私(母)


定年退職したら和食屋さんでアルバイトしたいと、母は言っていた。

だから母は看護士として勤めてきた病院を定年退職して、ハローワークへ和食屋の求人を探しに行った。


ハローワークの職員に看護士の仕事を薦められ、和食屋ではなく看護士のアルバイトをすることにしたと母が言った。

それで、その看護士のアルバイトはその時から今も続いている。

以前は毎日だった、今は週に3日になった。


私は3姉妹、年子。

同じ頃に3人してそれぞれ専門学校へ行った。

私の両親は離婚していて母子家庭なので母は、その頃経済的に大変だったのだろう。

住まいのマンションのローンも、あの頃はまだあったと思う。

母は勤め先の病院にバレないように、こっそりと和食屋の皿洗いのアルバイトをしだした。

お店が暇な時には、クズ野菜などを使ってまかない料理を教えてもらえるのよ、と母は楽しそうだった。

母は料理が好きでよくキッチンに立ち、ちまちまと小鉢をたくさんテーブルに並べた。

料理の本は眺めているだけでも楽しいと言って眺めてたし、たくさん持っていた。

何年間かこっそりと和食屋のアルバイトを続けてた。

このアルバイトを、料理好きな母は楽しみな時間だと言っていた。

和食屋で働いた経験はこの時だけ。

(皿洗いだけど)


今、 看護士の母は「もう怖くて呼吸機なんて触れないわ」と言う。

難しい大変な仕事はもう出来なくて、患者のヒゲを剃ったり、爪を切ったり、褥瘡の有無や状態を皮膚科医に伝えたりしていて1日の仕事が終わるのよ。

とも言っている。


定年退職して和食屋で働いてみたいと言っていたけど、看護士の仕事を選択したのは母。

母の娘である私たちは、

「お母さん、もう仕事しないで

ゆっくりすればいいのに」と言っても、仕事を続ける選択してるのも母。

難しい仕事はもう出来ないみたいだけど、看護士しか出来ない仕事を母は今もしている。

それが母の選択。


それなら私は、母が仕事を続けられるように手助けしていこうと思う。


尊厳死という言葉。

尊厳職という言葉もあればいいのに。


母 77歳。

忘れっぽくなってるし、

話していても、内容を理解するのに

時間がかかるようになってきてる。

それは恥ずかしいことじゃない。

自然なことだと思ってる。


明日の朝、私は母を職場の病院まで送迎する。

これからも、そうしていきたい。