お風呂で、なんとなく自分の体を触った。

 

「あれ、なんか、柔らかくない?」

 

そう思ったのが、始まりだった。

 

 

 

1ヶ月半前、ダイエットを徹底的にやり直すことにした。

 

その前に、まず、向き合わなきゃいけないことがあった。

 

数字を見る、という、怖さだった。

 

 

 

 

体感としては「絶対増えてる、やばい」というのはずっとあった。

 

でも、その数字を実際に見たくなかった。

 

見なければ、なかったことにできる気がしてた。

 

 

 

 

でも、数字を見ないことには、カロリーも目標も脂質や炭水化物の量も、何一つ出せない。

 

だから怖かったけど、体重計に乗った。

 

「"なんとなく"では、結果が出なかったでしょ?」って、自分に言った。

 

その通りだった。

 

 

 

 

なんとなくでやってきたことは、なんとなくの結果しか出さなかった。

 

 

つまり、私はずっと、逃げてたんだと思う。

 

現実を、見ることから。

 

 

 

 

まず、カロリー計算から入って、全部数字にした。

 

体調も、細かく、観察するようにした。

 

好き嫌いを正直に洗い出して、続けられる朝食メニューを決めた。

 

それを、ほぼ同じメニューで、1ヶ月半続けてる。

 

 

 

これ、地味だけど、けっこうキモだったと思う。

 

毎朝「今日は何を食べよう」って、考えなくていい。

 

買い物も「同じものを買えばいい」。

 

それだけで、迷わない。

 

 

 

この「いちいち、考えるエネルギー」が減ったこと。

 

これが、想像以上に大きかった。

 

 

 

毎日、小さな決断を積み重ねてると、それだけでじわじわ疲れていく。

 

 

その、いちいちのストレスがなくなっただけで、続けやすさが全然違った。

 

 

 

 

ダイエットって、根性とか意志の強さの話だと思ってたけど、

 

 

実は「いかに迷う回数を減らせるか」の方が、大きかったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

運動もするようになった。

 

夜は、1時間くらいかけて、体をほぐして、ストレッチする。

 

水分も、意識してとる。

 

サプリは、やめてみた。なくても、大丈夫だった。体感として。

 

 

 

 

 

 

体重は、ようやく1キロ減ったかな、というくらい。

 

正直、数字だけ見たら大した変化じゃない。

 

でも、体のラインは、めちゃくちゃ変わった。

 

 

 

 

 

お風呂で、ふと触ったあの瞬間。

 

 

「柔らかい」

 

 

これ、痩せたとかそういう話とは少し違う気がする。

 

 

 

 

たぶん、ずっと体をぎゅっと緊張させてたんだと思う。

 

 

肩に力が入って、姿勢が悪くて、常にどこか力んでた。

 

 

 

 

それが、少しずつほぐれてきた。

 

1時間かけて、毎晩、体をほぐしてるからの効果かな?

 

 

 

 

数字は、まだ1キロしか動いてない。

 

でも、体は確実に変わってる。

 

 

 

 

今は、痩せることより体のラインを良くしたい。

 

Mサイズが、綺麗に着れるように。

 

姿勢よくいたい。

 

 

 

 

数字を追いかけてた時期もあった。

 

 

でも今は、違う基準で自分の体を見てる。

 

 

 

「体重」じゃなくて「触った時の感触」。

 

 

「サイズ表記」じゃなくて「その服を着た時の、佇まい」。

 

 

 

 

これ、体だけの話じゃないな、と、今思う。

 

 

心も、たぶん、同じだ。

 

 

 

 

 

 

ずっと、強張ってたんだと思う。

 

体だけじゃなくて、心も、考え方も、ものの見方も。

 

それって、疲れるんだよね。

 

 

 

 

力をずっと入れていないと「私が、保てない」という、怖さがあった。

 

 

ちゃんと見張ってないと、私がどこかにいってしまいそうで。

 

 

気を抜いたら、何かやらかしてしまいそうで。

 

 

だから、ずっと力を込めて生きてきた。

 

 

 

 

体も心も、常に緊張したまま。

 

 

そして数字や結果だけを追いかけてると、見えなくなるものがある。

 

 

 

でも、日々の小さな「あれ、なんか変わった?」に、気づき続けると、本当の変化はそっちに隠れてたりする。

 

 

 

自分を知るって、たぶん、こういうことなんだと思う。

 

 

 

大きな結果を待つことじゃなくて、日々の小さな手触りの変化に、気づき続けること。

 

 

 

肉が、柔らかくなった。

 

たったそれだけのことだけど、私にとってはけっこう大きな発見だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近、下着を買い替えた。
 

