ワシントン発の記事から

 

ノーマン・ミネタ元米運輸長官が3日、心不全のためメリーランド州の自宅で死去した。

 

90歳

 

第二次世界大戦中に日系人強制収容を体験、サンノゼ市長や下院議員などを

 

歴任し、クリントン政権で日系人で初めて米国の閣僚に起用された。

 

 

1931年11月12日、カリフォルニア州サンノゼ生まれ

大戦中の3年間、’ワイオミング州の日系人収容所で暮らしを強いられた。

大学卒業後、陸軍勤務を経て67年にサンノゼ市議に当選

71年から4年間サンノゼ市長を務めた。

75年から95年の下院議員時代には、戦時中に強制収容された日系人の名誉回復に尽力。

努力と執念の結果、88年にレーガン大統領が「市民の自由法」に署名して

米政府による謝罪と補償に結び付いた。

 

退任後の2006年12月

 

米国で文民最高位の「大統領自由勲章」を受賞した。

 

彼の功績から

 

現在のサンノゼ国際空港は、ノーマン・ミネタ サンノゼ国際空港と

 

呼ばれて久しい。

 

 

 

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私事の思い出に

 

右も左も分からずに渡米し

 

必死に生きていた学生時代

 

日系新聞社のボランティアをさせていただいた。

 

アメリカの事も、ましては日系人社会など

 

全く知る機会のなかった私にとって、日系新聞社でのボランティアは

 

新しい発見の連続だった。

 

スタッフの方と、よくサンノゼ界隈を回ったものだ。

 

それは日系社会でも、大成功を収めた農業関係者や花園業者が多く

 

サンノゼエリアから以南に多く存在していたからだ。

 

 

多くの日系一世や二世の苦労話を聞くうちに

 

私の考えは、どんどん変わって行ったのを覚えている。

 

 

アメリカ社会で特にカリフォルニア州において

 

現在のように日本人が、何の苦労もなく

 

表を堂々と歩けるのは、先人の一世や二世の方々の努力のお陰なのだと

 

心の底から感じたものだった。

 

 

そんなサンノゼの大きな日系社会の中心には、いつもノーマン・ミネタさんが居た。

 

 

彼の業績は、言葉では言い尽くせない。

 

 

ミネタさん 本当にご苦労さまでした

 

 

そして 有難うございました。

 

 

合掌