何か昭和の温泉街を思い出されるマチュピチュ村



日本から見れば地球の反対側に位置する遠い国 南米ペルー

 

開発途上国と言っても良いペルーだが

 

昔から日本では人気の旅行先だ

 

ちょうど日本とモンゴル国のような

 

遥か昔からの縁を感じるのは私だけだろうか・・・?

 

もう30年ほど前に初めてペルーを訪れた時に

 

地元の環境旅行に参加した

 

人数は10人ほどだったが、お医者さんや弁護士、学校の先生など

結構クラスの上の人達の小旅行だった

行き先は国立公園のワラース 当時スペイン語が出来ない私に

みんな親切だった

最初の晩餐時に旅行ガイドから「今回の両行はとてもラッキーな旅になりますよ」

という話しを始めた

 

その理由が奥さま曰く「遠い光の国から参加者が居るからと言う」

私は誰だその光の国の主は・・・・と尋ねると

 

どうやらその人間は「日本から来た私のようだ」という

えぇぇなぜ私が・・・えぇx日本が光の国・・・何故。。・?

 

頭の中が混乱したのを今でも覚えている

何故ペルーの人たちは、見ず知らずの国、日本から来た人間にそのように接するのか

不思議だった。

 

また参加者の一人で、大学の先生をしている人は

訪問した博物館や歴史館などで

「大昔ここを統治していた王様の奥さんは日本人だったんだ」などと

飛んでも無いことを私に説明してくれた

 

ペルーの歴史も深く勉強もせずに行ったもので、皆さんの説明は全く理解できなかったが

どうやら地球の反対側にある、不思議の国ペルーは日本人と案外繋がりがあるのでは?

と感じた次第だ。

 

それからと言うもの

 

色々な書籍やネット検索でペルーの歴史を一通り学んだお陰で

今では奥様の家族の中で私が一番歴史に詳しくなった(笑い)

 

 

ペルーを知れば知るほど、昔からペルーの地で人知れず貢献した日本人が多数存在する

事に驚き、先人の努力がって今の日本人の評価に繋がっているのだろと

納得した。

 

 

 

今回はその中の1人、野内与吉さんをご紹介したい

野内さんは世界遺産で人気のマチュピチュの麓にあるマチュピチュ村の初代村長で

クスコからマチュピチュまでの鉄道建設に多大な貢献をした人物だ

 

今でも残るマチュピチュ村の佇まいは、日本の古き良き時代の温泉街を彷彿させ

何か心が和む「和のエリア」なのだ

 

 

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ウィキペディア参照

 

野内与吉・・・1895年福島県の農家に生まれる

1917年 21歳の時にゴム景気に沸くペルーへ移民として渡る

1923年からペルー国鉄に勤務、マチュピチュまでの建設に携わることが契機に

マチュピチュ村に移住

1939年にマチュピチュ地区の行政最高責任者に就任、マチュピチュ地区が村に昇格後

1984年から初代村長となる

村初のホテル「ホテル・野内」開業し水力発電を作るなど村の発展に大きく貢献した

 

マチュピチュ村は野内さんの故郷、福島県大玉村と、同村では初めての友好都市協定を

2015年10月に締結された