私(母)


28歳の時、私は交通事故にあった。外傷性脳損傷、少しの出血は手術せずに止まったらしい。私は意識を何日か失って事故にあったことも知らない。

病院で目覚めたら、目が見えなかった。光はあった。段々見えるようになってきたけど、その見え方はまるで万華鏡。ベッドテーブルの上のカップはあちらこちらにあるように映る。本当のカップはどこにあるかわからない。つかもうとすれば何も無い。

階段なんてずっと続いていて、さらにあちらこちらに階段があるように見える。怖くて歩けない。


眼そのものに傷はないので、視神経の検査入院をすることになった。

お茶の水の入院先で、女性のみの4人部屋。毎日色々な検査をした。脳外科の検査が必要なときは、ガイドヘルパーに同行してもらい歩いて順天堂脳外科へ行った。検査を終えたら電話をしてガイドヘルパーを再び呼ぶ。ガイドヘルパーに同行してもらい入院先へ帰る。電話をするのも万華鏡のように見える目では大変だった。ひとりでは怖くて歩けない状態だった。


入院して何日目かに、私のベッドテーブルの上の点眼薬が見えた隣のベットの女性は

「点眼薬のキャップがトリコロールカラーみたい」とフランス語で言った。私はそのフランス語が理解出来たので

「そう言われればそうですね。

どうしてフランス語を話すの?」と

私もフランス語で答えた。

彼女はフランス語の翻訳の仕事をしていると教えてくれた後で、私がなぜフランス語がわかるのか尋ねてきたから、勉強したと答えた。


「生きていたくないと感じてるでしょ」と彼女は私の気持ちそのものを言い当ててきた。

私が交通事故にあったこと

目が万華鏡のように映ることなどを

お見舞いに来てくれた友達に私が話す声が聞こえていた彼女は知っていたみたい。

彼女に年齢を尋ねられたので28歳だと答えた。彼女は

「8歳の娘と手を繋いで歩いていたら、走ってきた車に娘だけひかれて即死だったの。娘が生きていれば今28歳、あなたと同じだわ。あれから20年経つのね。昨日の事のよう。」と途中から涙ぐんでいるのが、見えにくい私でもわかった。

「目が見えなくても生きていることを、あなたのお母さんは望んでいると思うわ」と言った。

その後すぐにフランス語で

母親にとっての1番の不幸は、子を失うこと。あなたのお母さんを不幸な母親にしないで、と言ったの。

フランス語の勉強してきて、1番悲しいフランス語を聞いたのは、お茶の水ででした。


彼が迎えに来て(彼は元夫ね)

退院する時、彼女は部屋にいなかったから挨拶もせず終い。

たった10日間の入院先で話しただけの女性。今でもその女性と私は交わってる気がしてならない。


私の目は回復して、視野が多少狭くなったくらい。

今、こうして生きている。

ガイドヘルパーの資格を取った。

私も母親になった、幸せな女だと伝えたいよ。