静神社~大甕倭文神社 | この美しき瑞穂の国

静神社~大甕倭文神社

本日は茨城県那珂市の常陸国二宮静(しず)神社と日立市の大甕倭文(おおみかしず)神社を訪れた。


まず最初に静神社を訪れた。最寄りのJR静駅より徒歩20分ほどである。本日は地元を出る時には雨が降っていたが、茨城県では雨は降っていなかった。しかし今にも雨が降り出しそうな曇天であった。


一ノ鳥居。

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静神社にはかなり昔に一度訪れたことがあったが、その時の記憶が残っておらず初めてお参りするような新鮮な気持ちがした。


二ノ鳥居。

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木々が鬱蒼と生い茂る参道を上る。

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静神社唐門。

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立派な唐門だ。唐門の手前には織姫の像がある。

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静神社の主祭神は織物の神なので織姫の像があるのだろう。ちなみに主祭神は男神である。


神門を通り抜けると目の前に拝殿。


静神社拝殿。

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静神社の主祭神は建葉槌命(たけはづちのみこと)。建葉槌命は別名を倭文神(しどりがみ)という織物の祖神・武神である。相殿に手力雄命(たぢからおのみこと)、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、思兼命(おもいかねのみこと)を祀る。


静神社は昔、東国の三守護神(鹿島神宮、香取神宮、静神社)として崇拝されていたとされ、延喜式名神名帳に鹿島神宮等と共に名神大と記されている。


静神社本殿には水戸藩主徳川光圀公(水戸黄門)が社殿を修造した際に本殿脇の大きな桧の根本から見つかった『静神宮印』と刻まれた銅印が社宝として納められている。この銅印は奈良時代のものであるとされていることから古くは神宮と称されていたのだろうか。ちなみにいにしえにおいて神宮号で称されていた神社は(伊勢)神宮、鹿島神宮、香取神宮のみであったことから、静神社が神宮号を称していたのだとするとかなり社格が高かったのではないだろうか。


当地は古くは静織(しどり)の里と称されており、常陸国風土記に


郡の西十里に静織(しどり)の里あり。上古の時、綾を織る機を知る人あらざりき。時に、この村に初めて織りき。因りて名づく。


と記されており、初めて綾を織った地であると云われている。建葉槌命は織物の祖神であるだけでなく、天津神最強と目される武甕槌神(たけみかづちのかみ:鹿島神宮の御祭神)と経津主神(香取神宮の御祭神)の二神が束になっても勝てなかった悪神・天津甕星(あまつみかぼし)を退治したほどの武神でもある。そのため鹿島神宮正宮の前にある摂社高房社に祀られている。ゆえに鹿島神宮の正宮をお参りする前に高房社をお参りするのが慣わしとなっている。



静神社拝殿前にて大祓詞を奏上し、主祭神建葉槌命の御開運をお祈り申し上げると、曇り空が明るくなり少し日が射してきた。その大いなる御稜威(みいづ)に頭を深々と下げたのであった。



お参りを済ませて静神社を後にすると、次に大甕倭文(おおみかしず)神社へ向かった。大甕倭文神社は最寄りのJR大甕駅より徒歩15分ほどの所にある。

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大甕倭文神社には過去にも何度か訪れているが今回はとても穏やかな気持ちでお参りすることが出来た。


(関連記事)

(2010年12月16日『大甕倭文神社』)

(2012年3月25日『常陸路の旅』)


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宿魂石。

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宿魂石を登り、奥宮(本殿)へ向かう。

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大甕倭文神社奥宮。

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大甕倭文神社の御祭神は武葉槌神(たけはづちのかみ)。創祀年代は不明。


昔、天津甕星(あまつみかぼし)、又の名を天香々背男(あまのかかせお)と称する悪神が大甕(おおみか)山上に陣取り、東北地方に一大勢力をもっていたという。


この神は甚だ強く、天津神最強の武神・武甕槌神(たけみかづちのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)の二神でも歯が立たなかった。



やがて天津甕星は巨岩と化し、日に日に大きくなって天にも届かんばかりになった。


そこで武勇の誉れ高い倭文神(しとりがみ)武葉槌神(たけはづちのかみ)を遣わすと、武葉槌神は巨岩を金履き(金属の沓)で蹴り折った。すると巨岩は割れ、一つは海に落ちて神磯として今に伝わる『おんねさま』になり、あとの石は石神、石塚、石井の地に飛散したという。



そして天津甕星の荒魂(あらみたま)は宿魂石(しゅくこんせき)に封じ込められたという。



大甕倭文神社奥宮にて大祓詞を奏上し、ある願いを掛けると曇り空から太陽が顔をのぞかせて見事に晴れた。そして大祓詞奏上中に二羽の黒アゲハが仲睦まじく僕の周りを翔び回った。その光景がなんともほのぼのとして心が和んだ。この二羽の蝶には神意が込められていそうだ。


その後、大甕倭文神社の拝殿にお参り。

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拝殿をお参りする頃にはすっかり空が晴れ渡り、持参した雨傘は不必要となった。


お参りを済ませると晴れた空を見上げ、二羽の黒アゲハを思いだしながら穏やかな気持ちで大甕倭文神社を後にした。



本日大甕倭文神社で掛けた大願が叶ってほしいものだ。その大願とは・・・個人的な願いではないが秘密にしておこう。