スッタニパータ 武器を執ること952の解説 | suttanipatacomのブログ

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suttanipata.com管理者がスッタニパータ(ブッダのことば)をわかりやすく現代風に解説

952 苛酷なることなく、貪欲なることなく、動揺して煩悩に悩(なや)まされることなく、万物に対して平等である。ー動じない人について問う人があれば、その美点をわたくしは説くであろう。

 

 

 

人間的思考の運動(好き⇔嫌い)を制して、苛酷なることなく慈しみをもって接し、何かを欲して貪欲なることなく、両極端に動揺して煩悩に悩(なや)まされることなく、万物に対して分けることなく平等である。ーこのように動じない人について問う人があれば、その美点をわたくしは説くであろう。

 
 
 
聖者は、感受する対象を観察し、また、その対象が感受器官に触れた時の心を観察する。すなわち、眼に映った時、耳に音が聞こえた時、鼻に臭いが触れた時、舌に味を感じた時、身体に何かが触れた時、心に何かを感じた時である。世の人々は、感受した瞬間、人間的思考の運動(好き⇔嫌い)によりすぐに、両極端に分けるが故に苛酷であり、貪欲を生じ、動揺し、煩悩に悩まされるのであるが、聖者は、対象を観察し、対象の生起と消滅とを知る。すなわち空性を知るのである。空性を知った聖者は、対象に苛酷なることなく、貪欲なることなく、動揺して煩悩に悩(なや)まされることなく、万物に対して平等に見ることができるのである。