2023年土佐の旅(土佐神社) | この美しき瑞穂の国

2023年土佐の旅(土佐神社)

2023年7月22日高知県土佐市一宮(いっく)しなねの土佐国一宮土佐神社を訪れた。


土佐神社はJR土佐一宮(とさいっく)駅より徒歩20分ほどである。



土佐神社の楼門は現在改修工事中だった。大抵こういう工事は周りを幕で囲って中が見えないのだが、工事の模様が見えるようになっているのは珍しい。



土佐神社の社殿は土佐の戦国大名長宗我部元親が四国平定を祈願して1570年に再建したもので、楼門と社殿と社殿前の鼓楼は重要文化財に指定されている。


長宗我部氏は信濃国更級郡(さらしなぐん)桑野の地を領した秦氏の末裔である。そしてその家祖は秦河勝(はたのかわかつ)が聖徳太子から物部守屋討伐の功により恩賞として賜った更級郡桑野の地に移住し土着した河勝の長男・秦広国(はたのひろくに)である。

そして平安時代末期、時の当主だった秦能俊(はたのよしとし)が保元の乱で崇徳上皇方について敗れ、当時流刑地だった土佐国長岡郡宗我部郷(現在の高知県南国市)まで落ち延びたという。


そして宗我部郷の地名から当初「宗我部」の苗字を名乗ったが、香美(かみ)郡宗我部郷という所に甲斐源氏の流れを組む中原秋通(なかはらあきみち)という武士が住み着いており、こちらも「宗我部」の苗字を名乗っていたため紛らわしいので抗議されたという。

そこで秦能俊は長岡郡から長の一字を頭に付けて長宗我部、中原秋通は香美郡から香の一字を頭に付けて香宗我部(こうそかべ)と苗字を変えて区別したという



鳥居をくぐって境内に入ると「志なね祭」の幟がすぐ目に入った。どことなく信濃に語感が似ているではないか。


土佐神社拝殿


土佐神社の御祭神は味耜高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)、一言主神(ひとことぬしのかみ)。いずれも古代氏族賀茂氏の祖神である。



味耜高彦根神は大己貴神(おほなむちのかみ)の御子神で迦毛大御神(かものおおみかみ)とも称する。奈良県御所市(ごせし)の高鴨神社に祀られる神である。


そして奈良県御所市の葛城一言主神社で祀られる一言主神は第21代雄略(ゆうりゃく)天皇の時代に現れた神である。


雄略天皇が葛城山でお供たちを連れて狩りをしていると、天皇ご一行とまったく同じ装束の一行と出会った。天皇はそれを怪しみ『倭には我を除いて王はいない。汝は何者か。』と天皇と同じ姿をした者に問い掛けた。しかしその者はオウム返しに同じことを言った。それに憤慨した天皇はお供の者たちに矢をつがえさせて相手方に矢を放とうとすると、相手側も同じように矢をつがえてきた。


そこで天皇が再び問うと天皇と同じ姿の者は『我は悪い事も一言、良い事も一言で言い放つ神。葛城の一言主の大神である。』と応えた。それを聞いた雄略天皇は畏(かしこ)まり、御刀や弓矢、そして家来たちが来ていた御衣を一言主神に献上した。すると一言主神は拍手を打って献上品を受け取った。そして天皇ご一行の還幸を見送ったという。


上記の話では一言主神は天皇から畏敬されたようだが、逆に不名誉な伝説もある。


雄略天皇と狩りで競い合ったために天皇の怒りを受け、一言主神は土佐へ流されたという話もある。それゆえに土佐神社には一言主神を祀っているのである。


また葛城山で修行した役行者(えんのぎょうじゃ)が葛城山と金峯山(きんぶせん)の間に石橋を掛けようとして鬼神たちを召喚し、昼夜一貫工事をさせたという話があり、その神の中には一言主神も含まれていた。


しかし一言主神は己の醜い姿を恥じて昼は働かず、夜のみしか現れなかったので役行者は激怒し、一言主神を深い谷に呪力によって縛り付けてしまったという。そして結局工事は完成しなかったという。


一言主神はこのことにより役行者を深く恨み、後年役行者の弟子・韓国連広足(からくにのむらじひろたり)に神懸かり、役行者を讒言して無実の罪におとしいれた。このため役行者は伊豆へ流されたという。


一言主神は葛城氏と鴨氏の氏神とされるが、役行者は『賀茂役君小角(かものえだちのきみおづぬ)』という名であり、賀茂(鴨)一族である。つまり自身の御先祖様を呪力で罰してしまったのである。



土佐神社拝殿前にて火水埴の清祓いを奏上してお参りし、御祭神の御開運をお祈り申し上げた。


それから境内を散策した。社殿の後ろに広がる社叢は「しなねの森」と呼ばれている。土佐神社には過去に二度お参りしたことがあるのだが、なんと今回初めて「志なね祭」や「しなねの森」というものを知った。






杉の御神木


「しなね」の語源には諸説あり、7月は台風が吹き荒ぶことから風の神・志那都比古神(しなつひこのかみ)から発したものとする説や、新稲(しいね)がつづまったとする説、他にも御祭神が風と鍛冶に関係することからとする説などがあるという。


ちなみにもし「しなね」を風の神由来とすると、「しなの」の語源の一説と同じである。そして土佐神社は「しなね様」と呼ばれるそうだ。


礫石(つぶていし)




厳島神社



楠の御神木


しなねの森の中ではツマグロヒョウモンやアオスジアゲハなど美しい蝶が飛び回り、野鳥のさえずりが響く美しい環境だった。今までなぜこの森を知らなかったのか。次回からは必ずしなねの森を巡ることにしよう。


今回の旅のテーマには【秦氏】があったが、土佐神社は秦氏と姻戚関係によりほぼ同族化した賀茂氏ゆかりの神社である。秦氏と賀茂氏は一体なのである。


土佐神社をお参り後、土佐一宮駅へ戻ると高知方面の電車が40分待ちだったので駅近くのESTEEM CAFEというカフェで昼を食べた。


レモンうどん(500円)


この店は障害を持つ従業員の方も従業員として活躍するカフェで、イートインメニューは650円のランチや、僕が食べた冷やしうどんだとワンコインというリーズナブルな価格と居心地の良さから地元の方に人気のある店だった。


そして店内はFREE Wi-Fiが設置され、各席にはコンセントと充電器があり、スマホの充電も出来る。

僕は電車の待ち時間の利用のため長居は出来なかったが、この店はスイーツやドリンクメニューも豊富で良い店だった。またこちらに訪れる機会があれば再訪したい。


この後はJR高知駅へ向かった。

(つづく)