2023年9月山梨の旅(恵林寺) | この美しき瑞穂の国

2023年9月山梨の旅(恵林寺)

2023年9月22日山梨県甲州市勝沼の大善寺をお参り後、甲州市塩山の武田不動尊恵林寺(えりんじ)へ向かった。


大善寺を出発する際【武田不動尊】のワードでGoogleマップのナビに従いレンタサイクルで向かった。


するとさすが果実王国山梨県、道端にキウイフルーツやら栗やらクルミやら柿やらいろいろ落ちていた。




まさか道端にキウイフルーツが落ちているとは(笑)



そんな果実王国の道に驚きながら辿り着いた武田不動尊はなんか様子が違う・・・Googleマップによれば武田不動尊は二箇所あるようで、僕は山の中にある謎の場所に辿り着いてしまった。そこでよくよく調べるとここが武田信玄ゆかりの不動明王を安置する武田不動尊ではないことに気づいた。

目指すべき武田不動尊はなんと逆方面だったのである。かなり無駄な回り道をして体力をかなり消耗してしまった。そのため慌てて元来た道を戻り、また大善寺の前を通って山梨市、甲州市、笛吹市の果樹地帯を通り抜ける農道・フルーツラインを通って山梨市方面へ向かった。


このフルーツラインが上り下りを繰り返す道で、下りはラクラクながら上りはとてもキツかった。そのため、下り坂があれば出来るだけペダルを漕がずに体力温存し、次の上り坂が見えたら出来るだけ下り坂で勢いをつけて上りを少しでも楽になるように進んだ。


このフルーツラインが気が遠くなるような長さだった。

そしてやっと武田不動尊の近くまでやってくるも、ナビが示すルートがどうも住宅街の狭い道を行かせようとするので、果たして部外者が住宅街に入って良いものかと近くを歩いていたおじいさんに「けいりんじ(恵林寺)ってどこですか?」と訊ねた。すると「けいりんじ?えりんじ(恵林寺)ね。2つ先の電柱が立ってる通りを右に曲がって真っ直ぐ突き当りまで行くとあるよ。」と教えて下さった。よってGoogleマップのルート案内は正しかった。Googleマップさん、疑ってすまぬ。


こうして大善寺から道を間違えて元来た道を戻るなど、無駄に疲れて恵林寺へ到着。




恵林寺の境内は広く、綺麗に整備されていて美しい。





恵林寺の本堂へ向かうと拝観料を払うべく窓口の方を呼び出した。すると奥からやってきた窓口のお姉さんに自動券売機で拝観券を買うように促された。どうやら窓口が無人でも自動券売機で拝観券を買ってそのまま入れるようだ。

窓口は無人だが看板猫さんがいらっしゃった。でも撮影禁止マークがあったので皆さんにはお見せできないのが残念。



恵林寺本堂内もまた広く、庭園は美しく整えられている。





武田不動尊こと乾徳山(けんとくざん)恵林寺(えりんじ)は臨済宗妙心寺派の名刹で元徳2年(1330)の創建。

当寺は戦国大名武田信玄の菩提寺とされ、武田信玄の死後に跡取りの四男・武田勝頼が父・信玄の葬儀を厳修したという。


本堂からこの廊下橋を渡ると武田信玄の念持仏とされる不動明王を安置するお堂がある。


もちろん写真撮影は出来ないので興味のある方は各自ネットで画像検索してほしい。この恵林寺の不動明王像は一説によると武田信玄をモデルにして造られたと云われている。そして尊像の胸には武田信玄の髪が塗り込められているという。


昔から武田信玄の肖像としてだるまのような恰幅の良い入道姿の有名な肖像画があるが、近年ではあの肖像画の人物が武田信玄ではないといわれるようになっている。では武田信玄の真の姿はというと、折烏帽子を被り、直垂(ひたたれ)を着た細身の面長な高野山持妙院にある肖像画が武田信玄その人とされるようになってきた。

信じるか信じないかはあなた次第ですが、1917年8月14日に超能力者とされていた三田光一なる人物が甲府市琢美教場という所で武田信玄の念写を行なったという話がある。この時に念写されたという武田信玄像は入道姿ながらだるまのような恰幅のよい人物とは違う面影がある。


ちなみに三田光一なる人物は他にも釈迦、弘法大師、日蓮聖人、上杉謙信、豊臣秀吉などの念写もしている。興味のある方は検索してみて下さい。


不動堂では不動明王真言を唱えてお参りした。

不動明王慈救呪

のうまく さんまんだー ばーざらだん せんだー まーかろしゃーだー そわたや うん たらたー かんまん

(※真言は普段自身が唱える時のように長音符を加えてみた)

不動堂お参り後はしばし美しい庭園を眺めてまったり。ここでは時間がゆっくりと流れているようだ。



武田不動尊お参り後はジャンボ鶴田さんの墓参りに行った。

(つづく)