さようなら浅草KURAWOOD
改札の中で
ヘブンアーティストの
演奏できる場所がありまして。
17歳の時に取得した
ヘブンアーティスト(東京都公認大道芸ライセンス)
で、この駅構内で演奏していた時がありました。
懐かしい写真…
これは18歳くらいかなー。
こんな看板を立てて演奏していました。
そう!パリに行き…
…たいわけではなくて…
えっと…
なんというか
ええ…
これ書いたら投げ銭くれるかなあと思って
ええ…
この看板を立てて演奏してました、ハイ
今頃パリかなあ と思っている皆さんごめんなさい
私は今日も日本です。
今でも木曜日に演奏している人が
時々いるので
たまたま通りかかったら足を止めてみてね。
ここの新宿西口駅で演奏していた時に
たまたま 浅草クラウドのブッキング担当の人が
通りかかって
「うちのライブハウスで演奏しませんか?」と
誘われて
その浅草クラウドで演奏したのが始まりで
そこで演奏するようになってから
他のライブハウスやイベントでも
演奏するようになったわけです。
浅草クラウドに誘われなかったら
今でも道端で演奏していたかもね。
いやこれホント。
電車で椅子と髪が同化してる人がいるなあ
と思ったらメンバーでした。
テナーサックス オカピ。
さて この控え室を使うのも最後かあ急にライヴを決行してごめんよ。
でも浅草クラウドの突然の別れのお知らせと
我々のスケジュールを色々どうこうしてたら
ギリギリになってしまった。
だけどライヴが出来て本当に良かった。
昔はここのライヴハウスで
チャラン・ポ・ランタンの前に結成していたバンド
マイノリティオーケストラでよく演奏していてさ。
お客さんが1人とかでさ。
メンバー5人だから
演者の方が多いの。
そんな集客でもお金くれてさ。
なんか申し訳ないなあ人来たらいいんだけど
大道芸と一緒にライヴ活動してると
大道芸の方がお客さんが集まったりして
まあ野外だと投げ銭だしチケット料金要らないし
そっちの方が気楽に行けるだろうから
しょうがないんだろうけど
結局満杯になんて出来なかった。
1回くらい満杯にしたかったんだよね。
最後のライヴで満杯の景色を見て
なんだか
最後にこういう風にできたのは良かったけどさ
ライヴハウス的には手遅れっちゃあ手遅れだよね。
なんていうか。
自分の楽曲にある さよなら遊園地
そのものだった。
遅くなってごめんね、でも
ありがとう。
マイノリティオーケストラ に
ももちゃんがゲストボーカルで入り始めた頃の写真
そのあと急にメンバーが消えたりして
(よくありがちな喧嘩別れ)
で、突然エレキベースをメンバーに入れた時もあった
浅草クラウド時代。(写真下)
そうそう、
このウサギ 男の子でね
しかも割とイケメンだったから顔が似合わなくて
だから
ウサギを被らせた
彼には申し訳ないと思いながらも
被らせた。(被り物:母作)
ウサギと活動しながらもめでたく活動休止。
昔からメンバーを手荒に扱う奴だったんだなあ
自分。。。
先日とある音楽番組で数年ぶりの再会を
このウサギをした時は感動的であった。
別のバンドでちゃんと顔を出した状態で
ちゃんと活動しておりました。
ああ、大きくなったな、ウサギ。
お互い頑張ろう、ウサギ。
っと、少し話がズレましたが
今のこのメンバーで、浅草クラウドで
ラストライヴが出来て本当に良かったです。
16歳の時からバンド活動してるけど
今のこのメンバーが一番面白いね。
色々な出会いと別れがありました。
その日々の中にいつも
浅草クラウドのスケジュールが入っていました。
ありがとうございました。