礼儀 | この美しき瑞穂の国

礼儀

昨日、過去記事山口・福岡の旅(萩 前編)にアクセスがあったので自分でも読み返してみた。



山口県萩市は江戸時代末期の思想家・教育家である吉田松陰の故郷であり、松陰は松下村塾で多くの志士たちを育てた。そして松陰に学んだ塾生たちが明治維新の原動力となった。



吉田松陰の師である玉木文之進(たまきぶんのしん)の教育は凄まじいスパルタ教育だったという。


若き日の松陰が書物を素読していた際に頬に蝿が止まったので頬を掻くと、文之進が突然「おまえはそれでも侍の子か!!」と激怒して殴り倒したという。



そして張り倒した理由について、勉学中に頬を掻くことは勉学(公儀に役立つ人間になるためにするもの)よりも私利私欲を優先したことになるからだという。


故にこれは滅私奉公に反する行ないであるとして激怒したのである。


文之進によるスパルタ教育は他にも松陰を崖から突き落として気絶させたこともあり、松陰はしばしば鉄拳制裁を受けたので後年になって「よく死ななかったな」と過去を振り返ったという。



玉木文之進のスパルタ教育はやりすぎ感があるが、その考え方は理解出来る。滅私奉公、公私を厳格に区別するのは昔の日本では当たり前の事で命にも関わることだった。



たとえば江戸時代には切り捨て御免という制度があった。もしも下の身分の者が武士等に無礼を働き、注意しても無礼を正さねばその場で切り捨ててもお咎めなしとされた。


それゆえきちんとした礼儀を身につけることは己の命を護ることになり、玉木文之進はそれを全力で松陰に教えたのではないだろうか。ちなみに吉田松陰は己の師のようなスパルタ教育はしなかったようで、門下生たちとよく議論をしたそうだ。



玉木文之進ほどではないが、僕が学生の頃はまだ教師による体罰が当たり前だった。


たとえば中学生の頃、同じクラスの男子がある授業の終わりの礼の際にあくびをしてしまったことがある。すると担当の教師はその生徒を前に呼び出して「おまえなあ(ビンタ)」「授業中になあ(ビンタ)」「あくびしてなあ(ビンタ)」「いいと思ってんのか(ビンタビンタビンタ)」「親父に聞いてこい!(ビンタ)」・・・と往復ビンタしたことがある。こういうことはよくあった。



また生徒指導の教師はいつも竹べらを持ち歩いて校則違反の生徒をビシビシ叩き、他校の生徒が校内に乗り込んで来た時には竹刀を持って追いかけ回していた。



こういうのが良いとは言わないし、第一今の世の中では体罰は禁止されている。



でも礼儀は大事だということを教えてもらったように思う。そして礼儀は親しき仲にも必要なものだ。



どんなに親しい間柄でもお互いに言ってはならぬ禁句、してはならない行為というのがあるものだろう。それをわざわざ行なえばどんなに親しい仲でも関係が壊れてしまうことがある。



無礼は昔ならば命取り、現代では命取りにはならなくとも人間関係が壊れる原因になる。やはり礼儀は大事なのである。