いざ鎌倉 | この美しき瑞穂の国

いざ鎌倉

本日は鎌倉を訪れた。それは5月1日に京都の後白河法皇御陵をお参りした流れから源頼朝の墓参りをしようと思ったからである。


ゴールデンウィーク前から様々なテレビ局で鎌倉特集を放送していた影響や今年は近場に小旅行の傾向があるせいか鎌倉へ向かう電車は超満員状態であった。


JR鎌倉駅に着いてからも改札を抜けるまでが大変で、駅を出た後も鎌倉の小町通りは原宿の竹下通り並に大混雑していた。こんな状態では沿道の店に寄り道することも出来ず、ただ流れに押されるように鶴岡八幡宮へ向かった。

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鶴岡八幡宮も大勢の参拝客でごった返していた。以前はゴールデンウィークのたびに鎌倉を訪れていたのだが、こんなに混む鎌倉を見たのは初めてだ。これは今年のゴールデンウィークが途中で分断されていることや円安の影響で海外旅行者が減ったことによる影響だと思われるが、日本人が自国の文化、自国の良さを再認識する良い機会だと思う。


久しぶりに鶴岡八幡宮をお参りしたので2010年3月10日に倒れた樹齢1000年の大銀杏を見に行った。

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実に痛々しい姿だが、なんと新しい芽が出てきている。まだ大銀杏は生きているのだ。大銀杏のそばには微笑ましい寄せ書きがある。

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本当に大銀杏には頑張ってほしい。そして新芽がやがて大木に成長してほしいものだ。


大銀杏に心の中でエールを送った後、鶴岡八幡宮拝殿にお参りした。

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その後、源頼朝の墓へ向かった。


僕は昔から源頼朝が嫌いだ。これは頼朝が平家打倒に功のあった義経や範頼(のりより)等の異母弟、様々な家来を討ったことによる。頼朝は人を信用しない人間だったといわれており、頼朝が信頼する者は非常に少なかったとされる。それでも利用価値があるうちは表向き嫌な顔せずに利用し、利用価値が無くなれば即座に切る非情さを持つ人物だったのではないかと思う。これは長田親子の話でよくわかる。


源頼朝の父、源義朝(みなもとのよしとも)は平治の乱で平清盛に敗れて尾張国へ落ち延び、家臣・鎌田政清(かまたまさきよ)の舅・長田忠致(おさだただむね)の屋敷に匿ってもらった。

しかし平家からの恩賞欲しさに長田忠致親子は義朝が風呂に入った時に風呂場になだれ込み、義朝を討ち取った。


後に源頼朝が平家打倒に挙兵した際に長田親子が頼朝の元へ馳せ参じると、頼朝は父を裏切った長田忠致に寛大にも『懸命に働いたならば美濃尾張をくれてやる。』と言って受け入れた。そのため忠致は懸命によく働いたという。


そして平家滅亡後、頼朝は京都へ上洛する際に野田に寄って長田父子を捕えると

『約束通り美濃尾張(身の終わり)をくれてやる!』

と言って処刑したという。このエピソードには頼朝の非情な人間性を感じざるを得ない。

(関連記事)

(2009年10月11日『野間大坊』)


そのような逸話を知らない子供の頃から頼朝のことが嫌いで、最近まで鎌倉自体あまり好きではなかったのである。余談だが箱根もあまり好きではない。


それでも頼朝の墓参りをするのは今回で三回目である。

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源頼朝は武士として初めて幕府を開き、武家政権を打ち立てた。それ(鎌倉時代)以降、室町時代、安土桃山時代、江戸時代と長きにわたって続いた武家政権の礎を築いたのである。


そんな大人物源頼朝の死は意外とあっけない。


建久9年(1199)12月27日、御家人の稲毛重成が亡き妻の供養のために相模川にかけた橋の完成祝いに出掛けた帰りに稲村ヶ崎で落馬し、それが原因で翌年の建久10年(1199)1月13日に53歳で亡くなったという。この落馬には暗殺説もあるが定かではない。しかし頼朝の開いた鎌倉幕府は決して磐石ではなかったのだろう。頼朝の後は頼家、実朝の三代で源氏の天下は終わり、以後幕府の実権は執権(しっけん)の北条氏が握った。もし頼朝が義経や範頼を信頼して幕府の重鎮に置いていたら北条氏を抑えられたのではないか・・・これは考えても仕方ないことだが。


頼朝の墓はいつ来ても綺麗な花が手向けられている。そして本日はとても多くの観光客の方々がお参りしていた。業の深い頼朝がこのようにして多くの人々にお参りして頂けることはさぞありがたいことだろう。範頼の墓は修善寺にあるが義経の公式の墓は存在しない。平家打倒の最大の功労者義経は墓参りさえしてもらえないのだから頼朝は幸せ者である。このように念じながら墓前で手を合わせると風が吹いてきた。もし頼朝が再び人間として生まれ変わる機会があれば、今度は他人を信頼出来る人になってほしいものだ。


本日は風がやや強かったものの晴天で暖かく清々しい一日だった。この晴天のように頼朝の御魂も晴れ渡ってほしいものだ。