自分のことが分からない時、誰かに、
「あなた、本当はこう思ってるんじゃない?」
って言ってもらいたくなることがある。
私はあった。
というか、当ててくれたらいいのに、と思っていた🤣
自分では分からない。
考えても答えが出ない。
だったら、私より私のことが分かる人に見てもらいたい。
「あなたにはこういう傾向がありますね」
「こういう時に、こうなりやすいですね」
「本当はこれが嫌なんじゃないですか?」
「あなたが望んでいるのは、こっちなんじゃないですか?」
そんなふうに言われると、「あーーー!そうかもしれない!」となる。
なるよね…笑
自分一人では見えなかったものが見えるのは、面白い。
私は診断も好きだったし、占いも好き。
人から分析してもらうのも好きだった。
「私ってどういう人?」を、ずいぶん外にも聞いてきたと思う。
分かれば扱いやすくなると思っていたから。
私はこういう人。
こういう傾向がある。
こういう時にこうなる。
本当はこれを望んでいる。
そこまで分かれば、「なるほど。じゃあ私はこうすればいいのね」
って進めそうな気がする。
実際、人から言われて初めて気づいたこともあったよ?
自分一人では見えなかった景色を見せてもらったことも、たくさんある。
だから私は、診断や分析や占いがダメだとは全然思わない。
今だって占いは大好きだ🤣
でも最近、一つ思うことがある。
この先も、何か分からなくなるたびに、それをやる????
仕事で迷った。
「私は本当はどうしたいんでしょう?」
人間関係で引っかかった。
「私はなんでこんなに気になるんでしょう?」
何かを始めたい。
「これは本当に私に向いてますか?」
やめたくなった。
「これは逃げですか?それとも本心ですか?」
そのたびに、
「誰か、俺を解析してくれ!!!!🤣」
となるのか?って。
私が欲しかったのは、私についての正解をたくさん集めることだったんだろうか???
もちろん、人から見てもらうことで分かることはある。
自分には見えない角度がある。
だから、もう一人の視点を借りることには、今でもすごく意味があると思っている。
でも、別の視点を借りることと、自分についての答えを預けることは、同じじゃない。
ここが、私の中ではずいぶん違うものになった。
誰かから、「こういう傾向があるように見えるよ」と言われたら、「へぇ〜、そう見えるんだ」でいい。
占いで、「こういう性質があります」と読んだら、「おー、面白い」でもいい。
誰かに、「本当はこうしたいんじゃない?」と言われたら、「そういう見方もあるのか」でもいい。
そこからまた、自分に戻ってこられる。
答えではなく、資料として置けるんだ。
そうすると、誰かの視点を借りても、自分の席を立たなくて済む。
これが、私にはかなり大きかった。
以前の私は、「私のことを分かってくれる人」を探していたところがあった。
でも今は、私より私のことを分かる人を、外に置かなくてもいいと思っている。
私だって、自分のことを全部分かってはいない。
明日の私が何を言い出すかも知らないからね🤣
誰かのカメラを借りながら、最後はまた自分の席に戻ってくる。
「私に関する一つの資料が増えた!」