きっかけは特に何もない。

 

ただなんとなく、そろそろかなと思って。

 

 

 

 

 

新しいのに変えて、しばらく経った、洗濯物を畳んでる時だった。

 

ふと、思った。

 

「なんであんなボロボロのを、あんなに長く着け続けてたんだろう」

 

 

 

理由を考えてみたけど、正直、よくわからない。

 

 

 

お金がなかったわけじゃない。

 

ないわけじゃないけど、下着一枚、買えないほどじゃなかった。

 

 

 

 

忙しかったから、とも思ったけど、ネットで数分あれば、注文できる時代だ。

 

 

強いて言うなら、たぶん、優先順位が、ずっと低かったんだと思う。

 

 

 

 

 

子どものもの、家のもの、他の誰かのもの。

 

それが先で、自分のものはいつも最後。

 

だから、気づいた頃には、もうけっこうボロボロになっていた。

 

 

 

これ、下着だけの話じゃないな、と思った。

 

 

思えば、タオルも似たようなことがあった。

 

長年、カサカサのタオルを使い続けてて、最近ふかふかのものに変えたら、驚くくらい心地よかった。

 

 

 

「こんなに違うのか」って。

 

 

 

 

 

そして、今回の下着でも、同じことが起きてる。

 

 

自分の中で「これは、後回しでいい」という判断を、無意識に、何度も、繰り返してきたんだと思う。

 

 

 

 

不思議なのは、今振り返ると「意味わかんない」って思えること。

 

 

 

きつい下着を履いて、体が窮屈でも、我慢してた。

 

誰も、それを見てるわけじゃないのに。

 

 

 

 

娘たちのものを優先して、自分の分は後回しにしてた。それが、当たり前だと思ってた。

 

 

でも今は、なんでだったんだろう、って、ただただ不思議になる。

 

 

 

 

責めてるわけじゃない。

 

 

ただ単純に「もう、その必要はないんだな」って、自然に思えるようになった。

 

 

 

 

 

 

今後はしない。

 

これだけは、はっきり決めた。

 

 

 

「今後はしない」に気づけるって、実は大事なことなんだと思う。

 

 

 

 

気づかないまま、ずっと繰り返す人もいる。

 

私も、たぶん、長いこと、そうだった。

 

 

 

でも今は、違う。気づけたら、変えられる。

 

 

 

小さいことだけど、下着一枚から、ちゃんと自分を大事にする練習を、積み重ねていきたいと思う。

 

 

 

 

 

ちなみに。

 

 

こういう「気づかないうちに、自分を後回しにしてる瞬間」に気づくための、小さなノートの書き方をまとめてみました。

 

 

 

私自身、こういう気づきが欲しくて、試行錯誤して作ったものです。

 

もしよかったら、覗いてみてください。

 

→「我慢屋さんのための、はなまるジャーナリング」(note、980円)

noteで覗いてみる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

我慢屋さんのための、はなまるジャーナリング、作りました

 

 

 

 

 

 

朝、目が覚めて台所に行くと、シンクに洗い物がぐちゃっと溜まっていた。

 

 

うちには「一人で食べたものは、自分で洗う」というルールがあるのに、また誰も洗ってなくて。

 

 

何度も言ってきたはずなのに、また同じことが起きている。

 

 

その瞬間、なぜか涙が出そうになるくらい、頭にきてしまった。

 

 

洗い物くらいで、と自分でも思う。でも、その時は、どうしようもなかった。

 

 

隣にいた長女に、思ったより強い言葉をぶつけてしまった。

 

 

 

 

後から振り返ったら、その二日前、私は「ほっともっとを買いたい」という、たったそれだけの欲求を、「お金がもったいない」って、我慢していた。

 

 

小さな我慢が、二日分、静かに積み重なって。

 

 

それが、シンクの洗い物という、全然関係ないところで、一気に噴き出した。

 

 

小さな我慢が積み重なって、思いがけない場所で爆発する。

 

 

これに気づいた時、少しゾッとした。

 

 

私はずっと、こういうことを、何度も繰り返してきたんだと思う。

 

 

「自分を大事に」だけじゃ、足りなかった

 
 

「自分を大事にしてね」って、よく言われる。

 

 

正直に言うと、私は、この言葉に、ずっとモヤモヤしてた。

 

 

「は? あなたに何がわかるんだよ」って。

 

 

背景も、事情も知らないのに、気安く言わないでほしいと思ってた。

 

 

それに、「大事にする」って、具体的に何をすればいいのか、誰も教えてくれない。

 

 

寝るのがいい人もいれば、カラオケがいい人もいる。合う方法は、人それぞれ違う。

 

 

