春の岩木山神社 | この美しき瑞穂の国

春の岩木山神社

2024年4月28日青森県弘前市の岩木山神社にお参りした。岩木山神社を訪れるのは三度目である。



春の岩木山神社の境内はとても華やかで爽やかだった。初めて訪れた時は雪化粧で辺り一面真っ白だったので対照的な風景である。




岩木山神社の狛犬は柱にしがみつく珍しいかたちをしている。反対側は頭を下にしてしがみついている。




津軽国一宮・岩木山神社の御祭神は顕国魂神(うつしくにたまのかみ)・多都比姫神(たつびひめのかみ)・宇賀能売神(うかのめのかみ)・大山祇神(おおやまつみのかみ)・坂上刈田麿命(さかのうえのかりたまろのみこと)。


御祭神の顕国魂神は津軽開拓の神として昔から信仰されてきたがどのような神であるのか(大国主神とする説あり)諸説ありはっきりしない。しかし顕国魂神とはホツマツタヱによれば出雲の国譲り後に津軽に国換えされたオホナムチの異称であるとされる。


出雲大社の御祭神は大国主命とされるがオホナムチは大国主命ではない。大国主(ヲコヌシ)はオホナムチの子クシヒコがニニキネ尊より賜った守名であり、オホナムチとは別人なのである。



出雲国譲り後、180人の御子を率いてタカマに仕えたオホナムチは、涙ぐましいほどの忠勤ぶりから許されて津軽アソベのウモト宮を賜り、ここでも子供たちと力を合わせて出雲国のように大いに国を発展させ、立派な宮殿を立てたという。そのためウツシクニタマの守(顕国魂神)と称えられ、津軽アソベの国守となったという。



ホツマツタヱで出雲よりオホナムチが国替えで津軽へ移されたとする話を裏付けることになるかどうかわからないが、出雲弁と津軽弁は似ているといわれている。


2014年12月28日に初めて岩木山神社をお参りした晩に観た夢がなんとも不思議な夢だった。当日(2014年12月29日)に書いた限定記事を公開しよう。



先ほど深夜1時半頃に見た夢の話である。


僕は夢の世界で夢を観ていた。その夢の中の夢の世界で僕は本来立ち入ってはならないある尊貴な人物の御陵(みささぎ)の中にいた。その中はまるでコンサートホールのように広くて室内ながら照明がついているかのように明るく、正面には砂漠の砂のようなものが敷き詰められていた。その砂の下には剣が隠されていることをなぜか知っていたので、僕はその砂場に入り手探りで剣を探すと一振りのまるで新品のような剣を見つけることが出来た。


そこで夢の中の夢から覚めると僕は剣を手にしていた。その剣は最初重く、振ればブォッと空気を裂く音がした。そしてその剣は金属をも斬れることを知っていたのでいろいろ試し切りしてみた。すると段々剣の重さを感じなくなり、自分の身体の重さもあまり感じなくなって、とび跳ねるように移動しながらあらゆる物を試し切りした。その剣は力を入れなくても、その重みだけで物が切れるほどの切れ味で金属製の机の足や電気コードもまとめて簡単に切れてしまった。


そんなことをしているうちに良からぬ者たちが銃器を持って大挙して攻めてきたので剣で戦いに臨もうとしたところで目が覚めた。


夢で見た剣はステンレス製のナイフのような銀色の曇りの無い輝きで刀身の中程がスリムな女性の腰のように細くなっている変わった形をしていた。そして最初に感じた重みは妙にリアルだった。


なんとも鮮明で意味深な夢であった。



この記事の中では書いてなかったが、どこか別の記事では夢の中の夢から覚めて剣を手にした僕に黒服を着た男達がサブマシンガンを撃って襲ってくる場面があったことを書いた。しかし剣を持っていたらまるでるろうに剣心の緋村剣心のように素早く動くことが出来たので黒服の男達の何人かを斬ってそのまま逃走するという内容の夢だった。



この夢見から出雲と津軽は伝説通り繋がっていると確信したのである。



以来、岩木山神社は青森県を訪れたらお参りせねばと考える重要な神社なのである。




摂社白雲大龍神


ここでは龍神祝詞を唱えてお参りした。


神社の社叢には山菜が生えていた。


山菜美味しそうと見てしまう僕は食いしん坊だな。


他にも境内には可憐な花があちこちに咲いていた。






岩木山神社の真後ろに聳える雄大なる岩木山。




初めて訪れた時の印象から冬に訪れるのが良いと考えていたが、春爛漫の岩木山神社も爽やかで花が美しくて良いものだ。



今回はいつもよりもたくさん境内を歩き回って春を満喫したのであった。



岩木山神社にはまた何度も訪れよう。