神田祭 | この美しき瑞穂の国

神田祭

本日、神田明神の神田祭を見に行った。神田祭は二年に一度行なわれる江戸の三大祭の一つである。今回の神田祭は前回の祭りが東日本大震災で中止になったため実に四年ぶりとなった。


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昨日は神幸祭だったが本日は神輿宮入で数々の山車や神輿が神田明神に集まってきた。写真の山車は『羽衣』。


山車が向かう神田明神鳥居へ先回りすると、鳥居周辺は大勢の人々がごった返していた。

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人混みの間をすり抜けて神田明神境内へ向かった。

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境内には桃太郎の山車があった。

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桃太郎といえばGW中に岡山県の吉備津彦神社、吉備津神社にお参りしていたのでちょっとシンクロを感じた。桃太郎山車の隣には一際大きくて立派な加茂能人形山車があった。

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加茂能人形山車は江戸時代に曳かれた姿を忠実に再現した江戸型山車である。


江戸時代、江戸型山車は江戸城中へ繰り込み、時の将軍の上覧に浴したそうで、江戸城の城門を通過できるように最も高い盛装で7メートル強ある高さを調節する可動構造が特色である。加茂能人形山車は上段の人形部分、中段の四方幕、下段の見送り幕部分の三層構造で上段、中段が下段にすっぽりと収納出来るようになっているという。


最盛期には45台の山車があったそうだが、明治維新の頃に関東近県に買われていったり、老朽化して壊れたりして残ったものも関東大震災や戦火でほとんど失われてしまったという。


加茂能人形山車の先代も関東大震災で失われたが、明治15年頃に制作された10分の1サイズの精巧な模型が残されていたため、これを元に昭和30年に復元されたものだという。


山車に載っている人形は下鴨神社の御祭神・別雷神(わけいかずちのかみ)で赤頭に唐冠、大飛出の面を付けている。



これほど大きな山車を数十台も曳行した江戸時代の神田祭はさぞかし壮観だったに違いない。



神田明神拝殿の前には続々と神輿が戻ってきた。

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宮入れの合間に一般の参拝者が殿内でのお参りをすることが出来たので僕もお参りした。


すると神田明神三ノ宮の平将門公の神像が御開帳されていた。平将門公の神像は神田祭の期間中のみ御開帳されるとのことで、今回初めて観ることが出来た。平将門公の神像は幼子が見たら泣いてしまいそうなほど恐ろしい顔をしていた。


しかしせっかくの貴重な機会なので気合いを入れて三ノ宮をお参りさせて頂いた。すると近くにいた老人が(将門公を)拝むのは右翼ぐらいのものだとあまりにも無礼なことを聞こえよがしに言ったのでムカッと来た。そういう自分も神田明神をお参りすれば将門公をお参りしているのだぞ、と言いたかったが我慢しておいた。


無礼な発言に不愉快になったが、それでも殿内で八拍手のお参りをされた方を見て一気に気持ちが晴れた。

八拍手は正確には八開手というものだが、八開手とは拍手を八回打った後に一回短拍手を打つものだ。伊勢神宮で祈祷を受けると八開手を観ることが出来る。古代において日本人は貴人に拝謁する際に礼儀として拍手を打ったといわれており、その最上の礼が四跪拝八開手一礼だとされる。神社で拍手を打つのはその名残である。ちなみに僕は伊勢の内宮をお参りする際や自宅の神棚を拝む際には四礼八開手一礼をしている。だから八拍手をしている方を見て感動してしまったのである。



本日は晴天に恵まれて四年ぶりの神田祭にふさわしいお祭り日和であった。


今週末は今度は浅草三社祭が行なわれる。5月の江戸は賑やかな大祭が目白押しで今から三社祭が楽しみだ。