スッタニパータ 死ぬよりも前に853の解説 | suttanipatacomのブログ

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suttanipata.com管理者がスッタニパータ(ブッダのことば)をわかりやすく現代風に解説

853 快(こころよ)いものに耽溺(たんでき)せず、また高慢にならず、柔和(にゅうわ)で、弁舌さわやかに、信ずることなく、なにかを嫌うこともない。

 

 

 

人間的思考の運動(快⇔不快)を制して快(こころよ)いものに耽溺(たんでき)せず、また快を得ても高慢にならず、人間的思考の運動(快⇔不快)を制し中道を保って柔和(にゅうわ)で、平等性智の元、弁舌さわやかに、両極端の思考により何かを掴んで信ずることなく、なにかを嫌うこともない。

 

 

人間的思考の運動(快⇔不快)による反応の仕方で快いものと感じるもの、それには必ず逆の不快が伴うのである。それは、運動をするので、快⇔不快の運動を繰り返す。一時的な快を得て高慢になっても、その高慢も運動をするので、意気消沈するものである。その運動によって世の人々は、喜⇔怒を繰り返すのであるから、その心は激流となるのである。実に世の人々は、目の前に現れた現象に胆摘し、それを得ては高慢になり、得られないと悪弁を吐く、そして信じたものに捕らわれ、信じないものを排除しようとする。このように自らの領域を狭くしていき、やがて埋没するのである。この道理を見て修行者は、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、分けることなく、目の前の現象を観察し、中道を歩み、中道から得られるところの智慧を拠り所とし、歩みつくして、安穏を観たのある。