登場してない方の遺跡…
までとても辿り着けない
ペトラ遺跡の中には宿泊所がないから、途中で引き返して帰らないとならなくなるから)

(全ての道のりで馬やラバに乗れる訳ではなくて
歩かねばならない場所もある
ペトラ遺跡に向けて、長い長い道のりを歩いていたら…
なっ!!!!( ; ロ)゚ ゚
なんとっ!
こんなカラカラに渇き切った土地にニャンコ親子が...…
「どうやって生き延びてるの?」
「水や食べ物はどうしてるの?」
と、一瞬で頭の中を心配の感情が駆け巡った…
「食べ物になりそうな物を何も持っていなくて
ご飯あげられなくてごめんね😢」
と、少しだけ触らせてくれたニャンコ親子に寂しさを引かれながら後にした…
どうか、空腹になる事なく生きて欲しい
と心底願った)

(ちいちゃい赤ちゃん猫
ママはミルクを出す為に栄養が必要だよね…
と思った)



1時間はゆうに歩いただろうか…
両サイドにそびえ立つ岩壁と
道が細くなったり、広がったりを繰り返すだけの景色でも
全く退屈しなかった
足を進める度に
違う表情を見せる地層やうねり達
初めて目にするこんなにも美しい地層のグラデーションと
岩なのに滑るようになめらかな曲線を描いて広がって行く
何千年もの間、ここペトラを守り続け
どっしりと構え、通り過ぎて行く人々を見守ってきた歴史の産物
岩の隙間から、かすかに差し込む自然光すら
神々しく感じる…
それだけ、本当にこの壁は高さがあるんだ!!!
歴史の宝物の地層たち
これだけの高さが出来上がるまで
一体どれだけの年月が掛かっただろう…
その、1層1層に
「綺麗だなぁ~!」
の一言では、余りにも表現が軽くなってしまう
歴史の深く重たい真実を目にすることが出来ている
この、環境に心から感謝しながら歩みを進める
ついに…
この細い道からうっすら映るペトラの姿
ついにペトラ遺跡の全貌が目の前に現れる瞬間があたしを待っている!!!
ボルデージはもう最高潮
喉の渇きも
休憩する事なく1時間歩いた疲れも
全て頭から消える
時間が止まる瞬間が来たんだ!
この、岩の隙間から覗くペトラ遺跡様のお顔の一部が、あたしに心の準備をさせる!
ついに、来たんだね!
この瞬間!
この気持ち!
抑えきれないワクワクセンワー!
飛び出しそうな期待感で、周りの景色は真っ白にすら感じる!!
ただただ、この少しだけ見えるその風景にだけ
意識も目線もフォーカスしてる
ついに、出逢えたペトラ様
今まで沢山の世界遺産を見てきた!
でもここまで、出逢う瞬間にボルテージが最高潮になったのは初めてだ…
きっと、ここに辿り着くまでの過程から
いろんな歴史を考え
ここがその昔、海の中にあった事を考え
ひいては地球のあり方についてまで考えて
1時間もの間
頭は想像と現実のはざまでいっぱいだった
そして、辿り着くまでの1時間半…
全く長さは感じさせなかったが
歩みを進める一歩一歩には今までには
感じた事のない貴重な重みを感じていた
《世界遺産》
であり
《新、世界7不思議》
にも登録されている
ペトラ遺跡のメイン遺跡
高さは計り知れないほど高く
遺跡自体にもダメージがなく
2000年前に造られた遺跡が今もこんなに完全体として残っているのは非常に珍しい!
ローマ帝国も
ギリシャ遺跡も
崩れたがれきのようになってたし
アジアのアンコールワットなんかもっと痛々しかったな…
そう考えると、壁道をひらすら歩き
誰にも見つからない秘境の奥地にあったこの遺跡は
戦争などに巻き込まれる事なく
ひっそりと誰かに見つけてもらうのを待ってたのかもしれないな、、、
観光客が増えたのもここ2年で増えたそうだ
それまでは、世界で話題にもなっていなかった
なんてアメージングな場所なんだろう!
凄かった!
しばらく遺跡を眺めながら
その余りにも美しく原型をとどめているペトラの宮殿は
私の頭の中で
この場所がいかに華やかに栄えていたか
当時の風景をイマジネーションするには十分すぎる程の美しさ
「ああだったかもしれない。こうだったのかな」
この、どっしりと構えて凄い高さがあるのに
こんなにも品格があり
温かささえ感じるのはナゼだろう…
この色味のせいだろうか…
あたたかくて立派な宮殿