だから、多くの人は、結局、手っ取り早い方法(食べる、飲む、買い物)に走ってしまう。

 

 

これ自体が悪いわけじゃない。

 

 

でも、感じることを一時的に麻痺させてるだけで、根っこは何も変わらない。

 

 

インスタントな方法なんです。

 

だから、作りました

 

「はなまるジャーナリング」という、小さなノートの書き方を、まとめました。

 

 

世の中には、ノート術、ジャーナリングの方法が、たくさんある。

 

 

私も、いろいろ試した。テンプレート通りに書いてみたり、決まった質問に答えてみたり。

 

 

でも、しっくりこなくて。試行錯誤の末、自分に合う形を、少しずつ作っていった。

 

 

それが、このノートです。

 

 

 

 

 

やることは、シンプルです。

 

 

・モヤモヤ出し——思いつくまま、汚い言葉でもいい、とにかく出す。

 

 

・本音さがし——「本当は、何が嫌だった? 何が欲しかった?」と、自分に聞いてみる。

 

 

・これでよし宣言——その日やったことに、誰の許可も待たず、自分で花丸をつける。

 

 

 

我慢屋さんは、たいてい完璧主義。だから、最初にお願いしています。

 

 

全部やらなくていい。6割でいい。

 

 

 

これ、根拠のない気休めじゃありません。

 

私は今、本を書いているんですが、編集者さんに、こう言われたことがあります。

 

 

「フルパワーで書かないでください。必ず、削る部分が出てきます。削られたら、少なからずショックです」

 

 

全力でやったものほど、否定された時のダメージが大きいんです。

 

 

だから、最初から6割にしておく。

 

 

こんな人に、読んでほしいです

 
  • 頑張りすぎて、心身のどこかに不調が出ている人
  • 表向きは元気に見えるけど、内側では我慢が限界に近い人
  • 「自分を大事にしよう」と言われても、具体的にどうすればいいか分からない人
  • ジャーナリングや日記を試したことがあるけど、続かなかった人
  • 完璧主義で、「ちゃんとできてない自分」ばかり気にしてしまう人

 

価格について

 

980円です。

 

 

正直に言うと、これは、内容に対して、決して高い設定ではないと思っています。

 

 

このガイドは、私自身が、何年もかけて試行錯誤して、ようやく辿り着いた方法をまとめたものです。

 

 

ただ、これは、大きく利益を出すための商品ではありません。

 

 

一人でも多くの「我慢屋さん」に、まず手に取ってもらいたくて、あえて、この価格にしました。

 

 

読了目安は30〜40分ほどです。「ノートの書き方」というテーマにしては、少し長いかもしれません。

 

 

それは、単なる手順の説明だけでなく、私自身の失敗談や、具体的なエピソードを、たくさん詰め込んだからです。

 

 

一気に読み切らなくても大丈夫です。

 

 

何度も読み返しながら、自分のペースで、少しずつ進めてもらえたらと思います。

 

このノートを読んでくれた方へ

 

このガイドを読んで実践してくださった方には、今後、私が行う個別セッションを、10%オフでご案内させていただきます。

 

 

まずは、このノートで、自分と向き合う練習を始めてみてください。

 

 

その先に、もっと深く話してみたいと思ったら、その時は、ぜひ、声をかけてください。

 

noteに置いています

よかったら、覗いてみてください。

 

 

▶︎noteに行ってみる

 

 

 

 

 

 

 

こんなわたしなんて

 

どうせわたしなんて

 

女?そんなのはもうどうでもいい

 

美?あーそんなことに心酔してたこともあったね〜

 

 

 

これ、全部裏返しです。

 

 

 

 

こんなわたしだけど!

可愛い服が着たい!

 

 

どうせわたしなんて!

そう思ってるけど本音はまだまだ頑張りたい!

 

 

女?

多分死ぬまでこだわる!だって女だもん!

 

 

美?

なんだかんだ言って永遠のテーマだよね(ワインを一口)

 

 

だと思った、わたしの場合。

 

 

 

だって心が反応するから。

 

 

「ん?」って、それらのテーマが流れてくれば、

自然と反応してるからだ。

 

 

 

 

 

 

「胸の大きい人は、自慢でもなんでもなくブラトップが着れない」

 

 

というテーマが熱くなっているのをTwitterで見ていて、

 

わたしもそうだし!

なんならちょうどブラに悩んでた!

ブラトップはもう辞めたいと思ってる!

