敬老の心 | この美しき瑞穂の国

敬老の心

以前よく通った道沿いにある大きな邸宅の前で毎朝乾布摩擦をしているご老人がいらっしゃる。最近はその道を通らないのでお会いしていないのだが、そのご老人が実は凄い方だったことを今更ながら知った。


このご老人は戦時中、海軍中尉になられた零戦乗りで本土爆撃にやってくるB29を関西地方でしばしば迎撃されていたそうだ。この方は終戦間際に士官学校を卒業して実戦配備されたばかりの駆け出しの若い士官だったそうでご自身はB29を撃墜したことはなかったものの所属する編隊は数多くのB29を撃墜したらしい。


昨晩はこの方が雑誌に寄稿された手記や講話を読んだのだが、とても正直で話を誇張することがなく、謙虚に事実を淡々と述べられていた。このご老人は初めての神風特別攻撃隊の敷島隊を指揮された関行男(せきつらお)海軍中佐(当時大尉で教官)より零戦乗りを教わったそうで、関教官が特攻で亡くなられた話をニュースで知った時に日本の敗戦を予感したそうだ。


そして昭和20年に天皇陛下の玉音放送をもって終戦したのだが、それでもまだ軍部には抗戦を主張しており、ご老人も終戦間際に神風特別攻撃隊に編成されたそうだ。その際に士官ばかりがリストアップされていたため下士官の中には自分も複座に乗せて連れていってほしいと志願する人々が多くいたらしい。


ご老人は戦後の様々な残務をこなした後、神風特別攻撃隊として出撃する前に水垢りをして両親への遺書をしたため、いざ出撃という時に出撃中止命令が出たのだそうだ。一切の飛行禁止令が出たのだという。そして零戦からプロペラが取り外されるのを見た時に終戦を実感したのだそうだ。


ご老人は戦後、海上自衛隊に入隊され、最終的には海将にまでなられた。庭先で乾布摩擦をしている姿を見ては飄々とした元気の良いお爺ちゃんぐらいに思っていたのだが、まさかそんなに偉い方だったとは知らなかった。


ゆえに敬老の心は大切だとつくづく思った次第である。