今日はスタバで2時間がっつりノート。
自分で言うのも何だけども、やっぱりだいぶこじらせながら生きてきてしまった💧
うまくいかないながらに頑張ってきたことは褒める、褒めるけども、頑張りかたが間違ってたのは間違いない(。-ω-)
遠い目しちゃうよ。
遠く見ちゃうよ。
今日も青空だったよ…。
ふと、子供の頃に「男の子だったら良かったのに。」と母に言われたことを思い出した。
これについては、ショックだったことを以前、母に伝えた。
女の子としてもう産まれてしまっているのに、そりゃねーぜ?どうしろっつーんだよ?今の私じゃダメなのかよ?と思ったよと。
案の定、母は悪気なく言っており、そんなことを言ったことも忘れていた。
ただ当時、母の目には私はとても頑張り屋さんで負けず嫌いで男にも負けない子だと勝手に思い込んだらしい。
(戦いには興味がない平和主義者なのにな。)
男の子に産まれていたら、きっとバリバリ働いて稼げる人になれただろうに…という意味だったらしい。
田舎で男尊女卑が強く残る土地柄である環境や時代背景もあったのだろう。
女は頑張っても男より稼げないとか、女は男に従って男をたてるものみたいな。
そのことはゴメンねと謝られたが、母も祖母に同じことを言われたのを思い出し、やっぱりかと笑った。
「男の子だったら良かったのに」をお見舞いされ、小学校~短大生の間、女の子らしい格好や仕草を一切しなかった。
髪もほぼショートカットで、伸ばしてもせいぜい肩につかない程度のボブどまり。
小学生の時に母がスカートを作ってくれて嬉しくて履いていた時を除いて、年中ズボン。
女子であることを封印していたような風貌だった。
特に母の前では。
社会人になり、多少色気づきモテたい願望が出始め、頑張りだした。
スカートを履き、髪もロングにしたり、アイロンで巻いてみたり…。
女子アナ風を目指して頑張った。
頑張ったけども、結果はなかずとばずで私にとってはただの暗黒期。
今も迷走してるけど、今よりもっと迷走。
思い返すと結局のところ、数は少ないが好意を持ってくれた人達は私が無理していない姿の時だった。
ある時、ナイナイアンサーで北陽のあぶちゃんが心屋さんの魔法の言葉をつぶやいている姿を観た。
「私、かわいい女の子だよ。」と言いながら泣きじゃくるあぶちゃんを観て、自分も大泣きしたことを覚えている。
母の前で女の子らしい姿をするのが怖くて、そういうファッションは避けていた。
母の前でメス感を出してはならないという謎のルールに従っていた。
母は私はそういう格好が好きなのだと思っていたらしい。
もっとかわいらしい格好をしたらいいのにと残念に思っていたそうだ。
「男の子だったら良かったのに。」と言われはしたが、母は私に男の子になって欲しかったわけではない。
正確には「男の子に産まれていたら、きっとたくさん稼げただろうに。」だ。
言葉を省略しすぎじゃないかい?(笑)
事実、私が小さい頃、父の給料日になるといそいそとかわいいワンピースを買いに走り、私に着せてあげるのが楽しみだったと教えてくれた。
かわいい女の子でよかったのだ。
勘違いしたまま頑張ってしまった💧
今さらながら悔やまれる。
現在は母の前でも自分がしたい格好をしている。
母に服装のことで何か言われても、「うるさい。」で片付けられる(笑)。
お互い勘違いして思い込んだまま貴重な時間を無駄にして人生を送ってしまったものだ。