白いタンポポ 「白花タンポポ」

私の入った学校は男子だけの全寮制だった。8人が一部屋に属し、4年生から1年生まで各学年2名ずつ同居していた。4年生の一人が室長として、部屋をまとめていた。
男子校であった関係で、女性と知り合いになる機会が少なく、学校では様々な企画でその機会を作ることを奨励していた。その一つが「合ハイ(合同ハイキング)」であった。私の3年生の時、室長が以前家庭教師として教えていた子が女子大に入学したので、その子の友達8人と我が部屋の8人が合ハイをすることになった。その時の写真を見るとそこは横浜の「三溪園」であった。その時の記憶はほとんど残っていないが、確か昼食に洋食を食べ、ナイフとフォークの使い方が判らず恥ずかしい思いをしたことだけ覚えている。

合ハイでカップルが生まれたのかどうか判らないが、室長の彼女に興味を抱いたのは、私と一級後輩の2年生と二人だった様である。何回か文通をしたが、その後輩の所へも手紙が来ていたので、それは判った。先輩の気持ちも穏やかでは無かったようである。やがて3月になると先輩は卒業していった。
何時しか私は彼女と交際を続け尾瀬にハイキングに行ったり、鎌倉、横浜、観音崎など日曜日には二人でデートすることも多くなった。

ある日、観音崎近くの山道を散策していたとき、私は道端に白色のタンポポが咲いているのを見つけた。私が育った北陸ではタンポポは黄色と決まっていた。それで、「あっ!白いタンポポがある。」と叫んだ。
すると彼女は不思議そうな顔をして、「九州ではタンポポは白いですよ。」といった。その時始めて白いタンポポが在ることを知った。シロバナタンポポは関東以西に自生し、特に九州では多いそうである。でも最近は九州でもあまり見かけなくなったと聞いた。

彼女は高校生の時書道の師範を取ったらしく字がとても上手で綺麗だった。私は小学時代から字が下手で母親を心配させていたらしいが、大学へいっても同じだった。彼女と文通を始めてからは彼女の字をお手本に一生懸命綺麗に書こうと努力したものである。おかげで少しはまともな字が書けるようになった。
また、彼女はクリスチャンだった様で、短大を卒業したら神学校へ行きたいと言っていた。話す話題も哲学的な話題が多くサルトルや、ボーボワールの話しを良くした。私は二人とも良く知らなかったので、早速本を買い集め読んだ。ボーボワールはおもしろかったが、サルトルはさっぱり判らず理解できなかった。

夏の終わり頃彼女から「会いたい」と電話があった。会うと今度は「海へ行きたい」と言った。彼女はそのつもりで既に下着の代わりに水着をきていた。まだ海の家は営業していていたが、海水浴客は私達以外にはいなかった。しばらく二人で海に入ったり波打ち際を歩いたりしていたが、何を話したか全く記憶にない。ほとんど会話が無かったような気もする。寒くなったのでもうあがることにしてシャワーを浴びた。彼女はまた同じように水着を着たままその上に服を着た。京浜急行の電車のドア付近に二人は黙って立っていた。いつもは少年のような彼女の胸が弾力のある膨らみに見えたのが今でも印象に残っている。

何が言いたかったのか、何も出来ない私に愛想をつかしたのか、彼女との距離は遠くなっていった。
11月の文化祭で会ったのが最後だった。その後の消息は分からない。神学校へ行ったといううわさも聞いたが定かでは無い。

私のアルバムの中に次の一編の詩を残し、彼女は私から去っていった。

枯れ木の中を
枯れ木をまたぎながら
歩みたい
私の神経がぐったり
つかれて ヘトヘトになり
もう歩けなくなるまで

そうしたら
そのむこうに 朝日と共に
私にも きっと
希望が来るだろうから
ヘトヘトになり
つかれてもう歩けなくなるまで

isomi   oct 11. 6