須佐神社(有田市) | この美しき瑞穂の国

須佐神社(有田市)

昨日の記事『2012年GWの旅(須佐神社)』で紹介した和歌山県有田市の須佐神社の過去のあるアメンバー限定記事を編集して公開しよう。

(以下、限定記事の公開記事)


2011年9月25日、日帰りで和歌山県有田市の須佐神社に念願のお参りをした。



2011年7月5日和歌山県北部でM5.4、最大震度5強の地震があった。この場所では2011年5月10日に震度3から4ぐらいの地震が数度起きていたため気に掛けていた。


2011年5月11日、ある方から和歌山県北部の震源辺りに目の赤い黒い龍が出現したという知らせを頂いた。この黒い龍は西洋のドラゴンの姿に近く、封じられていた古代神ではないかというお話であった。



このお話を伺って震源辺りを地図で調べたら、和歌山県の有田郡や有田市の辺りが気になった。そこで有田市の神社を調べたらビビっと来る神社があった。


それは有田市の須佐神社である。そこで2011年7月20日にお参りする予定だったのだが、この時紀伊半島には超大型台風6号の接近による影響で和歌山県沿岸部や河川等で強風による高波被害や大雨による増水被害が起きたため、きのくに線の和歌山~新宮間が終日運休になってしまった。

それゆえ和歌山まで来たのに有田市の須佐神社には行けなくなってしまった。須佐神社の最寄りの箕島駅まで行く電車が運休になってしまったため行くことが出来なかったのである。それゆえに2011年9月25日のお参りは念願のお参りだったのである。


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(2012年4月28日『日本縦断の旅(玉津島神社)』)



2011年9月25日地元をまだ真っ暗な早朝に出発して午前10時47分、最寄りの箕島駅に到着。


インターネットで箕島駅から須佐神社までバスが出ていることを調査済みだったのだがバス停らしきものが見当たらなかった。そこで駅前交番に行ったのだが、お巡りさんはパトロール中で不在だったので、隣のタクシー会社にバス停の所在を尋ねにいった。


するとタクシー会社の人はよく分かりません、うちはタクシー会社ですから、とぶっきらぼうな受け答え。バスが無ければタクシーを使う気でいたのだが、この受け答えが不愉快だったのでタクシーを使わず神社まで歩くことにした。


ナビタイムで経路検索すると、距離は駅から約3.3キロ、徒歩40分という結果が出た。結構距離があるので気合いを入れて早歩きで神社に向かった。



神社へ向かう道すがらに山を見ると、みかん畑があった。


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2011年は二度にわたる強い台風に見舞われた紀伊半島・・・有田みかんは無事だろうか。どうか美味しいみかんがたくさん実ってほしいものだ。


駅から25分ほど歩いて須佐神社の大鳥居に到着。


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大鳥居を通り抜けて歩くこと5分ほどで須佐神社に到着。駅から早歩きで30分ほどだった。

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紀伊半島を二度にわたる台風が襲い、大雨によって多大なる水害が起こったため、今回須佐神社をお参りするにあたって白馬(※霊的存在の白馬)を連れて行こうと考えていた。すると須佐神社石段中程に驚くべきものがあった。


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なんと白馬の像があった!古来より日本には降雨祈願には黒馬、止雨祈願には白馬もしくは赤馬を高おかみ神に奉納する神事があるので、止雨を願って訪れた須佐神社に白馬の像があることに驚いた。


この白馬の腹部には桃の印があった。何故桃の印?と思いながら更に石段を登った。石段を上がりきる手前のところには石碑がある。

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いたけるの 神のしきます 紀の国と いはふかぶろの 神の宮これ


・・・という本居宣長(もとおりのりなが)が須佐神社を詣でた時に詠った和歌が宣長直筆の字体で彫られている。紀伊国を治めた五十猛神(いたけるのかみ)の親神(※『かぶろ』とは親神の意味)の素盞鳴尊を祀るのは、この神社であるという意味。


石段を上がりきると絵馬堂がある。

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この絵馬堂の中には神輿があった。

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桃太郎と関係はなさそうだが神輿にも桃印があった。堂内の額には墨で黒龍が『須佐』の文字を形作った絵が掛けられていた。

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これを見て和歌山県北部の古代神・赤眼の黒龍に対応するのはやはり須佐神社だと直感した!


絵馬堂を抜けて境内に足を踏み入れると、いくつかの境内社が並んでいた。

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そして高いところに何故か白鹿の像があった。

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須佐神社鈴門。

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提灯にも桃印があった。後で調べたら須佐神社の社紋は『夏桃』という珍しい紋だった。桃紋には伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉国で黄泉津醜女(よもつしこめ)等の魔物たちに桃を投げて退けたことから魔除けの意味と延命長寿の意味があるらしい。



拝殿殿および本殿。

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須佐神社の主祭神は素盞鳴尊。


社伝によれば和銅6年(713年)10月初亥日に紀ノ川上流の大和国吉野郡西川峰より中雄山山頂に勧請されたのが創始とされる。当初は海に面して西向きに社殿が建ち、往来する船が恭意を表さないと転覆させるなどの神異を示したため、元明天皇の勅命により海が見えないように中腹の現在地に南向きに遷座されたという。

素盞鳴尊を御祭神とする神社は日本全国にあるものの、素盞鳴尊信仰の本源はどこなのかは諸説あり不明だ。ちなみに有田市の須佐神社にも素盞鳴尊信仰の原郷とする説がある。素盞鳴尊は放浪する神ゆえに本源を定めるのは難しいだろうが、有田市の須佐神社は素盞鳴尊信仰において重要性の高い神社であると感じた。


須佐神社拝殿前にて大祓詞を奏上し、この美しい豊葦原(とよあしはら)の瑞穂の国に起こる度重なる台風、大雨の事象が穏やかに収まり、被災地の復興が速やかに進みますように祈願した。そして須佐神社の御祭神の御稜威(みいづ)がより一層盛んになり栄えますように祈った。


須佐神社をお参りした後は京都の北野天満宮にお参りし、毎月25日にしか開かない宝物殿にてお目当ての刀・安綱(鬼切丸)を観ることが出来て大満足だった。



和歌山県北部でしばしば起こる地震、紀伊半島の豪雨被害等は和歌山県北部の海上に現れた古代神・赤眼の黒龍に関する事象だと考えているので、荒ぶる古代神をなだめ鎮めるつもりで須佐神社にお参りした。



紀伊半島各地の土砂ダム対策工事、治水工事が早く進んで一日も早く復興することを心より祈念する。