日田について | この美しき瑞穂の国

日田について

近いうちに大分県日田市に行くと決めていながら具体的にどこを訪れるのか全く考えてなかったので昨日日田について少々調べてみた。



すると日田という地名は一説によると比佐津媛(または久津媛(ひさつひめ))という女神の名に由来するらしい。



比佐津媛は第12代景行天皇(日本武尊の父君)が熊襲征伐の帰路に豊国日田郡に立ち寄った際に人の姿を借りてお出迎えし、郡内の様子を説明したとされる。また比佐津媛は一説には邪馬台国の卑弥呼である、もしくは同時期の同じような立場の女性が神として祀られたものと云われているそうだ。



日田の地名の由来となったとされるこの女神は日田駅の南東にある比佐津公園内にある会所山(よそやま)にある比佐津媛神社に祀られている。この由緒を知り、まず比佐津媛の元にお参りしようと決めた。



そして日田ではなぜか早吸比売(はやすひめ)という女神を祀る神社が多く点在しているという。



早吸比売に関する伝説としては紀元前667年に神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと(後の神武天皇))が速吸の瀬戸を通りかかった折、海女の姉妹の黒砂(いさご)神・真砂(まさご)神が海底から大蛸が護っていた神剣を取り上げて神日本磐余彦尊に奉ったところ、神日本磐余彦尊御自ら神剣を御神体として早吸比売を祀り建国を祈願したという話がある。



早吸比売とは聞き慣れない女神だが、ホツマツタヱにはハヤスフ媛(またはハヤスヒ媛)として登場する。


ハヤスフ媛は筑紫の宇佐の宮を治めていたアカツチという人物の娘であり、真名井の朝日宮(京都府宮津市の籠(この)神社奥宮と考えられる)でソサノヲ尊(素盞嗚尊)が見初めて求婚した女性である。



だがソサノヲ尊は生まれつき泣き叫んだり雄叫びを上げたりと情緒不安定(※現代的に言えば知的障害があったのかもしれない)で常にお付きの者に監視され、宮も創設出来ない身であったことから破談となった。



後にハヤスフ媛はソサノヲ尊が想いを寄せた女性だったという妬みからかつてソサノヲ尊と情を交わしたコマス姫ハヤコの成れの果てであるヤマタノオロチに殺されてしまった。そしてヤマタノオロチは後にソサノヲ尊によって退治された。ソサノヲ尊はヤマタノオロチ退治とシラヒト・コクミ一味退治の功により元の高貴な身分に戻ると出雲国を建国した。この頃になるとソサノヲ尊は知的障害を克服していたのかもしれない。



話が少々それたが早吸比売も気になる。ちなみにこの女神は大分市の早吸日女神社に祀られている。時間的に可能であればここも訪れておきたい。



そんなわけでちょっと調べたらいろいろ行くべき所が浮かんできたのである。故にもう少し調べてみよう。