岩松院
昨日は長野県上高井郡小布施町の曹洞宗梅洞山岩松院(がんしょういん)を訪れた。
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岩松院には最寄りの長野電鉄小布施駅より徒歩、もしくはタクシー、路線バスでのアクセスがある。僕はちょうどやってきたバスに乗って岩松院へ向かった。
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岩松院は葛飾北斎晩年の名作『八方睨み鳳凰図』で有名な曹洞宗の禅寺であり、戦国武将福島正則の菩提寺として、他にも小林一茶が蛙合戦の歌を詠んだ寺としても知られている。
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岩松院本堂
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岩松院の御本尊は釈迦如来。本堂の天井には葛飾北斎が数え年88~89歳の間に書き上げた『八方睨み鳳凰図』がある。
(画像はパンフレットより引用)
八方睨み鳳凰図は間口6.3m、奥行5.5mの大画面を12分割し、床に並べて彩色した後に天井に取り付けられたという。その大きさは畳21畳分の大きさだ。
その彩色には朱・鉛丹・石黄・岩緑青・花紺青・べろ藍・藍などの顔料を膠水(にかわすい)で溶いた絵の具が用いられ、周囲には胡粉、下地に白土を塗り重ね金箔の砂子が蒔かれている。なんと絵の具代だけで150両(現代の貨幣価値で5000万円くらいだとか)もかけ、使用された金箔は10㎝四方で4400枚だと小布施駅のボランティアガイドさんが仰っていた。
鳳凰図は制作してから150年経つが一度も修復はされていない。それでも当時のままの美しさが保たれているのは素晴らしいことである。鳳凰図をあれこれ観たことがあるわけではないが、葛飾北斎の八方睨み鳳凰図ほど美しい絵は他にないと思うのである。
しばし美しい天井画を眺めた後、本堂をお参りして庭へ出た。そして福島正則の廟所へ向かった。
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福島正則廟所
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戦国武将福島正則(ふくしままさのり)は尾張国の桶屋の子で、正則の母親が豊臣秀吉の叔母である縁から秀吉に小姓として取り立てられた。
そして正則は天正6年(1578)に初陣を飾ると、以後数々の戦において武功をあげ、秀吉子飼いの武将として頭角を表す。正則は羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が柴田勝家を攻めた賤ヶ岳の戦いにおいて特に活躍した七人の武将の一人に数えられている(賤ヶ岳の七本槍)。
こうして桶屋の息子は豊臣政権下で24万石の大大名へと出世する。だが豊臣秀吉の死後に起きた慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは豊臣方の石田三成の敵に回り、徳川家康に味方するのである。
こうして関ヶ原の戦いの後、正則は安芸・備後49万8千石の大大名となるのである。この頃が正則のピークだったのかもしれない。
だが豊臣恩顧の武将である正則を警戒する徳川の謀略に嵌まり、元和5年(1619)に広島城を無断で修築したとして領地を没収され、信濃川中島2万石と越後魚沼郡2万5千石の計4万5千石に国換えさせられることとなった。
左遷された正則は己の悲運を嘆きつつ、寛永元年(1624)64歳で亡くなったという。
この一連の話だけだと福島正則は哀れに思えるが、正則は酒癖が悪く数々の失敗をした逸話があるので因果応報ともいえるのかもしれない。
そんな福島正則の失敗談をいくつか紹介しよう。
・正則が船に乗っていたある時の話である。福島家では船から下りる際に身分の低い者は木綿の服に着替えさせるというしきたりがあったが、着替えていなかったため当時泥酔していた正則はある家臣に着替させるよう命じておいたのに着替えてないではないかと怒りだした。そして怒りの収まらない正則はその家臣に切腹を命じ、その首を見るまでは下船しないと駄々をこねたため、その家臣は切腹して果てた。そして別の家臣がその家臣の首を正則に見せると上機嫌になり寝てしまった。しかし酔いから覚めて切腹した家臣の名を呼ぶも来なかったので不審に思ったところ、己が切腹を命じて果てたことを別の家臣に聞かされ、しかも自分が木綿に着替える命令を出していなかったことも知って、切腹した家臣の首を抱きながら号泣して己の過ちを詫びたという。
・ある時、戦国大名黒田長政(くろだながまさ)の家臣である母里太兵衛(もり・たへい)という者が福島正則の元へ使いとしてやってきた時のことである。太兵衛は主より使いであるので勧められても酒を飲まないように言われていたが、宴会で酔っていた正則が飲酒を強要し、大盃の酒を飲み干したら何でも褒美をやると挑発したため、太兵衛は正則が豊臣秀吉から賜った名槍・日本号を所望する。そして元々大酒飲みの太兵衛は大盃を事もなく飲み干し、正則から名槍・日本号を飲み取ってしまった。これが黒田節の由来である。
正則の酒乱エピソードはまだまだ他にもあるのだが、彼は酒に呑まれてしまう人だったようである。酒は呑んでも呑まれるな・・・福島正則にはそんな言葉を送りたいものだ。
福島正則廟の前にて大悲心陀羅尼を唱え、悲運の死を遂げた正則公の御霊に回向したのであった。
その後、岩松院本堂裏にある蛙池を訪れた。
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俳人小林一茶が『やせ蛙 負けるな一茶 これにあり(※『ここにあり』という説も)の有名な句を詠んだのはこの池である。この俳句は病弱な一茶の初児・千太郎を応援する意味が込められているという。しかしその願いむなしく千太郎は一茶54歳の時に一ヶ月たらずで亡くなったという。
前回岩松院を訪れたのはいつのことだったか覚えていないが、様々な逸話の残る寺であることを今回改めて知った。
葛飾北斎最晩年の大作『八方睨み鳳凰図』は小布施の宝、いや日本の宝だと思う。
そんな素晴らしい鳳凰図を再び観ることが出来て非常に眼福であった。めでたしめでたし。