朝の光に照らされた宮殿は
今もなお生き生きと輝き
まるで神様か、女神様が見守っていて
微笑んでいるかのような
優しく流れて行く空気感を持ってる
柔らかく、強くたくましい品格のパワーが眩しい位なんだ!
目をつぶれば
今にも華やかな衣装を身に付けた
当時の貴族たちの笑い声が聞こえてくるような
錯覚さえ頭をよぎる…
世界中でいろんな遺跡を見てきた
でもやっぱり
〈遺跡〉
と言うには何千年と言う月日が過ぎ去り
複雑な歴史にもまれながら
形は崩れかけながらも
その当時、そこで起きた事をどうにか伝えようとしている…
そんな、目には見えないメッセージ性を発しながらその形を今に残してきた…
そんな、少しの哀愁さえ感じる遺跡ばかりだった
〈遺跡〉
と言われるのだから
当然、遺跡が黙って見てきた年月の数は
0がゆうに3つはつくような年数だ
中には、紀元前の物もあるのだから…
(かなり朝早くに出発点したので、まだ人が余り居なくて、静かに眺める事が出来ました
お日様も、まだ昇りきっていないので
薄暗い雰囲気も
幻想的で、素晴らしかったです)

(薄暗いと
よく目にしてきたペトラ遺跡の写真風景とは別物のように感じ
光
1つでこんなにも景色が変わるんだと
改めて地球と自然の営みを感じます
周りを取り囲んでいる高い岩が
お日様の光を遮断しています)


(メインのペトラ遺跡の前は、広い広場になっていて
お土産屋さんやヨルダン風のカフェがあります)

(キャッツアイだ!👀
中東っぽい!
と、このメイクに憧れる)


(入り口からは少しだけ馬に乗り
途中からはペトラ遺跡の第一関門まで
徒歩でずいぶん歩いたからお土産屋さんで少し休憩
そしたら、また猫さん発見!👀
こんな乾いた土地で、どうやって生き延びているのか心配しか湧かないけど
凄く人懐っこい
お膝に乗ってきてくれて
久しぶりに猫の温もりを感じて
ジィーン…ジィーン…
と胸に染み入る感激を味わっていた
やっぱり猫は神様!
とばかりに、この姿勢のまま何時間も座っていたい…
と思ったら、しばらくしたら外に行ってしまった)

(私のお膝に乗っていたお猫さん。(=゚ω゚=)
ニャンとぉっ!
ペトラ遺跡の前にある、凄く広~い広場のど真ん中で
恥ずかしげも無く、誰の事も警戒せずに
チーチー(オシッコ)
始めちゃって、目が飛び出る程驚いた!(o゚Д゚ノ)ノ
岩の端っことか
目立たない所ですると思ったら
本当に広場のど真ん中で用を足していた💦
人間に虐められたりしてない証拠で
こんな事もあるんだ!
と、嬉しくなった)

(ペトラ遺跡のメインを通過した後は、またしばらく徒歩
次は遺跡の最上段を目指して行く
道の途中には、遥か昔に人が住んでいた
岩をくりぬいて作られた家がポツポツと並ぶ
水や食料はどうしていたんだろう…
と、こうゆう場所に来る度に
歴史に触れては
様々な思いが頭を駆け巡る)

どうしてこんな地形が出来たのだろう…
そして、どうしてこんなにでっぱたり
引っ込んだりしながら細い道があるのか
道も急に細くなったり
広がったりさまざま
ここは、その昔、昔のそのまた昔…
海の中だった
2週間前に訪れた
「死海」
は、世界で一番地表が低い水場とされていて
だから酷暑になる
ちょうど、日本で言うなら京都や奈良の様に
周りを山々に囲まれた盆地のため
余り風が通らず、夏は暑く、冬は寒い
に、とても似ているかもしれない
何でかって言うと、私が訪れたのは9月
拭っても拭っても、もう意味はナイ
ってくらい、服も髪もビショビショになる
でも、ヨルダンにも四季はあって
冬は雪が降り
ミドルクラス以上の家なら暖炉が付いていて寒さをしのげるけど
気温は氷点下になる時もあるそうだ
フッと…頭をよぎる
じゃあ、今まで見てきた
すれ違ってきた
ここペトラ遺跡でラクダやラバの乗り物
お土産を売って
毎日の保証はなくその日暮らしの
沢山のジプシーさん達はどうやって冬を越すのだろう…
家は、木の枝を軽く組み立てて黒いビニールで囲ってあって
風になびきながら
バタバタとビニールが揺れてる隙間風が入るような家だったよ…
トイレや風呂はなく
水をくんで
沢山の山羊やラクダを飼いながら
点々とエサを求めて引っ越しを続ける人生…
この国から、一歩も外に出る事もなく…
でも、彼等にはそれが当たり前で
広い豪邸に住み何不自由なく暮らしているが
家族のコミュニケーションを取る時間もなく
どことなく寂しい…
そんな先進国の人々の笑顔より
優しくて輝いていて
話が好きであったかいピュアなハートを持っていた
心に響く
その日を
与えられた人生を精一杯生きている
ダイレクトに伝わるそのオーラは
私に
「生きる」
楽しみや、喜びを伝えてくる…
彼等の背中から感じる
幸せに暮らすために必要なものは
多くはないんだと言うメッセージ
確かに、私の中で受け止めました!
諦める程
吹き出す汗
湿気がないから
気温が高くても爽やかなはずなんだけど
肌がヒリヒリ
おでこはジリジリと
ゆっくり焼き魚にされていくようだ!
日焼け止めも綺麗に、全部汗で流れ落ちちゃうだろう…