私(母)


息子は、息子の猫ロサを

友達に預かってもらった。

ロサを預かってくれた友達は

コインランドリーから戻って

ロサがいないことに気づいた。

網戸が開いていたって。

何人かで手分けして何日間か

探したが見つからなかったけれど

友達のお父さんがたまたま

友達のアパート付近を

歩いていたら

木のそばにいるロサを

見つけたらしい。

今ロサは息子の手元に戻ってる。

ロサが見つかった後で

ロサがいなくなった話を

聞いたので、よかったと思い

心配して気疲れせずに済んだ。


私が20代はじめの頃。

りょうは高円寺で一人暮らし

みきは阿佐ケ谷で猫2匹と暮らし

私はこのふたりの間辺りの 

アパートで一人暮らししてた。

仕事を終えて夜になって

3人の誰かのアパートに集まり

ご飯をたべたり、お酒を飲んだり

楽しく会話をしてきた。


みきは東北出身。

身内に不幸があった為

猫2匹をりょうに

預けて帰省した。

私はその頃

猫に怖くて触れなかった。

りょうの家で、預かった猫1匹

逃げてしまった。

私も探した。

東北から戻ったみきも 

慌てて探し出した。

見つからなかった。


もう3人でご飯を食べることは

2度となかった。

りょうはジャズボーカリスト。

定期的に水道橋のジャズクラブで

歌っていた。

りょうが歌う夜は みきと私は

そのクラブへお酒を飲みに

そしてりょうの歌を聞くのが

常だった。

猫がいなくなって

りょうとみきは会わなくなって

私はひとりで、りょうの歌う

ジャズクラブへ行くのが

当たり前になっていった。

青白い照明が

きれいなクラブだった。


今では私も、りょうとも

みきとも会っていない。

いつからか私の生活も

そこから離れていった。

暮らすアパートも

高円寺と阿佐ヶ谷の間では

なくなった。

みきも転勤していった。


生きてきた中で出会う人もいれば

もう会わなくなった人もいて。

みきとりょうのふたりの

別れ方には、後味の悪さが

あったと思う。

私にも後味の悪い別れが

今までにひとつやふたつあった。


りょうとみきと囲むテーブルで

どちらかが

「私達、家族みたい。

本当の家族より家族みたい」

と言ったことがある。

そんな時が確かにあった。


息子の猫ロサがいなくなり

見つかったと聞いた安心感から

りょうとみきと囲んだテーブルの

和やかさを思い出す。

あの頃は

怖くて触れなかった猫を

今の私は

撫でたり抱きあげたりしてる。

これから先のことだって

どうなるかなんてわからないから

いつかどこかのジャズクラブで

りょうとみきにばったり

会うこともあるのかもしれない。


私達は家族のように

湯気のたつ料理が並ぶ

テーブルを囲んできた。