誕生日の思い出 | SUTTOKO-DOKKOI

誕生日の思い出

沢山のおめでとうを
ありがとうございます。





毎年
この時期になると思い出すのだ。

産んでくれてありがとうだとか
おめでとう自分だとか
そういう話は置いておいて

小学校の頃の自分を。

わりと一人で居ることが多かったから
友達 だとかそういう
特別仲のいい人ってのも
いたっけなあ、どうだったっけか。
そんな小学校時代。

そうなると誰も小春の誕生日を
知らないのだ。
小学生だとなんだか誕生日は
「特別な日」というイメージが強くて
自分も無意識に「特別な日」という
イメージを持っていたんだと思う。
周りは友達同士で
プレゼントをあげっこしたりして
きゃあきゃあしてわあわあして
パーティとかやったりしている。
小春は誘われない。
そんなみんなの「特別な日」。

小春の誕生日は
静かな小春日和だった。
毎年天気が良くて
空に おめでとう と
言われてる気がした。

ある日
近所の女の子が誕生日会をやるから
集会場に来てね、と誘われた。
そこまで仲良しでもないのに。
でも誘われたからには と

とびっきりのペンたてを作った。
針金とか、ビーズとか使った気がする。
よく覚えてないけど
とりあえずとびきりのやつ。

誕生日会の時
沢山人を呼んでいた
その近所の女の子の誕生日会は
その女の子に並んで
一人づつプレゼントを
渡していくところから始まった。
小春の番になって
そのペンたてを渡した時
「こんなのいらないんだけどな」
と言われた。

小春なら
これ貰ったら嬉しいけどなあ。

誕生日というものが
よくわからなくなった。

まあ今思えば
手作りのペンたてなんて
必要なさそうな女の子だった。
そんな子に渡したところで
喜ばれないよなあ。
小春はそういうことに
気づかない奴だった。

20代になっても
付き合ってる人に焼き菓子とやらを
普段作らないけど作ってみたら
「美味しいけど
残るものが欲しかった」
と言われた。

人が望んでいるものというものは
どんなものなのか
考える日になってしまった。





今 色々な人から
おめでとう と言ってもらえる
環境にいる。
なんだかオロオロしてしまう。

今のそういう環境を
小さい頃の小春に
味あわせてあげたかった。
いや、味わわせる か。
いや、どっちだっていいか。

誕生日は
お母さんに産んでくれてありがとう
と思う日だと思うので

小春じゃなくて母のあきちゃんに
ありがとう と言っておいてください。

ありがとうよう、お母さん。

ちなみに
家族からは毎年
祝ってもらっていました。
家族から祝ってもらうだけで
いいものなのかもしれないね。

でもそういうことに
気づけていなかった
小さい頃の小春は
周りの当たり前の祝い事を見ながら
毎年寂しい気持ちに
なってたりしていたのかもしれない。
家族からおめでとうと 
言われるだけでいい日なのにね。



お母さんにありがとう と
昔の自分におめでとう を
言う日にしています。
おめでとう、小春ちゃん。
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今年も
おめでとう を 沢山貰いました。
ありがとうございます。
みなさん。

みんながいるからやっていけてます。
似合わないこと言うけど
みんながいることが嬉しいです。