 

などなど蓄積されたものが流れ出したのを認識した。

 

 

 

そうか・・・

もしかして・・・

 

 

一度気づいてしまうと洪水のように止まらない。

 

 

深い深い深淵の底までたどり着いた場所で

「なるほど」

と納得できないと安堵できないわたしは、

 

 

このブラ問題について向き合うようになった。

 

 

 

g●のブラトップが、とってもとっても「肩がすっごく重たい」と気づいていたからだ。

 

 

これだけは、なぜかしんどくなる。

とっても肩が重たくて、辛い。

キツイというよりも、重たい。

 

 

でもずーっと身につけていた。

 

なぜなら太ったからじゃないかな?と着地していたからだ。

 

 

 

 

 

でも、そもそもブラトップ自体が良くないのでは?

 

 

お世話になっているエステティシャンの方に、その話をしてみたら、

 

「スポーツブラのように、ぐっと持ち上げて、背中をシャキッとしてくれるタイプがいいですよ」とのこと。

 

 

なるほど!!

 

猫背で、丸くなって、どんどん胸の重みで下へ下へ姿勢が悪くなっている。

 

ブラトップのアンダーは、そもそも「支える機能ではない」ので、無理もないのだ。

 

納得。

 

 

 

 

わたしはし●まむ●にとりあえず走った。

 

どんなものがあるのか?

 

ブラのコーナーなんて行ったことがなかった。

 

 

 

びっくりした。

 

そこには多種多様のブラがたくさん並んでいた。

 

ブラトップしか目に入っていなかった私の15年間の世界に、背中をシャキッとするブラ、まあるく見せるブラ、盛るブラ、などなどが入ってきた。

 

 

 

一気に楽しくなった。

 

 

 

 

「この世界しかない」

「どうせこの程度」

「これがお似合い」

「これくらいが私に合う」

 

 

 

このメガネを、まずは外そう。

 

 

外そう、と思えばこっちのものだと知ったからだ。

 

 

 

 

そして、外した先の世界の方が、断然優しいのだね。

 

 

 

「見える範囲」を超えると、急にできなくなる。

 

 

 

 

今朝思ったのが冷蔵庫の野菜室。

 

 

 

 

我が家の冷蔵庫の野菜室は、1番下にある。

 

正直開けるのが面倒。

 

しゃがまないと見えないからだ。

 

 

 

 

野菜は何があったかな〜と、扉をわざわざ開けに行くのがとにかく面倒。

 

なので、しなびたりカビたりしてる野菜を、たまに目撃する。

 

 

 

そして「ごめん」と思う。

 

本当にごめんなのだ。

 

 

 

 

 

それを、最近解決したのが、とにかく冷蔵室にぶち込んでおこう作戦。

 

 

 

 

長ネギを3等分くらいにして大きめのタッパーに入れておく。

 

プチトマトも洗ってタッパーへ。

 

きゅうりやパプリカが主食なんだけど、それもカットしてタッパーへ。

 

 

 

「見える」ことで、確実に消費されるのだ!!

 

 

 

 

 

 

で、なぜこういうことになる?と紐解いてみた。

 

 

分類しなくていいじゃん、だった。

 

 

野菜室には必ず野菜を入れなきゃいけないんだ

 

この呪縛。

 

 

 

 

なんだこれ?と今では思う。

 

 

 

作られたルールに乗っかってただけなんだけど、

 

気づいてしまったら「何この縛り。感じ悪」ってなる笑 

 

(ほんと不思議)

 

 

 

 

 

気づいたら変えるだけなんだよね!

 

自分仕様にカスタマイズすればいいだけ。

 

 

 

誰かのせいにすんな!ダサ!

 

 

 

 

 

 

夏で、いろんなものがすぐに鮮度を失うので、買いだめはあまりしないし、作り置きもちょっとしにくい。

 

だけどカットした野菜なら、積極的に食べてしまえばいい。

 

お互いいい関係なのだ。(?)

 

 

 

 

 

これ、認識するだけですっごく楽になる。

 

勝手に縛りつけたルールを見直すってことだ。

 

 

 

 

与えられたものをそのまま受け入れるのは、時に楽だ。

 

考えるという消費行動をせずに済むからだ。

 

貴重なリソース。無駄に使いたくはないよね。

 

 

 

 

 

だけれども!

 

 

見直すって行為も時に必要だ。

 

わたしのように「何かしっくりこないんだよね」というときこそタイミング。

 

 

 

 

どうすればいいかな?

 

よりも、

 

どうなれば快適かな?

 

とか

 

どうなったら嬉しいかな?

 

って、心がほっとゆるむ方向に意識を向けられると、答えが見つかるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

わたしはどうなっていたら幸せなのか

 

 

結局はここに行き着く。

 

 

 

 

 

そんな気づきを、レタスからもらいました!!

 

我が家の冷蔵室には、丸々としたレタスがドーンとおります!!